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【No.12】最近の父のこと

学校事務で働き出して2年目で実家の近くに引っ越した。

前に住んでいた生駒では古い家だけど、自分で手を入れただけに愛着のある台所があり、子供たちが走り回れるスペースもあった。

でも、駅まで遠くて、朝、長男を送ってから一旦家に戻って出勤までに準備をしたり、仕事が終わってからはそれぞれにほぼ毎日、習い事やら歯医者やらがあって、車の中で過ごす時間が一日にすると2-3時間は軽くあり、仕事で疲れているときは辛かった。新しい道ができてからは、私の通勤路が多くの人の通り道となって、帰りは渋滞をして、塾に間に合わなくなることも多々あった。

それで実家の近くに引っ越したのだが、退職した父母の近くに住んで、子供たちを預けられるのが何よりも楽だったし、母と子供たちが賑やかにしているのが何とも嬉しい。放任主義を掲げて、子供の勉強をろくに見ない私を見かねたのか、元来の教育ママぶりがよみがえったのか、母は俄然張り切ってチビのドリルを見てくれていた。

子供たちとうまくやっていけるか不安だったのは、“ヘンコ”親父で有名な父だ。一緒に出掛ければ、心の赴くままにフラフラと歩いていって行方不明になるし、自分の言いたいことだけ言って電話をガチャリと切ったりする。私が成人してから初めて一緒に出かけた旅先では「歯ブラシをしてくる」と言って、30分以上トイレから出てこなくて(しかもレストランのコップを持って)ヤキモキしたこともある。何よりも子供の騒がしさが嫌いな人である。

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私が父とうまく関係性を築けなかったということもあって、子供たちにとってどんな祖父になるのか、正直言って心配だった。しかし、年を取るということは悪いことばかりではないらしい。

まず、耳が悪くなって子供たちの嬌声が聞こえなくなった。父は癌予防のために朝、納豆+キムチ+椎茸の煮物をお皿の上でグチャグチャに混ぜてご飯の上にのせて食べるのが日課だが、子供たちが「ぎゃはは」「まずそう」と言って笑っていても聞こえている様子がなく、平和な面持ちで黙々と食べている。

子供の進学に関しては、強い希望があって、私が医学部ではなく、ジャーナリストを目指して海外に行くといったときは、お冠だったが、高校を中退した長男に「わしも学校サボってばっかりやった」とろくでもない経験談を披露しては、ウホホと笑っている。

近くのイオンに毎日散歩に出かけるので、子供たちとどこかで顔を合わせているのだが、イオンの通路においてあるソファで鼾をかいているときや、傘を引きずって急ぎ足でトイレに向かっているときには子供たちも声を掛けずに、家に帰ってきてからコッソリと父が何をしていたかを私に報告をする。

どこからどう見てもよぼよぼの爺さんで、しかも変わり者なので、子供たちにネタにされているのだが、どうやらオセロや将棋では誰も敵うものはなく、たびたび挑戦を持ちかけてはズタボロにされるので、「意外に頭がええんやね」とちょっと尊敬されているようである。

いやいや、子供たちよ。彼にも若くて輝かしい時代があったのだよ。医学の第一線で活躍していた時も、あなたたちのように無邪気な少年時代も確かにあった。……しかし、目の前にいるのが髪がしょぼしょぼと生えた、妙にでかい眼鏡をかけた奇妙なお爺さんだから仕方ない、かな。


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