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Body is my buddy⑥ 入院中の話。バディな体への感謝

入院中は毎朝6時に起きて、7時に朝食、12時昼食、18時夕食、22時消灯。毎食後、痛み止めを服用する。
その合間に、検温や血圧測定、ドレーンの中身のチェック、回診、書類を書いたり、うとうとするとスタッフがやってくる感じだった。
手術の翌朝に点滴の針が抜けてからは、割と自由な感じで、病室のあるフロアのデイルームに行ったり、5階エレベーターで降りたところにあるコンビニでおやつを買ってコーヒータイムしたり。
トイレに行くにも往復で100歩くらいは歩くので、1日5000歩くらい歩いた日もあった。

日中はWi-Fiのあるデイルームで夜に病室で観る動画をダウンロード。そして仕事もしていた。そんなに広くないデイルームで5~6人の人がノートパソコンに向かっている様はコワーキングスペースのようだった。ただし、みんなパジャマ姿。中にはおそらく家族と長電話している人もいた。

夜は、寝つきが悪いので眠剤に助けてもらって、できるだけ寝るようにしていた。そんなわけで快適だった。

朝食。この毎日ビテツがけっこうおいしかった。食事は毎食美味しかった。

働く場として明るい病棟は患者も気分が明るくなる

私が入院した病院は、スタッフがみんな気持ちいい人ばかりだった。けっこう個性的で、キャラが立っている人も少なくなかった。
体温や血圧を測るたびに、親指をぐっと上げて「はい!オッケーです!」と元気に言ってくれるHさん、好きだったなぁ。
中央にあるナースステーションはカウンターで仕切られているだけで、中で働く姿が丸見えだった。
ときどきスタッフが笑いながら話しているようなときもあり、とにかくナースステーションの雰囲気が明るかった。

私のカニの発見者は地元のクリニックのドクター、おがた先生とかわて先生だった。週に数回、この大学病院の外来をもっていた。
あるとき、病室でうとうとしていたらカーテンごしに「セキガワさん、いますか?」と男の人の声がしたので、「はい」と答えると、ひょこっと顔を見せてくれたのは、地元のクリニックのおがた先生だった。また別のタイミングで、かわて先生も同じようにして会いに来てくださった。
検診で、あんなに小さなカニを見逃さずに精密検査してくれたこと感謝を伝える。
ニコニコしながら、無事に手術終わってよかったね、と言ってくれた。
外来だけでも忙しいだろうに、わざわざ来てくださって、うれしかったしありがたかった。

きっと、この病院は働く環境がいいのだと思う。
単に建物や内装が新しくてきれいなだけでなく、ケアしてくれるスタッフが心地よく働いていることは、入院患者にはダイレクトに影響すると思う。

退院日が決まるまで

手術から2日目、ちょっとおなかの調子が悪かった。ガスっぽかったので整腸剤をもらった。
ときどき、頭痛とまえはいかないけれど、頭重感があった。台風15号が接近中だったので、手術の影響なのか低気圧のせいなのかはよくわからなかった。
この日、退院が翌々日の日曜日に決まった。ホッとした。手術から4日目の退院。順調ということなんだろうな。

手術から3日目には、ドレーンバッグの中身がだいぶ薄くなっていた。ピンクグレープジュースみたいな色。看護師さんがバッグから採取した体液を見せてくれて、脂が浮いているのを見た。
そのあと、ドレーンが外れた。痛くもなんともなかった。
体にどういう風に穴が開いていたのか不思議‥。怖くて見られなかったけど、見て置けばよかったな。

乳腺、乳管は不思議な臓器だ。血液を乳と言う飲み物に変えるんだ。
そんなところにどうしてカニができるんだろうか‥
いや、カニは体のいたるところにできるのだけども。
とにかく肋骨の外側にある臓器の細胞だから、古くから解剖して研究されてきたらしい。おもしろい。

ドレーンが外れたので手術後初のシャワー。傷は薄い膜のようなテープでふさがれているので水分がしみるようなことはないけれど、なんだかおそるおそる。
温かいシャワーでシャンプーするのは気持ちよかった。シャンプーとコンディショナーは、美容師さんからもらった試供品。いい匂いだった。
いい匂いがするものは、入院中には必要だ。

雷雨と傷の奥の細胞

退院前日の夕方はものすごい雷雨だった。外の音がほとんど聞こえない病室でも雷鳴が聞こえてきた。

オレンジとグレーと少しブルーの空の色。窓ガラスには大きな水滴の粒

病室の大きな窓で切り取られた空を、雲がどんどん横切っていき、最後は青空がのぞいた。
ときどき、胸の傷のあたりが疼く。
きっとこの傷の奥では、この雲が動くように細胞たちがすごい勢いで修復しているのだろう。
なくなった組織、断たれた血管、爆撃跡のようになった場所を直し、つなぎ、もう一度穏やかに健やかに生きるために。
私のいのちを生かすために。

この細胞の疼きと再生する感覚は、なんともいえないものだった。
もりもりと、動いている気がする。
私の意志とは関係なく。
バディとしての体が、私のいのちを生かすために、猛烈に働いているのだ。
不思議だ。私のいのちは体と同体のはずなのに、違うもののような感覚なんだ。
ありがとね、バディのボディ。




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