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「首都圏情報ネタドリ!」を見て短歌とコピーの違いについて考えてしまった

みなさん、こんにちは。
Atelier Crown*Clown(アトリエ クラウン*クラウン)のかおりんです。

先日、「首都圏情報ネタドリ!」で木下龍也さんの「あなたのための短歌集」が紹介されました。
4/22(金)まで、NHK+で見逃し配信されていますので、ご興味のある方は早めにご視聴されることをお勧めします…っていうか、ぜひ見て。
※NHKオンデマンド(有料サービス)では4/29まで購入可能らしいです。

私はこの番組で初めて「動いて喋っている木下さん」を拝見したのですが、想像していた通りの話し方をされる方で、なんだか少しホッとしました。
まぁ、後からよくよく考えたら(若い方なんだから「ちーっす!」みたいな話し方でも全然構わなかったんじゃん。)とも思ったのですが。
でも、一つ一つの言葉をホトホトと紡ぐように話される姿を見ていたら、昔B’zの稲葉さんもこんな感じの話し方をしていたなぁって思って。
言葉の大切さを知っている方は、みんなこんな風に丁寧に言葉を紡くように話すのかなぁと嬉しくなってしまいました。
あ、でも、もしかすると普段は「ちーっす!」みたいな感じなのかもしれなくって、それならそれで全然構わないのですけれど。

番組の中では、木下さんの短歌を購入された二人の女性のことが詳しく紹介されていて。
お一人は、コロナ禍の中で悩み、苦しまれていたビオラ奏者の女性で「音楽家という不安定な職業で道しるべになってくれるような短歌が欲しい」と思われたとのこと。
その方に贈られた短歌がこちら。

ねえヴィオラ、内なる声はまぶしさに
目を閉じたってまぶしいんだね

番組内から引用

もうお一方は、最愛のお父様を無くされた女性で、「父を思い出すときの“よすが”となるような短歌が欲しい」と思われたとのこと。
その方に贈られた短歌がこちら。

やや素直すぎた弔辞の感想を
いつかひかりのなかで聞かせて

「あなたのための短歌集」

お二方とも、贈られた短歌をお守りのように大切にされていたのがとても印象的でした。

あと、番組の中でもう一つ心に残ったのが、木下さんの「挫折」のお話でした。
その「挫折」については「天才による凡人のための短歌教室」の中にも記されていたので知ってはいたのですが、当時の想いをご本人が話される姿を拝見して「そこまで深く絶望していたんだ」と改めて驚いてしまいました。
だって、私のような凡人から見たら、その「挫折」の話って「木下さんの才能がどれだけ師匠から愛されていたか」って話にしか思えなかったから。

木下さんの「挫折」というのは、ザックリ書いてしまうと以下のようなお話で。

当時、木下さんはコピーライターになることを目指して、谷山雅計さんのコピーライター養成講座に通っていたが、その講座の卒業制作発表の場で「きみはコピーライターには向いていない」と言われ、歩こうと思っていた道が急に無くなってしまったように感じた。

番組で話されていた内容の要約

ここだけ聞くと「うわー、それはつら過ぎるわー」って思うのですが、谷山さんの言葉には続きがあったそうで。

「物書きとか詩とかそっちの方が向いているかもしれない」

「天才による凡人のための短歌教室」

ここまで知ると「うわー、めっちゃ才能を認められてるーー!」と思ってしまって。

ここからは、ちょっとお堅い話になってしまうのですが。
コピーと短歌の本質的な違いって何なの?って考えたときに、「商業美術」か「芸術」かってことかなぁって思って(コピーに「美術」という表現が適切なのかどうかは微妙なんですが)。
それは、私がWebデザインの勉強を始めた当初から、先生方に何度も言われたことでもありまして。
「私達は芸術作品を作るんじゃないんだからね。」と。
「商業美術」と「芸術」。
ああ、まず大前提として「両者に優劣はない」ということだけはハッキリお伝えしておきたいのですが。
ただ「商業美術」と「芸術」はとても似ているので、その違いを認識せずに「向いてない」方の道に足を踏み込んじゃうと心に思わぬ傷を負うことになりかねないかなって思っていて。
例えば「ウルトラマン」を生み出した成田亨さんみたいに。

