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心が動いたから

昨日公開した記事の続きの話。昨日の記事はこちら。

まずは、昨日公開した記事をフォロイーさんが紹介してくれたよー! のお知らせから。codeさん、ありがとうございました。人の数だけある「なぜ書くのか」話を読ませてもらえるのは当番にとってとても嬉しいこと。

昨日(2024年5月1日)はTwitter(X)の当番TLに「なぜ書いた/描いたのか」にまつわる話が三種類、まったく別々の方向からRPされてくるという面白い日だった。

「ゲ謎(映画『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎)のネット配信が解禁され、初めて視聴した配信待ち勢が『SNSで山ほど見たほのぼのドタバタ子育て二次創作は映画館で見たオタクたちの集団幻覚だったのか』とザワついている」という話(が複数RPされてきた)。

「『竹取物語』の作者は『土佐日記』の紀貫之説があるが、もしそうであったとしたら、土佐で亡くした幼い娘との思い出を翁とかぐや姫の物語へ反映させたのではないか、と漫画家が語る」話。元ツリーの先頭ポストはこちら。

そして「鳥山明の訃報が出た日、鳥山明作品で育ったとあるVTuberがアラレちゃんを描く配信をしながら悼んでいたら、視聴者に『大してファンでもないだろうに、有名人の訃報を利用して自分に注目を集めようとしている』とコメントでしつこく絡まれた。そこでその視聴者を追い出すこともできただろうに、配信者は描いていた絵のタイムラプスを公開し、書棚を公開し、『自分はガチファンで、描くことで鳥山明の死を悼んでいる』と伝え続け、とうとう絡み視聴者から『俺よりすごいファンだった』と納得を勝ち取った。更に配信者は『絡んできた視聴者も鳥山明のファンで、鳥山明の死を悲しんでいたからこそあの発言に至ったのだ』と評した」という話。

2024年5月1日、当番の個人的「本日読めてよかったツリー大賞」でもある発端ツイートはこちらで、

ツリー内で言及されていたVTuber御本人のポスト、及び当該配信のリンク入りポストがこちら(「センシティブな以下略」と表示されている箇所が配信リンク。特にセンシティブな内容というわけでもないです)。

みんなみんな「『心が動いたから』書いた/描いたんだ」という話だったな、と当番思ってね。

まず「ゲ謎の本編はハード展開だったのに、二次創作はほのぼのドタバタ育児エピソードばかりだった。あれは集団幻覚か(配信視聴勢)」「うん……二次創作がほのぼのドタバタに満ち溢れているときは本編の展開がハードって、あるあるだよね(二次創作を見慣れてる勢)」の話について。

「二次創作がほのぼのしていたら原作はハードなんだなと予期する」ええ、「安徳天皇は実は助かって〇〇へ落ち延びて結構長生きしたよ」とか「花のやうなる秀頼様を鬼のやうなる真田が連れて」みたいな感じで史実あるいは原作がハードだと救いを求めてやわらか二次創作が生まれるよね……って……

「『竹取物語』の作者が紀貫之だったとしたら(『土佐日記』にそのかなしみが綴られている)幼い娘をなくした経験がかぐや姫との別れに反映されているのではないか」説も「ハードな現実を創作の中ではやわらかに」だと思う。一次創作にせよ二次創作にせよ、そういうところがある。一次創作にせよ二次創作にせよ創作に反実仮想を託すことはままあることなので……

「現実」にせよ、「史実」にせよ。あるいは物語の「本編」であるにせよ。「痛ましい出来事」は目にした人の心をつよく動かす。その、動いた心の持っていきどころとして「書く/描く」という手立てを選ぶ人達がいる。ある人は「現実や本編では『そうはならなかった』けれど、もしかして何かが違えばそうあり得たかもしれない幸せな展開」を語る。別のある人は「これが好きだった」と似姿を描いたり、「愛していた、別れがつらかった」という気持ちを物語に託したりする。どれも「動いてしまった心」の置きどころをつくる行為。

