私は、私の生きたいように生きてるだけ②

前回のお話はこちら

事務所に登録にする

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私が専門学生〜20代前半だった頃、当時人気だったSNSには、「Mixi」(ミクシィ)というものがあった。今の若い子たちは知らないかもしれないけど、SNSの先駆けとして多くの人が使っていた。

そこで私は一人の女の子と知り合う。会ったことはなかったけど、年は1つ上で、写真を見る限りとてもかわいくて、似たような調理の専門学校に通っていて、名前が私と同じだった。共通点が色々あった彼女とはMixi上で仲良くなり、私が仕事を辞めてバイトをしていると書き込むと「バイトでいいから、イベコンやらない?」(表現は多少違ったかもしれないけど)と言ってきた。

当時の私はイベコンなんてまったくわからなかったけど「どうやら普通にバイトするより楽してお金が稼げるらしい」という安易な考えで、彼女も登録していた事務所に一緒に話を聞きに行くことになる。

事務所にはイケダン的な30代後半くらいの社長がいた。登録用紙にプロフィールを記入していると突然、「レースクイーンのオーディション受けませんか?」と言われる。

レースクイーン……(て何ぞや)

軽く説明を聞いて、とりあえずヤバそうとか、いかがわしい仕事ではなさそうなので、二つ返事で「いいですよ」と答えてしまった。なんて軽いノリの当時の私。(今でもわりと軽めだけど)

そこからはレースについてそれなりに勉強しました。(レースクイーンというのは誰でもなれるわけではなく、厳しいオーディションを勝ち抜いてなれるものなのです。いつか別記事で書きたい。)人生初めてのオーディションというものを何度か受け、受けては落ち、を繰り返し、どうにか合格してレースクイーンになることができたのです。


モデル、イベコン、レースクイーン時代

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(↑画像荒すぎごめんなさいw)

レースクイーンになると年間契約を事務所と結ぶことになり、仕事もどんどん増えて忙しくなった。最初の頃はお菓子工場のバイトもしていたけど、大きな窯でのヤケドも絶えず、「裏方の仕事」から「表舞台の仕事」に完全にシフトチェンジしたので、これ以上傷を増やすこともできず……。大好きだったお菓子作りのバイトも辞めることになりました。

そしてこの仕事1本になってからは色々なお仕事をさせていただきました。モデルもたくさんさせてもらったし、展示会のイベントコンパニオンとしてもたくさん働いたし、レースのお仕事、グラビア、イメージガールなどなど本当に毎日楽しい思い出ばかり。(いつかこの辺の仕事についても別記事でゆっくり書きたい。)

計3年半くらい?事務所でお世話になりました。本当に私の人生で一番濃密な、忘れられない時間だったと思う。


でも、やっぱり調理やお菓子作りの仕事をベースにしてきて、スッピンで汗だくでヤケドをしながら働いてきた私には、どこか「裏方気質」の血が通っていたんだと思う。

華やかでチヤホヤされて表舞台にいた私はなんだか疲れてしまって、裏に戻りたいと思った。本当に3年半、休まず全力で生きてきたから、疲れてしまったのかもしれない。

そしてまったく負けず嫌いではなく、平和主義者で競争心のない私は、オーディションにもまったくやる気を出すことができなかった…。毎年くるレースクイーンのオーディション時期が心から苦痛で、そこへまた立ち向かう元気もなかったのです。

そして2010年末ごろだったかな? 当時のブログで引退宣言をしたのでした。


引退→結婚へ

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「結婚するから引退します!」

というわけでは断じてないので、知っておいて欲しい。これは当時私を応援し続けていてくれた人たちみんなに伝えたい。

別にアイドルじゃないし恋愛禁止だったわけでもないからいいのかもしれないけど、立ち位置としては似たようなものだった。応援してくれていた人たちのためにも頑張ってきた仕事だったし、その人たちを悲しませるようなこともしたくなかった。

なんなら次の仕事も決まりかけていた。だから卒業したら本当に裏方の仕事に入るつもりだった。

が、タイミングが良かったのか? 好機が重なり、予想外に結婚することに。(このへんもいつか別記事で…w)

結婚後は出産し、子供が小さいうちは外でなかなか働けなかったので、在宅でできる仕事を探すこととなる。


つづく

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