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「般若心経」佐々木閑

これも「NHK 100分de名著ブックス」シリーズの一冊、再読。

「般若心経」は大乗仏教が広がり始めた最初期(紀元前後)のお経であり、厳密にいうと釈迦の説いた思想の通りの内容ではありません。
というより、釈迦の思想を否定、超越した教えなのです。

筋立ては他の大部分の経典のように物語調となっています。
釈迦十大弟子の一人、舎利弗に「釈迦の教えは違っている」と観自在菩薩が説く内容になっています。
しかも、二人の会話の後ろでは釈迦が瞑想しているらしいという設定。

ポイントは、釈迦が説いた「諸行無常、諸法無我」の前提として「この世の「モノ」は全て五蘊、十二処、十八界という物質要素から成り立っているだけであり、「モノ」に見えるものはかりそめの幻のようなものであるため(=釈迦のいう「空」)、うつろいゆく」と言ったことに対して、観自在菩薩は「その物質要素すらないのである(=大乗仏教でいう「空」)だから、「諸行無常、諸法無我」という理論もないのである」と説いています。

まさに釈迦の教えを否定しており、釈迦の理論は全て崩れてしまいました。

人生というものは「煩悩」に基づく苦しみに満ちており、それを消滅せねば、「輪廻」からは逃れられないとする「四諦(苦集滅道)」の考えは否定されます。
そして、苦しみの起こるメカニズムとしての「十二支縁起」も、「煩悩」を消滅する方法である「八正道」も否定されます。

では、どうすれば人は苦しみから逃れられるのか、との問いに対して観自在菩薩は「利他と廻向」おすすめます。
つまり、日々の生活において「善行」を行うことでエネルギーを蓄え、苦しみから解放される(=「涅槃」)ようそのエネルギーを振り向けることだ、と答えます。

ちなみに釈迦は「善行」のエネルギーは苦しみを繰り返している状態である「輪廻」を起こすための「業」のエネルギーになるので否定しています。
「善行」の裏側にはエゴという「煩悩」が隠されているからです。

釈迦の教えでは、人は出家して瞑想を行わないと苦しみから逃れられないという内容ですが、大乗仏教(般若心経)では、「善行」することで「涅槃」に達することができるとしています。
これなら一般の人々も苦しみから逃れられますから、新しい教えとして成り立った理由も理解できます。

「般若心経」の最後では、マントラを唱えよと言います。
マントラとは有名な「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶(ぎゃていぎゃていはらぎゃていはらそうぎゃていぼじそわか)」という呪文です。
これを唱えれば、全ての苦しみから逃れられるとのことです。

釈迦の仏教には神秘性は低いとされでいますが(「輪廻」「業」はまた別ですが、煩悩消滅による苦の除去は納得できる)、この「般若心経」では神秘性が高まっているとあります。

だから、人を救う教えとしての信憑性が薄くなる、との考えもあります。しかし、神秘性を完全否定するほど、人知というものは高いわけではないです。
宗教というものは、「信じる人は救われる」ものなのです。

大乗仏教は、誰もがみんな苦しみから逃れられる教えを求めている民衆のために興った教えです。浄土宗然り、法華経然り。

20240228

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