dragoniata

沖縄のシーサーが好きで、シーサーの絵等、描いたりしています。 それ以外で、CORELの…

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沖縄のシーサーが好きで、シーサーの絵等、描いたりしています。 それ以外で、CORELのCOREL DRAWで書いたイラストを出しています。よろず屋なことを書きます。 時に抽象的な文書も書くので、よろしく。三木清、田辺元等の著作読み、書きします。

マガジン

  • エッセー

    主に書き溜めたことを書いて、文章にして出す所。

  • かいた作品を投稿しています。 主に人生のはけ口を書いたりしてます。

  • 整理 沖縄時代

    沖縄時代の苦い思いでの整理する場所。 同じ思い出を出すのが多いが、見方を変えたり、表現の仕方を変えたりして出す予定。話すだけ価値のないことになるが、沖縄で苦しんでいる人 の為に参考になれば望ましいと思います。

  • 哲学ノート

  • corel draw

    corel drawで制作した作品群。

最近の記事

  • 固定された記事

三木清の習慣(人生論ノート)をアレンジしたもの。

三木清という哲学者の考え方の適当な解釈。 自分が、人間関係を研究するなかで、参考にしてた物の一つ、用いて、組み立てた。 人間の習慣。 1.人間は、習慣に包まれている。 引用、人生論ノート、習慣についてから、幾つか拾って。 人間の持つ習慣は、人間の第二の自然と言われている。それは、生活史の基盤とも言える。 それは、意識と生命の原形式とされる。 意識は外に向く。生命は内的だが、互いに作用する。矛盾して。 2 習慣は、意識と生命により動く。 3 生命と意識により、人間は

    • コロナワクチン

      コロナワクチンによる健康被害は言われているが、因果関係以前に国はワクチンするのは選択の自由と言ってたが事実上、民間で強制扱いになった。マスコミや河野が煽ったからだ。 選択の自由なのに、何で強制されないとならない? 断っただけで、なぜ家族の縁を切られないとならない? 常にそう思う。 家族はテレビの影響を受けた。 そして旅行に行くなと言ってきた。図書館行ったら、マスクしろと言ってきた。狂っていた。 家族にCBCの大石解説を見せると何も反発なし。 新聞に解説されている記事見せ

      • 承認欲求と愛情は表裏一体

        承認欲求と愛情は表裏一体。 人間関係で承認されたり、愛されたりして認められていき、自己を作る。 かといって共感や愛情、幸せで挑発されたり、煽られると、人によっては怒りや悲しみ、悔しさしか残らない。 怒りや悲しみ、悔しさしかない人にとっては共感性、幸せが乏しいから。 それが乏しくても生きていかないとならない現実がある。 純粋そうな人間特に女が純粋な顔して問いかけてくるやり方は残酷だ。 えぐられたくない所をえぐってくる。逆に言うとするどい事を言われると、翻り身を守る可能性が

        • 共感 天秤

          生きていて常に挑発される 共感性に 仲間意識の共感性に 仲間は素晴らしいと煽られて 夢を植え付けられては 挑発される 共感しあえばそれでよし ダメなら他に行け 孤立するならそれもよし 孤立しても 場合によっては「仲間だろ?」と 言ってくる 下らない 仲間意識の排除は 共感の排除 ソーシャルワーカーは 共感うたっては仕事する 共感からズレれば 病院行けと言われる 精神病院で薬漬けにされていく 共感性は 共感と排除の天秤でなっている

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        三木清の習慣(人生論ノート)をアレンジしたもの。

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        記事

          個人の楽しみと集団の楽しみ

          個人の楽しみと集団の楽しみは同じのように見えても異なる。 集団の陶酔は集団の中でカリスマを崇める形でなる。 個人はその中にいると染まる。陶酔するものに沿ってしか思考しなくなる。 その逆の事を思考はしにくい。 個人の楽しみを行う場合、集団に影響されることもある。 個人と集団が同一な物として扱われてて、一体化されていったなら、 二重化しているので、両者の対比と峻別が難しくなる。 集団にいた価値観で個人の主体が限定されていくから。 しかし、個人の楽しみは集団の価値観と同一の

          個人の楽しみと集団の楽しみ

          村八分

          沖縄ほにや 嫌ならやめればと思った。そういわれてもいた。 そうだと思う。 その一方で、やめると村八分になる感覚アリ。 承認されることのみ求めてた部分があった。 辞めると、孤立の対象になる事があった。心理的に。 直観湧く場所としては良かったが、些細な会話のずれで 封殺されてストレスになっていた。 楽しそうな人が多かったが、 どこかで合わなさがあった。 踊りを「楽しむ」事は言われていたが それはどこか強迫観念的な同調性によって 成っていた。 どこかで自分の楽しみが沖縄ほ

          御伽草子 よさこい踊り ほにや

          御伽草子 沖縄ほにや時代、最後に踊ったのは「御伽草子」だった。 たしか、2006年の時だった。夏のイベントで踊った。本当はやりたくなかったと思う。しかし、やってみて、却って良かった。[楽しい]言う意味とはべつに。 よさこい踊り自体、動作に合わせる事しか会なく、楽しめてないと言われて 不満だった。その上、抽象性の観念に対して沖縄ほにやの人間は「役に立たない」と言っていた。言ったのは副リーダー、リーダーだった。 当時は、卒論もどきを自分で勝手に書いて、自分の立場を作ったば

