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【PP】真の「エンターテイナー」とは。


 何のことかと言いますと、”ももクロちゃん”なわけですけれども。

  意外とですね、出版界隈の方とお話していると、「アイドル好き」という方が多くいらっしゃいまして、僕と同じ小説すばる新人賞出身の作家さんでも、朝井リョウさんの『武道館』、渡辺優さんの『地下にうごめく星』など、アイドルをテーマにした作品を刊行された作家さんも結構いらっしゃったりします。

  先日刊行された僕の文庫新刊『ヒーローの選択』をお読みいただいた方の中にはピンと来られた方もいらっしゃるでしょうが、僕も「モノカキノフ(モノノフ=ももクロファン)」を自称する人間なわけでして、2010年頃、箱の中身はなんじゃろなゲームで狂気のふるまいを見せた(当時サブリーダーであった)早見あかりさんのオモシロさに脳天ぶん殴られて以来、もうかれこれ9年あまりの推し生活をやらせていただいております。

 きっとね、モノカキにとっては、「エンターテインメントに生きる人間」として、とても興味深い存在なのだと思うのですよ、アイドルって。

■ニューアルバムがでる

 そんなこんなで、なんでこんな話を唐突にしたかといいますとですね、令和元年5月17日、彼女たちの5thオリジナルアルバム「MOMOIRO CLOVER Z」が出るわけですよ。前作からなんと約3年ぶり。もう3年も経ったのか、、、、

 先日、全収録曲も発表されて、どうやら今回は映画・演劇・ミュージカルといった要素を前に出して、『ラ・ラ・ランド』とか『グレイテスト・ショーマン』的な世界観を持たせる感じのように見えますねえ。

 思えば、1stアルバムから今まで、彼女たちのアルバムには必ず「世界観」がしっかり設定されてたなあ、と思うんですよね。

■1st「バトルアンドロマンス」

 1st「バトルアンドロマンス」が出たのは、2011年の7月。同年3月には東北の大震災があって、エンタメというものの存在意義を問われる時期の真っただ中でした。

 僕はその頃、ちょうどデビュー作の応募原稿を書いていた時期でして、ああいう大災害が起きたとき、はたして小説を含めたエンタテインメントにどれほどの意味があるのだろうか? とすごく考えこんでしまった時期だったんですよね。バラエティも、イベントも全部自粛自粛。ぽぽぽぽ-ん。でもしょうがない。だって、大事な人をなくして失意の底に沈んだ人たちが、ものすごくたくさんいたのだから。

 アイドル音楽なんて聴いている場合か? 不謹慎じゃないか? と言われかねない状況の中、彼女たちの1stアルバムはどストレートな「応援」そのものでした。まだティーンエイジで、大人たちの用意したハードルを越えるのに必死なだけだった”成長期アイドル”の彼女たちは、沈む世間に向かって、なにか小器用なことができるわけではなかったんですね。

 じゃあ、もうここは正面からアイドルらしく、真っすぐにアイドルという本分を果たそう、という感じで、方向性を選んだのかなあ。歌って踊って、人を勇気づける。笑顔にさせる。若い女の子がわいきゃいしてるのを見てるだけでも、世のおじさんたちはなんか元気が出てくるものですし。なんかこう、楽しませよう、笑顔になろう、という、コンセプトが強く出ているアルバムであったように思います。

 余談ですけど、「バトルアンドロマンス」の元ネタになっていたプロレス団体「WAR(レッスル・アンド・ロマンス)」ですが、エースだった天龍源一郎が、映画「幕が上がる」でももクロメンバー・玉井さんの父親役をやったり、冬木軍の一員として参戦していたじゃーりんこと邪道が、後にモノノフレスラーとしてライブに参戦したり、なんか不思議な縁を感じるタイトルであったりします。

■2nd「5TH DIMENSION」

 2ndの「5TH DIMENSION」リリースは、2014年4月。2011年~2014年の彼女たちの快進撃は、たぶんファンじゃなくても少し感じた方もいらっしゃるんじゃないでしょうかねえ。

 ミュージシャンやアイドルの「売れる」「売れない」のラインて、「日本武道館にステージ設営したライブ時の席数」、つまりは「1万人」を単独で集めるライブができるかできないか、というところが大きな壁になってるんじゃないかなあ、と個人的には思います。だから、今もいろんなグループが武道館ライブを目標にするんですかね。

