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芸能人が自○する理由が少し分かった話。アルゼンチン・エンタメ業界体験記

日本で誰もが知るような大物俳優達を生み出した老舗劇団で働いていたコトがある。

そしてアルゼンチンのテレビ業界にちょっと足を突っ込んで痛い目にあった(笑)。

長年、現場でマネージャーをやっていた上司が「売れる子ってのはね、才能でパッ!と抜きん出てて分かるのは勿論なんだけど、とにかく体力と根性だよ」と言ってたのと、「芸能人なんて所詮、人寄せパンダなんだよ」(この表現、今も嫌いだけど、利益を得る立場の運営サイドからすると妥当)と言ってた意味が、ある意味良く分かった。


「テレビに出たい!」「有名になりたい!!」というのが第一に来ている人は頑張れるのかもしれない。
もしくは、自分がやりたいトコロに到達できるなら手段や過程は気にしない根性のある人。

でも、自分のやってる芸術(歌なり演技なり踊りなり)を愛していて、その芸術が現時点での自分が身を置く市場に合致しない場合、自分のやってるコトにカナリの自信と強さがないと潰れてしまう。
し、合致して売れれば売れるほど大変な世界なんだろうなぁ、と想像もしたくない(笑)


私の場合、現代のアルゼンチン(少なくともエンタメテレビ業界)では、タンゴという音楽ジャンルはそんなに必要とされていないという現状を、まず目の当たりにさせられた。


私が審査員として呼ばれた番組(私はテレビ出たいなんて思ったコトのない人種なので、プロデューサーから連絡)は、歌のオーディション番組で、審査員は南米から集められた超有名人から私のような色物まで100人

予選はスタッフが行い、勝ち残った歌手だけでも数百人は登場したと思う。とんでもなく上手い子たちが次々と現れる。

十代の女の子が、タンゴではなかったけどスペイン系の歌を、あの独特の「こぶし」を効かせて、魂から歌い上げるのを目にすると、「あぁ、血ってものはやっぱり存在するんだな…」と、愕然とする。

隣では審査員仲間が、口の悪いブエノスアイレスっ子らしく、辛辣な批評をカメラの外では下し、カメラが向かうと大抵ニコニコと「素晴らしい!」と手のひらを返す。


数十名の審査員が共有する大型テントの楽屋は、さながらサーカス。

一瞬でもカメラに映りたい!少しでも目を引きたい!!と、ただでさえ目立ちたがり屋のラテン人達が衣装やメイクに必死になる横で、エネルギーの有り余っているアーティスト達は演奏やダンスを始め大騒ぎ。

(南米のパーティー文化で培われた彼等のテンションにはとてもついていけない…)


プロデューサーの思惑通り、日本人の私が Tango に感激したり、面白い発言をすると、たちまち翌日には、多くのメディアで取り上げられ、他の番組からオファーが入る。

私が注目されだすと、一気に審査員仲間が寄ってくる。そして、私に代わる人気者が現れると、皆がさーっとそちらに寄っていく。

波長に敏感な仲良しだった何人かの審査員仲間は、周りのエゴ波長にやられて「皆、変なエネルギーで頭が痛い、Kaoriここで休もう 」と穏やかバリアを張ってくれたりした。


朝から真夜中までの撮影、週2日はエネルギッシュなアルゼンチン人達まで疲労困憊、その2日間の参加者が歌う曲64曲を次の収録までに勉強するように、と宿題が届く。


物凄く稼いだのでは?と勘違いしている人もいたけれど、アルゼンチンで一般のアーティストに支払われる額なんて雀の涙だ。

それでも有名になりたくて皆しがみついている。

(それを見るのが耐えられないのもあって、私はシーズン1で降りたけど)


一部の女の子達は、目を覆いたくなる程の露出をしてるかと思えば、翌週の収録では審査員の一人の超大物歌手の愛人になったと噂が入り(実際、彼女はその後彼のマネージャー?になり、のし上がっている)、私達と別の楽屋が用意されてる一部の女の子達は、統括プロデューサー兼司会者(彼の名前を知らない人はアルゼンチンにいない)の「喜び組」。


