面倒でもひと手間をかける方が、日々の暮らしは面白いかもしれない
思うにもうだいぶ長いこと続いている。
私は、私の周りで完結してしまう暮らしをしているのだ。
仕事も遊びも日常も、家を中心とした暮らし。きっと周りにそんな人が増えた数年だったはず。でも、私にいたっては、時が経つにつれてその勢いはどんどんと増していて、とうとう一歩も家から出ない日もほどほどにある。
パソコンやスマートフォンを立ち上げれば、仕事ができるし、おしゃべりや議論もできるし、打ち合わせだって何てことはない。見たい映画やドラマや、本だって読めるし、お買い物だってできる。
”忙しい仕事と子育てをこなさないと”と思うと、ちょっとのお買い物に出るのが億劫になり、そして郵便ポストに取りにいくのが面倒になり、ゴミを出すのも嫌気がさすくらいには家の中にこもるという没頭ぶりだった。
”なんでも解決できるしね、家の中で ”と思っていたけれど。
いや、そんなことは、なかった。
”心の小さなときめきを育てる”ということは家の中だけでは解決ができなかった。
というか、その気持ちをどこかへ置いてきぼりにしていたみたい。
ーー
久しぶりにオフィスに顔を出した。多分1ヶ月ぶりくらい。
後輩に「久しぶりですね〜」って声をかけられ、私は「そんなことないけどな〜」って思っていたけど、思えば対面で会ったのは2ヶ月ぶりだった。
やっぱり対面で会うのがいいんだって。うーん私はどっちでもいいけどな〜と思ったけど、いざ対面でワイワイ話を始めると、オンラインでは話さないことできないことが飛び出てきた。
ランチに行けば「席を取っておきますね」と譲ってくれる優しさが垣間見える。オフィスに戻れば「これ、お土産なんですよ」と交換しあう楽しい時間。帰省の出来事を聞いて、行ったことない場所に思いを馳せる。
ミーティングが始まるとなれば「片付けましょう、これ組み立てましょうよ」など自然な気遣いやちょっとした共同作業に、「あれ、なんだか悪くないかも」とじわじわ感じてくる私がいた…。
その日しっかりとオフィスで過ごし、帰宅した。久しぶりの都会に疲れるかなと思っていたけれど、思ったほど疲れは感じなかった。もしかしたらアドレナリンが出ていただけかも知れないけれど。
そうか。私はじわっと温まり、心が変化することを忘れていただけなんだな。
誰かと関わり、どこかへ足を伸ばすって面倒なんだけど。
面倒だからこそ日々の暮らしには小さなさざなみが立って、その波のおかげで私の感情は温度変化を繰り返す。
ちょっと手間をかけることも悪くないよね。
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