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『命を救いたい』という、湧き上がる想い 〜初めて心臓マッサージをした話〜

今日は内職をもらっている会社の仕事始め。
いつもの様に車に商品の入った箱を積み込み、自宅からすぐ近くの会社に向かった。

会社の人達に新年の挨拶を済ませ、新しい内職仕事を受け取り、車に積み込み、さあ帰ろうと車を発進しかけたその時。

会社の周りは田んぼに囲まれている。会社の斜め向かいに一軒だけ家があって、その前で4人程女性が集まっている。その前に、何か大きめの布のようなものが落ちているように見えた。

どうしたのかな、と思いながら出発しかけた。でも何か違和感を感じて、車を駐車場に戻した。

『どうかしましたか?』と駆け寄ってみると、大きな布のように見えたのは、60代くらいの女性。
大の字になり、道路に倒れていた。

家の人だと思われる若いお母さんが持っていた携帯がスピーカーモードになっていて、そこから緊急司令室の人の話し声が聞こえる。
しゃがんでいるように見えた、別の60代くらいの女性が今まさに心臓マッサージの最中だった。

大変だ。

携帯から、ピッピッピッという音が響いている。『音に合わせて!もっと強く押して下さい!』
司令室の人が、心臓マッサージをしている女性に指示をしている。

女性では、力が足りないのか。
押し方が弱く、力が伝わりきっていないよう。

見回すと他は皆女性で、60代くらい。家の奥さんは私より若そうだけど細身の人。
この中では多分私が1番力がある。

とっさに『変わります。』と言う言葉が、自分の口から出ていた。

大昔に救急の講習を受けた覚えがある。
あの時の相手はマネキンだったけど、かなりの力を入れないと指導者からOKが出なかった。

司令室の人の指示を聞きながら、必死に力を込めて心臓マッサージを始めた。
『大丈夫です、そのまま続けて下さい。』
その声に励まされ、無我夢中で続ける。
『もう少し手の位置を上にして!』
『今救急隊が向かっています。手を止めないで。』

倒れた女性の口から、呻き声が漏れる。
顔色が悪い。目も虚ろで、力がない。
『頑張って!』
『もうすぐ助けが来ます!』
『頑張って!』
叫びながら、心臓マッサージを続けた。
手のひらの下で、小枝のように肋骨がパキッと折れた感触がした。

遠くから、救急車のサイレンの音が近づいてくる。
(早く、早く来て!)
こんなにも切に、何かを願ったことはない。

実際に心臓マッサージをしていた時間は5分にも満たなかったかも知れない。けれど救急車が到着するまでの時間は、永遠のように長く感じた。


救急車が到着した。救急隊の人に『代わります。』と告げられ場所を空けたが、全力疾走をした後のように体に力が入らず立ち上がれなかった。

なんとかバトンは繋げたのか…。


取り敢えず、女性は救急車に乗せられた。
その後で消防車もやって来たが、今回は必要がなかったようで帰って行った。


集まっていた皆さんに話を聞くと、最初に心臓マッサージをしていた方が第1発見者。
人が倒れている事に気づき、怖くなってこの家の人に助けを求めたそう。この家の奥さんがすぐに119番通報し、たまたま周りにいた人が集まっていた。

この中には倒れた御婦人の知り合いはおらず、キレイな身なりでショルダーバックも肩からかけていたので、ウォーキングか、お散歩か何かをされていたのかも知れない。


助かるだろうか。
どうか助かって欲しい。


もう出来ることは何もないので、その場にいた人達に失礼しますね、と言って会社の駐車場に戻った。
サイレンの音を聞きつけて、駐車場に会社の社長が様子を見に事務所から出てきていた。

事の顛末を社長に話し、それじゃあ失礼しますと言って今度こそ車を出した。

家に帰ったら、なんだかもうクタクタだった。
留守番していた息子に、
『知らない人に心臓マッサージしてきた。』
と告げると、『え…?』となった。
そうだよね。


人命救助した、という気持ちは1ミリも湧いてこない。浮かんでくるのは後悔ばかりだった。


本当に私で良かったのだろうか。

会社で無駄話なんかせず、もう少しでも早く異変に気づいていればよかった。

心臓マッサージをしながら、誰かに会社に走ってもらって男性を呼んで貰えばよかった。

近くの歯医者にAEDあるって、すぐに思い出せればよかった。


タラレバの思考が止まらない。
無力感で一杯になった。


第1発見者の人は、うちの会社に車でやって来た男性に手を振ったが気づいてもらえなかったそう。

その男性も私と同じ内職さんで、ちょうど私の後に会社のフロアにやって来た。私が会社についてから男性が来るまで、多分3分以上は過ぎている。


生死を分けるデッドライン。
倒れた御婦人が、何分前から倒れていたのかは誰も分からない。心臓マッサージをしていても、嫌がる素振りや反応はなかった。緊急指令室の人から人工呼吸の指示もなかった。
指示通りに、出来る限りのことはしたと思う。


でも、万が一の結果だった場合、無駄に御婦人の体を傷つけてしまったのでは、という気持ちもある。
また助かったとしても、重い障害が残るかも知れない。死んだほうがマシだった、と思う程の後遺症が存在することも知っている。
それでも本人や家族は、命が助かって良かったと思えるのだろうか。私には分からない。



それでも、目の前の消えるかも知れない命を前に、『どうか助かって欲しい』という気持ちを抑える事は出来なかった。自分の中に、こんな衝動があることを、今回初めて知ったのだ。


医療や救急、消防に携わる人達は、日々こんな現場にいる。なんて厳しく、尊い仕事なんだろうか。

今も震災の影響で、苦しんでいるたくさんの人達。
目の前の家族の命を諦めざるを得なかった、悔しさや悲しさ、無力感。

日々の生活の中で、命の尊さを、いとも簡単に忘れてしまう。例え死んでも、魂は消えないのだとしても。だからと言って、命の大切さや輝きは、なくなったりはしない。

この現実を、私が引き寄せたのだとしたら。
私は何を学ぶべきなのだろう。
明確な答えはまだ、見つからない。

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