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コンビニの棚の前で立ち尽くすことと、料理の腕前の関連性について

忙しくてそのままになってしまっていたが、先日私が書いた『ごはんマシンに変身するわたしと、疲れて帰ってきた日のごはん作りについて』という記事に対して、編集者のユリさんが、こんな感想の記事を書いてくれていた。

私が「忙しいときってこのぐらいの手抜き料理でもしかたないよね」みたいなことを書いたら、ユリさんが私の「このぐらいの手抜き料理」の内容を読んで、驚いたという内容だ。

私は疲れたとき、フライパンは使えない。焼肉のたれは冷蔵庫にない。パスタソースとレンジでゆでるパスタならできるかも。でもパスタソース常備してない。野菜をレンジでチンもふだんしないから疲れたときはもちろんできない。マヨネーズも冷蔵庫にない。

有賀さんの冷蔵庫は、私にとってはもうすでに「王様の冷蔵庫」だと思った。

今回のスープ本を制作している間、何がたいへんだっていって、編集者であるユリさんと私の、料理における「簡単」「めんどう」「できない」といった感覚のズレを合わせることだった。たぶん私以上にユリさんはずっとそれを感じていたと思う。
そう、料理の本を作る人たち、つまりシェフや料理家たちは、みんな料理が得意だし大好きで、おいしいもののためなら面倒な作業もいとわない、ヘンタイな人たちだからだ。
キャベツの千切りがたいへん?楽しいでしょ?
レンジがない?それならオーブンを使えばいいのに。そういう感じなのだ。

一日家事に従事することができて、料理にもたっぷり時間がかけられるような人たちばかりだったら、そんなマニアックな料理好きたちが作る、ちょっと背伸びするような料理本が喜ばれるのかもしれない。けれど今は誰もがなにかと忙しく、料理をする時間が十分にとれない。書店にはあふれるほどの料理本があるのに、自分にフィットする料理本が一冊もない。
ユリさんは、そういうことを自分のリアルな実感として持っていて、本の企画がはじまったとき、自分自身が手に取りたいと思えるような料理本が欲しいと私に言った。それはとても切実な悩みに見えた。

私はこの本のレシピを作るため、コンビニで初めてサラダチキンを買った。キャベツは切らずに手でちぎった。カレーには人参もじゃがいもも使わなかった(皮をむかなくていいように)。ここまで手抜きでほんとにいいの?と思っていたスープは、実際に本が出てみたら、みんながすごく作ってくれるレシピになった。

料理の好き嫌い、上手下手、関心の高さ低さ、そうしたものはみんながバラバラなのがもちろん当たり前だ。音痴だったり、足が若干遅かったり、そういう個性みたいなもので、料理が苦手だからといって特になんてことはないのだ。みんな違ってみんないい、みたいな話で終わらせてもいい。

ただ、何度も繰り返すけれど、ごはんは毎日のこと。永遠に歌わなくても生きていけるけど、食事せずに生きていける人はどこにもいない。だから悩む。

(コンビニの棚の前であんまり美味しそうでもなければ安くもないものから食べるものを選ぶのがすごく苦手)

ユリさんの、この感覚は本当に共感できる。私も帰りが遅くなってちょっと手抜きをしようとして、スーパーの惣菜売場で買うものがみつからず立ち尽くす日がある。料理の腕や冷蔵庫の充実度合いは関係ない。毎日のごはんをなんとかすることは、誰にとっても大変だ。

大変という感覚は同じでも、それぞれの大変さがどこにあるかは全然違う。私はそこをもう少し考えてみたくなった。

もっと多くの人のごはんの話を聞いたら何か見えるかもしれない。そんなことを思ってこんなイベントを立ててみました。(すみません、席が埋まっちゃっいました)

料理の凸凹コンビが二人三脚で作った『帰り遅いけどこんなスープなら作れそう』好評いただいております。


読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。