成田亨さんとウルトラマンの話は「ミドルエッジ」というサイトに、ものすごく詳しく書かれているので、興味のあるかたはご参照ください。
ちなみにこのサイト、私達の年代(アラフィフ)にはたまらない記事が満載ですよ。

「芸術」は星のように、時代を超えて輝くもの。そして何人たりとも、その制作意図を侵してはならない性質のもの。
対して「商業美術」は時代を創り、時に一世を風靡し、消費されていくもの。そしてここが一番ツラいところなのだけれど、その良し悪しを決定するのは制作者ではなくクライアント様や消費者だったりするのです。

成田亨さんは、未来を担う子供たちに「美しいもの」を見せたいと思った。
でも、子供たち(当時の私を含む)はおどろおどろしい怪獣や怪人を面白いと思ったし、安っぽい飾りを纏ったヒーローをカッコいいと思ってしまった。
大人になって改めて見ると、初代ウルトラマンの美しさがウルトラ兄弟の中で群を抜いていることに気付かされるのですが、悲しいかな当時子供だった私はタロウもエースもカッコいいと思ってしまったのです。
成田さん、本当に本当にゴメンナサイ。

すみません、話がちょっと逸れてしまったのですが、何が言いたかったかといいますと。
商業美術では、クライアント様とのやり取りの中で「そんな~」と思うことが結構あって、自分の志とクライアント様のご意向との間で結構ココロがやられちゃうことがあるんだけど、中にはそういう状況を楽しめる人とか、むしろそういう諸々の折衝を乗り越えた方が良いものが作れるという人もいらっしゃって。
そういう人が「商業美術に向いている人」ってことになるのかなぁという気がします。
誤解があるといけないので念のため書いておきますが、商業美術に「向いている人」が「向いていない人」より優れているとか、そういうことでは決してなくて。
その違いは「血液型がA型か、O型か」みたいな違いなんじゃないかと思うのですが。
で、谷山さんが木下さんに言った「きみはコピーライターに向いていない」という言葉は、諸々の折衝の中で木下さんの才能が歪んだり折れたりすることを恐れての言葉だったように、私には感じらるのです。
「天才による凡人のための短歌教室」の中で木下さんご自身も書かれていることなのですが、適当に「お疲れ様でした、これから頑張ってね」とか言って講座を終えれば良いところを、わざわざ厳しい言葉をかけたのは、それだけ木下さんの才能を信じ愛していたからなんじゃないかと思えてならないのです。
こういうのを「天才は天才を知る」っていうんだろうな、きっと。

ここにきて、ちょっとだけ私のことを書かせていただくのですが。
私は短大生の時「短大を卒業したら役者を目指そう」と考えていたのですが、とても尊敬していた恩師の先生に「君には役者の才能は無いと思うよ。もし才能があるのなら、これまでにとっくに花開いていると思う。」と言われ、絶望して道を諦めてしまいました。
その先生は、一度も私の演技など見たことはなかったというのに。
でも、尊敬する人の言葉というのはそれほどに重くて。
だから、木下さんが「きみはコピーライターに向いていない」と言われたときの絶望感は結構リアルに想像できるつもりです。
だからこそ、絶望の中でも「書くこと」を諦めず、自らが咲くべき場所を見つけてその才能を開いた木下さんのことを心から尊敬しますし、強い人だなって思います。
ただ、「木下さんの書くコピーも読んでみたかったな」とは思ってしまうのですが。

つらつらと、長文失礼しました。
もし最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら(そんな人いるのかしら?)、心からの感謝を!
あと勝手な想像でいろいろ書いてしまったので、もし木下さんとか、谷山さんとか、木下さんのファンの方とかからのクレームがあったら速攻で記事を削除いたしますので、文句のある方はコメントくださいませ。
なお、その際はできるだけマイルドな表現でお願いできると助かります。
メンタル、結構弱いんで。

改訂履歴
2022/04/20:新規


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