 「ライブハウス武道館へようこそ!」を言うためかもしれませんけど。

 武道館を埋めて、さらに越えていった人たちは長く愛されるアーティストになることが多いですし、そこに辿り着けなかった人、越えていけなかった人たちは、どうしても数年で活動休止や解散という方向にいくことが多い気がします。あくまで主観ですけどね。

 でも、あの頃の彼女たちは、その武道館をいとも簡単にぶっちぎっていきました。2011年冬から一気にステップアップして、SSA(2万席)→横浜アリーナ2DAYS(17000席/日)→西武ドーム(33000席)と次々大会場を埋め、武道館はなんと、性別限定ライブで2DAYSを埋めます。僕のようなおっさんたちはともかくとして、女性アイドルが女性ファンのみで一万席埋めたのはびっくりです。

 さらに、紅白初出場→旧・国立競技場単独ライブ(55000席/日)と、彼女たちはものすごい滝登りをしていきます。ファン目線だと、もうこの世の奇跡を目撃しているのだ、という衝撃がありましたよね。このまま龍となって、空に飛んで行ってしまうのではないかという。

 実際、旧国立で単独ライブをしたアーティストは、SMAP、ドリカム、嵐、ラルク、ももクロ、AKB48の6組しかいないんですよね。まさに、それまでとは別次元、ケタ違いの集客モンスターになっていったわけです。

 「5TH DIMENSION」、五次元。つまり、アイドルとして一段どころか、一次元上を目指していくのだ、という「上昇への決意」が2ndアルバムの軸となるストーリーでありました。音楽的にも面白いアルバムでしたねえ。ダブステからEDM、ヒップホップにラテンといった、アイドル楽曲とはかけ離れた要素が盛り盛りでありながら、最終的には、ちゃんとアイドルという身の丈に収まった曲になっています。

 クリエイターの持つ独特なアーティスト性と新しい音楽ジャンルの潮流を、「歌謡曲」をベースに”進化”してきたジャパニーズポップと組み合わせるためには、アイドルという装置は一種おあつらえ向きの存在じゃないかなと思います。「かわいい女の子が歌い踊る」という付加価値があるおかげで、音楽的無茶とか実験的なことをしてもファンが比較的受け入れやすい土壌があるんじゃないですかね。


■3rd「AMARANTHUS」&4th「白金の夜明け」

 3rd「AMARANTHUS」と、4th「白金の夜明け」のリリースは、2016年。珍しいことに、オリジナルフルアルバム2作を同時に発売するという荒業をやってのけました。「五次元アイドル」として、普通やらないことをやろう、という軸に沿ったものではあったのかもしれませんが、それ以上に、彼女たちが辿った道を表現するには、2作同時リリースが必要だったのかなとも思います。

 10代であった彼女たちも、成人し、人間としても女性としても大人になっていく過程で、いろいろな苦労や挫折、そして芸能界の現実という壁に直面したんじゃないかなと思います。その一つはたぶん、紅白落選ですかね。グループとして人気の絶頂期にもかかわらず、日本のエンタテインメントの象徴的ステージから排除されてしまったという経験は、きっとメンバーだけじゃなく、運営側の価値観さえも大きく揺さぶったのではないでしょうか。

 2枚のアルバムが表現したのは、枯れるもの、死と再生の象徴としての植物・アマランサスと、決して錆びることのない貴金属・プラチナ、という対のイメージを中心に、「夜に見る夢と昼の夢」「人間の生と死」「夢と現実」といった、「表裏一体の価値観」と「普遍性や連続性」の絡み合いのようなものでした。

 生まれてから大人になって死んでいく間に、「夢」というものは少しずつ形を変えていきます。漠然と未来にあって、将来の夢、として見ていたものは現実となり、夢はいつしか、夜、目を閉じた後にしか見えなくなっていく。生の力に満ち溢れていた朝の太陽のような自分は、次第に斜陽の時を迎え、やがて死へ向かう。

    2枚のアルバムは、つなげて聴くことでそのサイクルを疑似的に何度も体験できるようになっていて、一つ一つのアルバムがメビウスの輪、∞の字を描くようなストーリーになっており、2つ合わせるとDNAの二重螺旋構造のように、混ざり合わない表裏の価値観が永遠に絡み合うような形になっています。

