見出し画像

女性

関わっていた女性に対しての認識。

関心ないものに無関心だが、友人か権威ある人に「あの人凄い」と言われると、手の平返して、関心持った態度をとってくる。合わせるように。

「困ったことあれば相談して」と社交辞令いう人がいた。
頼ろうとしたら、無関心にされた。又は人を心配してきて、どうしたいの?とか、何したい?とか言ってくる人も同意義になる。
相談しようとすると、避けられる。これも社交辞令と分かった。人に無関心なのに、関心持っているように装う振りと言うべきだろう。

「困ったことがあれば相談して」
経験するうちに、自分には地雷のようなものと思うようになった。地獄の入口。踊り時代とその周辺の苦い記憶。踊り楽しもうと言われても、ズレばかりでダメ出し受ける。人によっては「なぜ楽しまないの?」と切れられる。

なぜなら女性は楽しい話にしか関心がないから。無関心なものやキモイ物には排除をして、いる人をいないもののようにして扱ってくる。

 自分に話す内容も乏しく、発展するものがないのだろう。社交辞令になるうちにおかしくなった。努力して何か結果残しても、こういうタイプの人には無関心にされるだろう。逆に自分に関心持ってくる女性に、疑いをもって。問う。なぜ自分かと。答えられないなら繰り返すだろう。又は自分の描く作品に関心持ってくるのにも。

下手すると、人によっては、話し合わないだけで、拒絶されることもあるかもしれない。この話は女性に限ったことでなく男性にもいるだろう。特に沖縄にいた時に、こういう傾向の人が多かったような気がする。

 今好きな女性のタレントいるなら、元NGTの菅原りこになるだろう。数年前、テレビで見ていて、シュールな存在で面白い。唯一の例外だ。その一方で、ラジオで「魔法があれば、犬かワニになりたい」というトンデモ発言していたり、北原里英が卒業するときの番組で、替え歌を歌っているのを聞いて、衝撃を受けた。

 だんだん見ていくうちに、不思議キャラの自分に近い何かを感じるようになった。気づくとファンになっていた。本当の意味で女性に関心持ったり、ファンになるのは、彼女が初めてだ。存在そのものが、ギャグにみえるし、真面目で、どんくさいながらも魅かれる。

こういう女性を知るのは、人生で稀なのかもしれない。どこか自分の持つ要素に近い何かがある。

少なくとも、上記の社交辞令な女性像よりはましで、そう見えるだけかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?