テレビを観る人が減ってるとはいえ、影響力は物凄い。インスタのフォロワーが千人単位で増える。でも、テレビの中の Kaori が皆好きなのであって、私の Tango なんてきっと興味ないというジレンマと、それをどうやってタンゴに持っていくかと悩む日々。

(そして、そんな意味のない数字に振り回された日々)


そして、DM が送れるという現代の恐ろしさ。99%は応援のメッセージだとしても、たった一人の攻撃的なコメントに、心がパリンと割れる音がした。

そんな人も返信をすると、ガラリと手のひらを返す。


何が起こっているかをスペイン語で理解し、いつ話を振られても良いように参加者の歌やパフォーマンスに注意を払いながら、コメントを常にスペイン語で考える。

それだけでもいっぱいいっぱいなのに、撮影の合間では審査員仲間達が必死に SNS 発信用の動画を撮影しては「Kaori, このチャンスを利用しなきゃだめよ!」と。


ある朝、叫びながら目が覚めて「あぁ、もうこれは駄目だ。」とディレクターに辞退の連絡をした。


実はその大物有名司会者は、アルゼンチンでは嫌いな人も多く、私のパートナーも最初から大反対だった「アイツがどんなやつかお前は分かってない」と。
(最初、日本でいうところの、さんまさん的有名人かな?と思ってたけど、最近、島田紳助の方がしっくりくる(笑))


純粋な日本人の真面目さ?で、番組自体は面白かったし、これだけのエンタメを作り上げられるなんて凄いなぁ…、と思ってたりもしたのだけど、


蓋をあければ、シーズン2、シーズン3と参加している審査員仲間のグループチャットで「支払いあった?」「まだ。ペソなんて日々価値下がるのにどうしてくれるのよ!」「クリスマスが過ごせない」と心の痛む会話が続いている。


シーズン2以降は契約書すら交わしていないので、皆、訴えることもできない。

そして、私達なんかより、物凄いプレッシャーを背負わされて、勝ち上がる度に新しい歌を準備しなければいけなかった優勝者にも賞金は支払われていない。

実は番組の後半になると、参加者がコメントを聴きたい審査員を指名していたのだけど、休憩中に少し話をした彼は私を選んでくれた。
(この動画見つけたら追加…、するかな!?(笑))

「私も地方出身で、アルゼンチンの地方は日本とは比べものにならないのは分かってるけど、田舎っていうのは、時に夢も希望も持てない。あなたは歌で沢山の人に勇気を与えてると思う。素晴らしい芸術をありがとう。」と心からのメッセージを伝えたことすら、皮肉に思えてシェアもしていないのだけど、最近、彼が同じ番組がロシアで放送されていて(元番組はイギリス制作)、彼が番組に呼ばれて歌っているのをみて、なんだか救われた気持ちにもなった。


この国で、アーティストとして生きていくのが本当に大変なコトが分かっているからこそ、本当に胸が傷んだ。


疲れとストレスと、この国で歌手として生き残っていくコトが本当に難しい気がして、私は鬱になって約一年、歌うことも Tango を聴くことすらしなかった。


でも、前回の記事で書いたように流産をして、「また歌わなきゃ!」と思い、今、レコーディングの準備をしているけど、レッスンで発声練習をしている時や、楽器の演奏にどのように声をのせるか模索している時、尊敬する Tango 歌手達の歌に悶絶してる時間が一番楽しい。


そして、先日、同じように外国からブエノスアイレスへ来て Tango 歌手として一緒に成長してきた歌手友だちと話していて、また心が苦しくなった。

またこれをやらないといけないのかな?と。
タンゴ界での上辺の付き合いと外交政策、あの歌手は何してて、あの歌手はこーだと詮索し、どうやったらミュージシャンに満足してもらえる支払いができるか悩み、歌う場所を確保するために奔走するetc, etc.


そんな不安な気持ちで寝て覚めたら、世界中のタンゴ愛好家が聴いているラジオ曲、2×4のプロデューサーから「今日、Kaori の曲かけるよ♪」と連絡が入っていた。


師匠のリディアが言うように、歌う場所、一緒に音楽を作る人、環境をしっかり選ばないと。

(どんな環境があるかは、また今度)


この道に進むなら〇〇しなきゃ、に押し潰されないように、私が好きな Tango を、私のペースであたためていきたいと思います。

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