          御伽草子 よさこい踊り ほにや

          沖縄のキャンセルカルチャー

          キャンセル 沖縄はキャンセルカルチャーを言ってきた。 日常では過去の恨み言には無関心なくせに、県単位になると基地問題、沖縄戦に対する平和教育で、恨みを言ってくる。 2019年の辺野古闘争でも、内地に恨み言を言って大手新聞に記事にされて、宣伝されていった。当時それを聞いてて、精神的にきつかった。 沖縄での不満を言う事は許されてなくて、沖縄県としての不満の実は本土に対して言う事は許されていた事に。 沖縄時代の知人にそれを言っても無関心だろう。 言えば、周囲に目をつけられて

          沖縄のキャンセルカルチャー

          仕事

          今日、作業で文句言って、PCサイトの更新作業の更新数を管理している人間ともめた。無意識に動いてもめた。 チクられて、違う仕事に回された。 障害雇用の仕事でA型。 相手とチャットしていて、私は在宅作業で仕事している。 相手の顔はわからない。わからなくてもよいと思う。 話したこともないから。 在宅になってから、在勤の人間と接したことはない。 会社にとってはそれでも、もうかるのだろうから関係ないと思っているのだろう。5類になってもだ。 相手はおそらく、精神の人間だろうと思う

          デニーへ

          この文章はXでのツイートをまとめた物。 昔、2019年の時に、沖縄県の辺野古基地反対運動で、沖縄県側の話を本土の新聞が取り上げたりしてた。読んでて沖縄側の被害の話ばかりだったと記憶している。聞いてて、沖縄にいた時に理不尽な事を言われた経験が出て鬱気味になったことがある。それで違う方向に言って失敗した。 最近、その原因は県側の反対運動とそれを支援してた行政にあると思い、知事に文句言った文を集めた物。言っても無駄だろうと思うが。 文句  昔、今も辺野古基地問題されているが、下

          暗い人格

          楽しい事を考えることが苦手だ 楽しい事を考えることが苦手だ 下手に出す。一人で楽しんでも他人に共感してくれないと自己満足になる。 又はされる可能性になる。 楽しいことはみんなですることになる。 それはみんなで楽しいことを共感しないとならない、と言う事になる。 他人と話が合わないことは苦痛に近い。 合わせててもだ。時に人の話ばかり聞いてて、充実してても、それのみで何も話せれないのはやがて苦しくなる。 何か言われて、悲観的になるとおかしくなることも多い。 上手く言ってい

          沖縄で経験した主な人間関係

          沖縄 県民は楽観的に見えるが、関わった限り見ると悲観的なのが多い。 時間にルーズでおおらかな傾向なのに楽観的よりは何かの失敗に対して執拗に言うのがいた。 この失敗は縄張り意識内での失敗になるのかもしれない。 沖縄にいた当時、楽観的にいたかったものだが、甘かった。 話のずれや些細な発言で言ってくるのがいて、心が折れることが多かった。ときには些細な会話の後で、電話で抗議してくる。 彼等の起こり方は論理的でなく感情的で、強い剣幕で「他人の立場に立ってみて」と言ってくる。 そ

          沖縄で経験した主な人間関係

          整体

          整体の安い体験が町の中心地で、日曜市場で行われている。 行われているが、やる側はよく知っているので、ソフトにきつい事を言ってくる。体つきを見て直したほうが良いと言ってくる。 又は「整体チャントしてないとダメ」と言ういい方もしてきて、問い方次第によっては、このセリフが決まり文句に帰される可能性がある。 もし、コロナワクチンの問題で問題が発覚したら、次は整体師が台頭して、医者のような顔をするかもしれない。 彼等も健康の問題を司っているので。 同時に商売をしている。体験しなが

          楽しいと言う言葉に対する嫌悪感。沖縄時代

          楽しいと言う言葉を聞いていつも嫌になる。 それは自己満足と紙一重で、その他大勢に合わせないとならないと言う 強迫観念があるからだ。 20代の大半を沖縄で過ごしてしまったためか、そのような考え方になった。 今思うと、失敗した。 安易に癒しと言う言葉に煽られた。 それは沖縄県の観光戦略の言葉にもあった。 沖縄でのストレス 沖縄でのストレスは夢があるように思えても、それは口だけで 些細な交流で、話次第では目の前で他人に「意味がない」と言う言葉で価値が無いようにされる。 自

          楽しいと言う言葉に対する嫌悪感。沖縄時代

          創価的な父性がいる

          創価的な父性がいる 創価的な父性がいる。いた。 それはカリスマ的な人や物を賛美、自己陶酔させる。 その現象を周りに働きかけては、時に思考停止させる。 疑問を持たせようとさせない。 この崇拝性からズレると、排他的に排除しようとしてくる。そして物を楽しもうと言ってくる。 彼等はカリスマ的な人間を中心として関係が作られている。そして人が「生きているトーテム」となり、自身のイデアを形を変えて働きかけては語る。その経験の現場が沖縄ほにやだった。 創価と沖縄ほにやの二重性。そして

          創価的な父性がいる

          要約 弁証法の理論と歴史 三木清

          弁証法の理論と歴史 (三木清 全集19巻 岩波書店(1968)) この論文はパンフレットのような紹介論文。15ページの。 主に弁証法の歴史を哲学史を介して説明した物。 ゼノン、パルメニデス、ヘラクレイトスを介して、プラトン、アリストテレス等からヘーゲルを介してマルクスに至る道のりを言っている。 弁証法とは思考を段階的に思考を行い止揚していくもので、植物に例えると、芽が出て、葉をつける。苗となり、種の段階は否定されて伸びることになる事を言う。(ヘーゲルは葉と実と花の例で言

          要約 弁証法の理論と歴史 三木清