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続編 地球にある自然と人間の正しい生き方って?第4章



〜感謝して『大自然をいただく』という事〜


私は何年か前から、すっかりベジタリアン生活をしている。

きっかけは、なんだか、身体が

「もう必要ないでしょ」

て、伝えて来た感覚っていうのかな。

ある日突然、ピタッとストップした。

それからは、欲しいとも一切思わず。

だから、
『お肉が食べたいのに我慢してる!』
ていう感情も全く味わっておらず。

それは、周りもだけど、何より、自分が1番驚いた。

けど、ナチュラルな流れだった。

だけど、その後思い出したら、私は幼い頃からお肉が全部嫌いで。

『なんで、動物を食べなきゃいけないんだろう?』

て、ずっと思ってたんだよね。

給食も本当に大変だった。何度も泣きながら食べさせられた。

先生も親も、教育として、

子供の『好き嫌いを無くすこと』が、一つの成長とされている。

だから、生きにくいなら、好きになりたいって思い始めた。

『なんで、食べたくないんだろ?』って真剣に悩んでいた。

学校も辞めたかったほどに。w

だけど、いつしか、好き嫌いを克服させられて、大人になったとき、嫌いなものはなくなり‥

というか、お肉が食べたくなかっただけで、野菜は全部大好きだったんだよね。

まあ、一度食べれるようになったと言えど、牛肉は、どうしても身体に合わなくて、20歳からは、殆どやめてたんだけど。

28歳の時、ずっと苦手だった鳥肉も含め、すべてのお肉を食べ始めたんだけど、

その7年後、モロッコに旅する前に、尊敬の意味として、豚肉をやめた。

そして、モロッコから帰国してすぐ、鳥肉をやめた。

そして、ベジタリアンに。

この頃は、yogaにまつわる人、アユルヴェーダーや、健康思考の方が増えたりして、だいぶ、理解が広がって来てはいるものの、

日本では、やはりまだまだ、多数派ではないから、ヴィーガンレストランや、ベジタリアンのショップ、会社が少ないようで、周りでもその理由を尋ねられる事も多い。

宗教の問題?と思われる事もあるけど、私自身は無宗教。

正直、いろんな人に、動物を食べないっていったら、

「なんで野菜や、果物は食べるの?全部生きてるじゃない!」

とか、とにかく「矛盾してる」と言われることがとても多かった。

私自身の中で、ルールはあるんだけど、うまく表現できなかったんだよね。

それが、『アナスタシア』という本からインスピレーションを受けて、私の思想にピッタリとうまく繋がり、答えが出た!

私達が食する、野菜や果物は、死なない。

樹から成る実を食べても、幹は残り、またその種子は、また新たな芽を生み出す。

また、切っても切っても再生してくれたり、沢山生まれる穀物は、ひとつだけ残せば、また、たくさんの食べ物を与えてくれるよね。

大地から、太陽から、雨から、生命を生み出すことができる生き物は、中々死なない。

そして、何度も再生が可能。

私が枯らしてしまった緑が、それを教えてくれた。

奇跡のような出来事がいつも起きてる!

当たり前過ぎて、気付かないし、感謝すら、もはや忘れてしまうんだけど。

『地球の恵み』なんだ。

共存していくために、「plants」は、私達が生きるため、必要な栄養を与えてくれている。

動物は、心臓が止まってしまうと、その命は引き継がれることはないんだよね。

そこが、私にとっての答え。

だからと言って、他人には勿論、家族にもその思想を押し付けたりはしない。

人はみんなそれぞれの想い、状況で生きてるから。

生きることは、『気付き』だよね。

幼い記憶を思い出すと本来の生き方や使命、色んな『いま』に繋がることはすごく多い。

きっと、ピュアだったあの頃、私達は使命を知っていたのかもしれないって、いつも思ってる。

生き方。

すごい大げさかもしれないけど、何かに影響されて、『正しいこと』とされている常識や、ルールの中で生きる環境にいると、本質を忘れてしまう。

だからこそ、自分をゆっくり内観視する時間は必要だなって感じているよ。

みんなそれぞれオリジナルで輝いている!

変わる瞬間も成長する瞬間も、それぞれのタイミングで起きている。

もちろん、誰かの言葉に影響を受ける事もたくさんある。

それがナチュラルに受け入れることができるタイミングって、自分の受け口が開いてるからなんだよね。

いくら怒られても受け口が閉じていれば、何にも伝わらない。

そして、何より、

本来の生まれもった心は、きっと、純粋で美しく愛に溢れているはずだから。

このブログが誰かのステキなタイミングのインスピレーションになることを祈っています✴︎

読んでくれてありがとう✴︎


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