見出し画像

【他人から認められること】を諦め【認める側】へシフトしたことで気づいたこと

私は子供ころから

“周りから認められたい”(特に大人)

という気持ちが人一倍強かった。

所謂、“承認欲求”というやつだ。

末っ子だった私は、従兄弟たちの中でも年齢的に一番下で

一番上の従兄弟とは12歳差だった。

今でこそ12歳差なんて、年の差なんて関係ないと思えるようになったが。

それは、人間は年齢がすべてではないとわかったからだけど。
(ここについては長くなりそうなのでまたいつか…)

子供の頃(おそらく小学生ごろ)

正月やお盆に親戚で集まりがあると

大人に混じって話している従兄弟のお兄ちゃんやお姉ちゃんが羨ましくて

“早く大人になりたい”

“お兄ちゃんたちの話に混ざりたい

と6つ上の従兄妹に言ったことがあった。

そしたらその従兄妹は私にこう言った

“じゃあ、私も話に入れてよーってお兄ちゃんたちに言ってきたら?”と

いや、そういう意味じゃないんだよ…

私が話に入れば、周りは私の年齢に合わせた会話をするだろう。

私はあくまで“対等に認められて”

彼らとフェアに話がしたかったのだ。

今思えば、大人たちからしたら私に話に合わせることが彼らにとっては“ベスト”な行動だろうし

それは無意識的に

“子供にはわからないだろう”

と決めつけているからそうなるわけで。

至って普通のことだったのだと思う。


そんな感じで、子供の頃からおマセだった私は

その後中学で母を亡くしたことでさらにおマセがパワーアップし、

大人たちに嫌悪感を抱くようになり、

彼らから“認められたい”と思っていながら

“アイツらに私がわかるわけがない”

と決めつけるというとても矛盾した思春期を過ごした。

だから所謂、恩師恩人と呼ばれる人が現れていたかもしれないのに

それを無意識に拒否していたために、私にはそんな人は居なかった…
何故いなかったのだろう…と悲観していたわけです。

それは社会人になってからも変わらず、

職場の同僚や上司、彼氏や夫、友人など

周りから認められたいと思いながらも、

心のどこかで

“私のことなんて分かってもらえるはずがないんだ”

と思っている自分がいて

その結果

“誰にも理解されない”と

勝手に決めつけていたわけです。

それはそうだ。

誰にも理解されないと思ってたら

理解されない現実を引き寄せるわけです。

だって、仮にそうじゃなかったとしても

私が理解されないと思い込んでる限り

いつまでも“理解”されるわけがないんです

(ややこしいw)


そしてすべてを失った今、

“ことごとく自分自身と向き合う”という

今までずっと避けてきたことをしてみた結果

2つ分かったことがある

それは

“自己受容”と“承認欲求を捨てること”
どんな自分も受け入れ、受け止めて、他人から認められたい欲求を諦めること


そして、私が拒否してきた
“認める側”にシフトすること。
承認欲求は人間の根本欲求だからすべて排除することは出来ない。


だから私は、他者との関わりの部分に対して“のみ”

そこを排除した


もちろん、パートナーへの承認欲求はめちゃくちゃある(笑)

仮にそれすらも無くすことができれば

もっとシンプルに生きられるのかもしれないけれど、

それは人間の根本を覆すことになるのでなかなか難しいわけです。

だから私は以前の私のように

“認められたい”のに

“誰にも分かってもらえるはずがない”

と悩んでいる人々が悩まずに認められる世の中にしたい

それがコンサルティングなのかカウンセリングなのかそれとも投資することなのかは相手によって様々だろう

ただ一つだけ誰にも負けないと言えることがある

それは

“ヒアリング力”

相手が何を求め、どうして欲しいのか

見えている現象や起きた事実だけを切り取って決めつけるのではなく、

一つ一つのパーツを組み合わせて

相手が本当はどう考え、何を求めているのかを見極める


それは私自身が30年以上悩んできたからこそ

できる事なのだろうと

やっと一つだけ自分に自信が持てるようになった。

35歳。

人生はこれからだ。


もし宜しければサポートして頂けると嬉しいです。波乱万丈な私が唯一出来ること、それは大好きな文章を書くこと。まだまだクリエイターとして未熟ですが、これからも私なりにお伝えできる事、私だからこそ言えることを投稿していきたいと思います!