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1986年4月の鈴本演芸場へ 落語はラジオから聞いていて

小学校3~5年の頃に母方の叔父が相次いで亡くなり遺品整理でもらったラジオで落語を聞くようになりました。

当時住んでいた茨城県北茨城市は平らなのにラジオが入りにくくてチューニングに苦労しつつ聞こえたのが落語。

そこで好きになったのは先代の三遊亭圓歌師匠。
「中澤家の人々」「山の穴」の不思議な笑いに身を任せていると理不尽ないろいろが吹っ飛ぶ気持ちに。。

表面上は真面目に学校に行きつつ、いつか寄席にいきたいなぁと北関東の片隅から都会をうかがっていました。

周囲からは都会は怖いといわれたけれど、大学進学で上京し常磐線終着駅の上野鈴本演芸場に通えるように。

そこでみたのは耳だけで電波経由で聞いていた落語の生の声と様々なたくさんの音。
いろいろな落語家さんたちの仕草と声に魅了されました。
ときどき移動で疲れうっかり寝ちゃうこともあったけれど、眠っても周囲のざわめく音に癒されました。

1986年当時寄席に行くことを大学の友だちには言えない私はイクジナシでした。52才になった今、堂々と落語と寄席が好きだと言えます。

それはオバサンになったからかもしれないし、5年前長男が亡くなり笑ってなんとか生きていく勇気をもらおうとしてるからかもしれません。

春風亭一之輔師匠が「落語を聞いていれば大丈夫、死にはしないよ」とマクラで話してました。
そして「俺の落語を最後の落語にしないでほしい。もっといるでしょ?最後に聞きたい落語家さんは。」とも。
そして「冬場になると高齢の方もいるし・・体調は自分で判断してね。自分の落語会にも何度か救急車が来て・・結局亡くなった方がいて、そこ後その奥さんと娘さんもききにきてくれるんだよ」と。

多くの出会いと笑いを支える方々に感謝しつつ、またいつか寄席と独演会に行ける日を楽しみにしています。

地方に住むモノに配信はとても有り難いですが・・コロナの後も落語はききたい。できるなら生で。

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