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第二回 能「春栄」のみどころ(1)

場面転換の鍵としてのワキ方

今回のお話は、最初の演目である能「春栄」についての解説です。
「春栄」が演じられる華宝会のオフィシャルサイト・チケットのお申し込みはこちらをご覧ください。
あらすじはこちらからご覧いただけます。

ー能は、物語や和歌、仏教からの引用や秀句を用いた、ミュージカル的な要素が高い曲が多いですが、今回の「春栄」は全編通してシテ・子方・ワキの会話的な部分が多いですね。現代の演劇に近い感じがします。

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能弘さん:
会話劇ですね。イメージ的には現代の演劇に近いかもしれません。

ー琢弘さんが演じる、高橋権頭という役についてはどのように思われますか?

能弘さん:
戦で死んだ我が子の身代わりにうまく春栄を養子にして跡取りに据えたい。だから匿っておこう、という庇護欲を持っている。春栄に子方を使うのは、お客さんが権頭の庇護欲に共感しやすくするためではないかな、と。

琢弘さん:

能のレトリックですね。

能弘さん:

権頭としては、兄弟がお互いを思って庇い合うの見守りながら、なんとかこの二人を守ってやりたいと思う。でも春栄を殺せという命令には逆らえない。どうにも止むを得ず「いざ殺さん!」と刀に手をかけたその時に、早打ち(馬や駕籠 (かご) を走らせて急を知らせる使者)が幕の内から「鎮まりたまえ、高橋殿!」と呼びかける。まさにここがこの曲の一番のクライマックスですね。「殺すしかない!」という極度の緊張から一気に開放されるという、そんな権頭の大きな心情の波が見どころですね。

琢弘さん:
春栄が捕まって処刑されるという陰鬱とした雰囲気で始まって、種直が権頭のもとに来てさらに陰鬱になり、だんだん緊迫が高まったところで権頭が「春栄を切る!」となる。次の瞬間「鎮まりたまえ、高橋殿!」で助かる。僕の解釈だと、陰鬱な状態、緊迫した状態、解放された時、の節々の場面転換は必ずワキの言葉になっていて、そこをうまく言葉でコントロールしないといけないのかな、と。普通は地謡や囃子が打ちかけて雰囲気が変わるんですが、この曲に関してはワキがきっかけとなって場面の雰囲気を切り替えていく。これは「春栄」で権頭を演じるにあたって、かなり重要なポイントだと思います。

ー他にもお二人が思う「春栄」の見どころはありますか?

能弘さん:
曲のクライマックスは早打ちが来るところに集約されているんですが、ワキの仕舞(第一回 ワキ方主催の「華宝会」と演目参照)でやる型は、実はその後なんですよね。「殺さずに済んだ、ああ、良かった!みんなでお祝いしましょう!」となったときの酒宴の動きをワキがやる。

琢弘さん:

それはいかにもお能の展開ですね。ワキがお酌をして回って、最後に「めでたい折だからお兄さん舞って下さい」とシテの男舞になる。

能弘さん:
この場合はワキの方にも「ああ、春栄助かって良かったな」って身内意識があるんでしょうね。それでお酌をしたり、いかにも和気藹々に酒宴をやると。

琢弘さん:
それから、劇中の兄弟同士のやりとりが結構気が利いていていいんです。

能弘さん:
この曲はかなり子方が重要ですね。シテと子方の掛け合いが結構多いので。

ー春夏秋冬の4つの季節にかけて「兄じゃない」と言い合うところとか?

琢弘さん:
そうそう、僕はそこが結構好きなんです。洒落が聞いてるというか。

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ーすごく洗練された言い合いですよね。

琢弘さん:
兄が「なおも家人と申すか、深山木のその梢とは見えざりし 桜は花に現れにけり」、つまり自分のことを「桜の花が咲くんだから、山にあるただの一本の木ではなくて、桜だとわかるだろう」というと、「時を得て 早くも育つ夏木立 その木をそれと見るべきか、はや疾く帰れ」、「すでに青く茂った夏木立では、どれが何の木かわかりません」と、春に対して夏の言葉を入れて弟が答える。
さらに兄が続けて「山皆染むる梢にも 松は変わらぬ慣いぞかし」、「深いもみじの紅葉の中でも松は変わらず目立つだろう」と秋にかけて言うと、弟は「一千年の色とても 雪にはしばし隠るるなり」、「千年常緑の松であっても雪に隠れることもあるでしょう」、と冬にかけて返す。
こういういかにも詩的な会話があると、この兄弟はとても教養のある武士なんだという雰囲気が出ますよね。それで僕はこの部分が好きなんです。

能弘さん:
とても武士っぽいと思うんですよね。教養のある家に育って、兄弟がお互いそういうことを言えるだけの知識がある、この二人はそれぐらい位がある存在なんだということがきちんと見える。

琢弘さん:

これを直接的な言葉でやりとりするともっと薄っぺらい感じになってしまうかもしれない。こういった部分が「春栄」のいいところですね。

能弘さん:

「春栄」のような曲は演じていて楽しいんです。こんな風にワキが深く会話に参加する曲は、実はあまりないんですよ。「船弁慶」では弁慶は最初から最後まで参加してるように見えますが、前半はほぼ子方とシテとの絡みで占められてますよね。ワキは最初に出てくるけども、途中では見守るだけになっている。会話で丁々発止みたいのはなかなか少ない。

琢弘さん:

ああ、たしかにそれは楽しいですね。

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能弘さん:
こういった型物をやるときは「こう来たらこう返す」というような、会話の流れがポンポンポンとテンポ良く進んでいくのが気持ちいいですね。

琢弘さん:

言葉の間合いというか、息遣いの間合いを自分の中にリズム作って喋っていくんですが、現在物(シテが男性で、現実の世界で起きる事件や出来事を題材として描かれた曲)はそれがとても大事なんです。でもやってるとだんだん楽しくなってくる。

能弘さん:

相手の調子に合わせて謡うのか。相手の言ってる言葉に少し被せて、つっかけ気味に言うのか。大きく合わせて間を空けつつ、少し引いて謡うのか。など、相手の出方を見ながら。

琢弘さん:

言葉の綱引きですね。でも春栄の場合は場面転換のきっかけがワキにあるから、のめり込みすぎるとうまくいかない。そこは気をつけなければ。

(第3回に続く)

写真・文:国東 薫
※無断転載・転用はお控えください。

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