 アイドルが立ち向かうべき現実も、信じるべき夢も、エンタメの世界ではわずかな価値観を挟んだ表裏一体のものでしかない。そういったことを表現したかったのかもしれないですね。

■そして、5th「MOMOIRO CLOVER Z

 あれから3年。昨年5月、10周年という大きな節目を迎えた彼女たちでしたが、その出発は苦い記憶でした。それまで、パフォーマンスの屋台骨を支えていたメンバーの脱退があり、長く慣れ親しんだ5人体制から4人に。10周年の一年間を、パフォーマンスの一新やメンバーの抜けた穴埋めに奔走しなければならなくなりました。

 その間に、グループ初のベストアルバムを発売。タイトルは「桃も十、番茶も出花」。元ネタは、「鬼も十八、番茶も出花」ですね。どんな娘でも、年頃になればそれなりに魅力が出てくる、という意味ですし、なんだか親心を感じるタイトルです。

 10周年という大事な一年を過ごした4人が、11周年に突入する日にリリースする、5枚目のアルバム。ベスト盤にすらつけなかったグループ名をアルバムタイトルに据えたことからも、並々ならぬ覚悟が見えてきます。これが、「ももいろクローバーZ」というアイドルグループの、一旦の完成形である、という自負があるんじゃないかなあと。

 そして、そのアルバムのコンセプトが、「ショーマン」「エンターテイナー」であるように見えるんですよね。それはすなわち、「等身大の女の子」として駆け上がってきた彼女たちが完成し、次に到達する場所。「純粋に人を楽しませるための存在」=真のエンターテイナーへの昇華がテーマなんじゃないか、と思うのです。

 映画、舞台、ミュージカル、音楽。いろいろなエンターテイメントを経験して吸収して、10周年のメモリアルイヤー1年をつかって固めあげた、真のアイドルグループの作り出す音楽。そんなものを期待せずにはいられないアルバムになっているわけなのです。楽しみですなあ。

 また、リリースされたら、全曲レビューとか暑苦しいことやっていこうかなと思います。

■事実は小説より奇なり

 それにしてもですよ。女優事務所の育成セクションで、特技に「ダンス」と書いただけの寄せ集めで作った雑草アイドルグループが、やがて花開き、国立2日間11万人を集めるまでに成長するなんて、フィクションで書いたら、編集さんに「アホか」って言われるレベルなんですよね。なんだそのリアリティのなさは、と。

 その上、紆余曲折あって、今こうして4人になり、「幸せをもたらす四つ葉のクローバー」が完成する、なんていうできすぎた伏線を、現実のグループが意図することなく運命的に回収するというストーリーつきですよ。きっと小説だったら、「その結末ありきでグループ名をつけたのか」と言われてしまうんですけど、もちろん、結成当初、命名したリーダーのお母さまはそんなことを知るわけもなくね。

 こんなことが現実に起きてしまうと、エンタメ系モノカキとしては、頭を抱えざるを得ないのですよね、、、、。
 勝てっこないんですよ。フィクションならね、同じ舞台で戦えますけどね。まさに事実は小説より奇なり、ですね。

 エンタメの難しいところは、現実という軛(くびき)から自由であるように見えながら、決して超えることができない現実がある、というところにあると思うのです。そして、僕が現実世界で心惹かれてやまないのは、やっぱり、そういう「フィクションの上」をいってしまうような人たちだったりします。例えば、エンゼルスの二刀流・大谷翔平選手とか、ボクシングのモンスター・井上尚弥選手とか。そして、TDF・ももクロちゃんたちだとか。

 「等身大の奇跡」という道を歩き続けてきた彼女たちのストーリーは、これからどういうところに向かっていくんでしょう。純粋かつ真の「エンターテイナー」とは、虚構の世界の中で生きていく人に他なりません。エンタメという虚構の世界の中で、今までのリアルな「奇跡」を超越していくことができるのか、エンタメに関わるいちモノカキとして、彼女たちの11周年の漕ぎだしがどうなるか、とても楽しみにしているところです。


 ちょいちょいももクロネタをぶち込ませていただいている文庫新刊はこちら。いや、最初、「推し事」のつもりだったんですけど、そんなのカケラも必要ないくらいブチ抜かれていった2013年を思い出しますねえ。

小説家。2012年「名も無き世界のエンドロール」で第25回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。仙台出身。ちくちくと小説を書いております。■お仕事のご依頼などこちら→ loudspirits-offer@yahoo.co.jp