そういえば当番は「当番の二次創作は『当番の気持ちのお墓』である」とかつて語ったことがある。これもまた、「動いてしまった心」をどこへ安置するのかという話。

当番が急な沼落ちをして二次創作を書きはじめ、フォロワーさんを驚かせるに至った発端の演目が『曽我物語』ベース、つまり「父親の仇を討つために若い命を投げうった兄弟を悼んで語り伝えられた物語」だった話はしましたっけね? 前にしましたね。物語るのは供養するため。命を散らした者の魂の安息を祈り、残された者の悼む心、悲しむ心の置きどころをつくるため。二次創作もまた然り。動いた心を供養するため(こう思うのは4ハウス太陽持ちである当番だからかもしれない)。

【昨日、記事を公開した後に連投した話「モチベーション」について】
当番は当番の心が動いたことをモチベーション(動機)として日々何かしらの言葉を並べているが、その当番の心が動いた記録物であるところのツイートやら記事やらで読んだ人の心を動かせるかどうかはまた別の話である(掛け値なしに別の話なんである)。動かせる場合もあるし、動かせない場合もある。

当番には即時性の報酬が必要なので、読者の反応をモチベーションにしていたら遅すぎて死んでしまう。「いま心が動いていていま書くのが楽しいから書く」でないと死んでしまう。幸いなことに世界は当番の心を動かす魅力的なものに満ち溢れていて、モチベーションには事欠かない。

数打ちゃたまには他人の心も動くし、反応も返ってきます。反応ゼロもいっぱいあるけれど、最初に当番の心が動いている時点で大当たりだし、その頃にはもう次の獲物を追い回しているので反応の有無はオマケです。世界は獲物に満ちている。

料理のモチベーションを保つには食べたいものを作ることだし、編み物のモチベーションを保つにはうんと好きなパターン好きな糸を使うことです。絵はいちばん好きで自分比でいちばんうまく描けるモチーフを描け、当番の場合はムーミンです。ムーミンだけは描ける。

裁縫のモチベーションを保つにはキャー! と悲鳴をあげるくらい好きな生地を使うこと。なぜなら、たとえ縫いあげられなかったとしても「好きな生地」はそれだけで心潤うからです(いや縫いなさいよ当番)。

フォロイーさんにRPされてまたちょっと motivate されたので付け足すが、motive を「動機」としたのはとても素敵な訳語だと思う。

move 動く
motion 動作
motive 動機
motivate 駆動する
motivation 動機づけ

「自分の心が動いて、書いて/描いてみたいと思ったから書いた/描いた」と「それで自分の満足がいくように書ける/描けるか」は別物だし、「書いた/描いたものを見た他人の心が動くかどうか」もまた別物。でも、いっぺんで全部達成したい/達成できるはずだと思ってしまう人は多いなと当番は思う。

そりゃあ自分の心が動いたモチーフを自分が見てまた心が動くほどの出来映えに活写できて、それで他人の心も動かせて肯定的な反応が即返ってきたら当番だって嬉しくはあるが。どう考えても、それができるようになるには莫大な観察・研究・試行錯誤と練習が必要。一朝一夕に達成できるようなワザじゃない。

書く/描くのは自分なのだし、自分の心を、頭を、手を動かさなければ単語ひとつ線ひとすじも生まれない。小さなきっかけで小さく動くことを積み重ねた先に大きな何かが出来上がっていくのであって、日々の小さなきっかけをスルーしてドラマティックな大波ばかりを待っていたらいつまでも何もできない。

あるいは、日々のちいさなきっかけごときでは動きだせないほどに自分の心身が疲れ果てていないか、目の前にささやかだけど美しいものが確かに存在していてもそれに気付けないほど物理で電池切れ(空腹だ、眠い、実は体調が悪い、心配事がある等)していないか、という点検が必要な場合もあるとは思う。

「眠れてる?」「食べてる?」「どこか痛いんじゃない?」から必要な場合もあると思うよ、手を動かせない、頭が働かない、心が動かないのは。火星の前に太陽、太陽の前に金星、金星の前に水星、水星の前に月だよ。意欲の前に主体性、主体性の前に感受性、感受性の前に解像度、解像度の前に休養と栄養。

【オマケ】
動く心を取り戻すために、足を動かしてみるっていうのもアリだよねという関連記事。これは「書き/描きたいものが見つからない? 狩りに行け!」という射手座太陽っぽいソリューション。


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