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秋のこと


あんまり気持ちのいい
秋晴れが続くので、
秋が好きになってしまいました。


木々や植物に光がさしこんで
キラキラしている様子が本当にきれいで、
運転中とくに「いまこの瞬間を撮りたい!」
という衝動にかられてしまいます。


ゆれる刹那がほんとうに美しい。
秋の晴れは、どの季節ともちがう。

さわやかで気持ちがいいのは勿論
どこか地に足がついた落ちつきも
あわせもっているような。

うまく形容できないけれど、
木々や植物も安心して
光や風になでられているようにみえる。


今年は4月から、
息子を園まで送迎していました。
毎日決まった時間に家を出て、
毎日決まった道を走る。


車内に音楽を流し、
はなうたを歌いながら
空を、温度を感じつつ
並木道を横切っていく。


帰りに公園によって、
子犬🐕と少しお散歩。


まだほとんど
緑の葉っぱをつけたもみじの木が、
先端から紅く色づいていくのが
愛らしくてとてもすきでした。


秋も深まり、
いまではほとんど紅くなって
歩道は落ち葉のじゅうたんに🍂


黄色のいちょう並木もすき。

金木犀にはこれまであまり
ゆかりがなかったのですが、

甘くせつない香りに今年は
出逢うこともできました。


来月から息子がバス通園になるので、
私の送迎もあと少し。

思えば、すきな音楽をたくさん聴いて
息子もそれをうたえるようになったり

一緒に、はたらく車をみつけたり
気持ちよく朝の陽射しを浴びたり。

かけがえのない貴重な時間だったんですね。
終わりが見えてきたいま、少しだけ切ない。


冬至にむけて
日照時間が短くなっていく
ものいえぬ切なさと
その先にある厳しい寒さ

体調も感情も不安定になり
さみしさに負けそうになる

私にとって秋が
そんなふうだったこともありました。


こどもの頃は
雨がすきで、雨の音とにおいに
どうしようもなく落ちついたり。

あんまり晴れの日が続くと
焦燥感すら感じていたほどです。


晴れの日に感じる
おいていかれるような、
とりのこされるような感覚がない。
だから、雨の日は安心して立ちどまれた。


あんなに救われていたのに、
大人になったら雨の日は
低気圧の頭痛がするから
といやになったりもして。




noteをはじめてから、
いままでこんなに
苦しかったんだよと


生々しくのこる昔の感情たちが
出口を見つけたといわんばかりに
自分たちのことを書けと
暴れていたように思います。



晴れが嫌だった
秋がつらかった


そういう気持ちがあった事実を忘れて
心地よい好きに変わっていくことすら、
どこか反抗していた気がします。


確かにあったつらさ苦しさが
何事もなかったかのように
忘れられていくことを嫌がるように。


ほんとに苦しかったときは、
その気持ちを外にだすことはおろか
つらさをみとめ自分をいたわること
すらしなかったくせにと
どうにもおさまらなかった。


当時の気持ちを追想しながら
言葉におこし、かたちにする。
この場所へ残すことを選ぶ。


そういうことを繰り返していたら、
反発が少なくなり
穏やかになってきました。



私は私のために書いていたんだと
気づかされます。


そして
否定することなくうけとめて下さった
この場所とみなさまに心から感謝です。


いまそばにいるひと
会えなくなったひと


いま感じていること
まえ感じていたこと


どんなにかたちが変わっても
たとえすっかり忘れ去っても


歩んできたことは
深く刻まれているから
ほんとうには忘れたりしない


そのことを、
温かく
こころにとめておきたいです。



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