『あの人は根はいい人』という言葉にモヤモヤ

生きていると、嫌な人に出会う。
嫌なこと言われたり、嫌な態度取られたりして、
傷付いたりする。

でもその人の話を別の人にすると、

『あの人は根はいい人なんだけどね』
『あの人は苦労した人だからね』
『あの人は優しい一面もあるんだけどね』
『あの人は今たくさん仕事を抱えてるからね』

みたいに、
嫌な人をかばうようなコメントされること、
ありませんか?

それを聞くたびに私は、
『なぜ100%私の味方をしてくれないの?』
という気持ちでモヤモヤしていました。


だって根はいい人でも、
現実に私は嫌な思いをした。

その人が苦労したかどうかや
仕事をどれくらい抱えてるかどうかは、
私には関係がない。

苦労した人や仕事を抱えてる人に
嫌なことを言われたら
許すべきなんていうルールはどこにもない。

優しい一面があったとしても、
私にはそれが見えない。


なんで私が嫌な思いをしたという事実だけに
フォーカスしてもらえないんだろうかと。

その上、その人にもその人なりの理由がある
から許せと諭されてるような気がして、
嫌な思いした上にさらに許せなんて。
本当にモヤモヤしていた。


こんなことを考えていたらふと、
人間の(日本人の?)
変な思考のクセが見えてきた。


例えば、

痴漢にあった女性がいる
→ミニスカート履いてたのも悪いんじゃない?

強盗にあった人がいる
→鍵閉めてなかったのも悪いんじゃない?

いじめられた子がいる
→いじめられる側にも理由があるんじゃない?



こういう発想、結構日常的にありませんか?


無意識になぜか、
被害者にも一定数非があり、
加害者が100%悪いわけじゃない、
みたいな、

加害者を庇ってしまうような思考回路を
私含め、誰しも少しやってしまっているのではないかと。


そしてこういう思考回路ゆえに、

人は無意識に弱者を責めてしまう。

関係ないかもだけど、
法律はなぜか重大な事件を起こした加害者すら
守られるようにできている。
ちょっとヤバくない?


こういう思考回路にちょっとずつ気が付いていくことが必要なんじゃないかなと思います。


そうしたら正しい判断軸が持てて、
問題点は何か?守るべき人は誰か?
みたいなところが見えやすくなるし、


1番は自分を責めることが無くなる気がする。

自己中になれということではないけれど、
自分で自分を大切にしてあげられる気がする。

うまくまとまらなかったけど、
今日は以上です。

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