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ユーラシア大陸を走る食物アレルギー人間のエッセイ、否もう少し散文、よりももっと雑談。

 赤土の砂埃が道の果てまで舞っている。風を切る。アクセルをひねる。130キロで身体が前のめりに繰りでてゆく。
 路面は整備されていなく、ツルツルのアスファルトの上を赤土が薄く覆っている。前を走るトヨタのハイラックスが砂粒を舞い上げるたび、130キロの飛礫が顔面に降りかかる。生憎、俺のヘルメットはクラッシックタイプだ。顔が痛い。
 ただ砂と排気ガスだけの舞う田舎道を、俺はわざわざ自ら望んで来ている。ただ何十時間も、ひとり広大な大陸を、それは最早、迷走に近いのかもしれない。

 元はと言えば、もっと時間をかけてゆっくり、タイを観光するつもりだった。楽しく海外を味わうつもりだった。だけれど今こうして、タイ一周に向けて2日で900キロと、途方もない距離を走っている。レンタルバイクも、ガソリンも高いけれど、走っている。快楽のためでない消費が投資だと云うのならば、これは投資なのだろうか? 俺は、走っている。
 広がる赤土のサバナの奥には亜熱帯のジャングルがかすかに霞んで見える。生の気配は無い。荒涼としている。
 朝、朝食を摂りにセブンイレブンに寄って、だけれど裏の成分表示を見たら全部タイ語で、なにが食べられるものでなにが食べられないものなのか分からなかった。俺は仕方なく日本から持ってきたインスタントの長ねぎの味噌汁を、箸がないのでストロー2本を使って不器用に食べた。これも旅行の醍醐味と言ったらそうなのかもしれない。そうなのかもしれないけれど、ちょっとなんというか、滑稽だ。

 カンボジアとの国境、目的地に着けば、灼熱で、蚊より少し大きい蠅が無限に顔に張りついてくる。現地の人たちと野犬たちは素知らぬ顔をしている。野生だ。俺はまだ、本当の意味での人類になりきれていないのかもしれない。city boyの甘ちゃんなのだろう。自分が、自分の少し軽蔑していた人間側にいたことを知る。それでもまだ、熱風や蠅に苛ついているのは、自分の弱さというか、傲慢さだ。虫刺されが痒い。やっぱり痒いのは嫌いなんだ。

 タイ語は、コップンカーとガオヌン、しか知らない。コップンカーはありがとうという意味らしい。行きの飛行機で話しかけたタイ人のおばさんから教えてもらった。
 ガオヌンは、どうやら91という意味らしい。91はガソリンのレギュラーのことだった。
 これはガソスタで英語の分からない店員と、どうしようもなくなって調べて知った。to be fullも伝わらなかった。ガソスタでガソリン一滴さえ入れられないなんて、言語の溝を感じる。俺は日本人にしては少し顔の凹凸があるし、アジア人として溶け込めていると思っていたけれど、周囲の堀には水が湛えられていた。
 恋人だろうが親友だろうが結局、相手の心を覗けない以上、究極的に人と人は分かり合えないのだし、だからどっかで諦めなければならないのだけれど、いまだ俺はそれを諦められずにいるんだと思う。
 平行線で正しかったものを、わざわざ捻じ曲げて交差させようとするから、交差したあとは、ハイ、サヨナラ。
 でも人間って傲慢だから、って言っちゃえば、それでお終いで、だからもう少し、丁寧に諦めていかなきゃいけない。あゝ、諦めることって、果たして強さなのかな。そう考えている時点で弱いのだけれど。

 強くなりたくて、わざわざ海外に一人旅なんてしにきた。このお金があれば、俺はどれだけ自分の時間を取れただろうか。やらなきゃいけない原稿や仕事や練習は全て日本に置き去りで、でも、それでいいのだと思うことにした。
 実を言うと、勢いだ。親愛なる友人方たちからの、海外旅行のすゝめを聞いて、そして二年近く付き合っていた彼女と別れた契機に、思いつきだけで来た。飛行機以外のあらゆる予約は全て2日前に抑えたのだった。
 しかし、ひとりで海外に行けば人は強くなれるのだろうか、と聞かれたら、やはり俺の考えは安直極まりなかったのだろうと今になっては思う。なぜだからか、発達障害だからか、思慮深い複雑な思考は俺にはできない。でもそういう感情に安直な人間だから、こう在れるのだろう。俺はそういう人間だから、こうして色々な繋がりを得ることができ、愉快でファンキーで在れるはずだ。考え込みすぎて象牙の塔に篭って、あゝ、俺はそれに辟易としているのだ。理論ばかりなのは少し苦手だ。青学を中退して芸大に来たのも、結局はそこだったわけだし。理論ばかり学ぶ授業は学問であって学術ではないのだ。
 だんだん話にまとまりがなくなってきた。けど、この文章は作品では無い。俺の脳内の整理用ノートだ。いいだろう。そう、雑談にすぎないし、別に無理に読み進める必要もないのだよ?

 夜道を走る。借りたGPX Legend200のヘッドライトはハイビームにしても暗い。タイの田舎は、幹線道路とは言え灯りは少ない。数百メートルごとに、大量のクリプトン球の街路灯があって、また数百メートルして真っ暗になる。その繰り返しだ。

 誰かのテールランプがあれば、道の曲がり方や高低が分かる。それに着いていけばいい。でも、それは速すぎたり、遅すぎたりする。だから俺は、自分で走らなければならない。いつも。いつも。

 そうしていると、ふいに途方もない孤独感が背後からヒタヒタと脳髄へ上ってくる。それは漠然とした不安のような、それでいて直径5メートルほどの具体的な穴のような、そんな心地がする。
 でも、俺は、その感覚にどこか慣れている気がした。俺はかつて、その不安と友達であったし、その穴と恋人であった気がした。いつのことなのだろうか。あの学校にも家にも全く居場所のなかった日々、いやもっと、もっと根元的な……。
 俺はずっと孤独だったのかもしれない、と少しだけ思う。日本でも、変わらないことだったのかもしれない。俺が望んだ“ひとり”という環境は、ずっと身のそばにあったはずで、でもそれに今までは気づけずにいたのだと思う。俺は、このユーラシア大陸を走る食物アレルギー人間として、漸くそれを発見したのだった。

 上記の、海外旅行を勧めてくれた日本語の上手い友人から、『孤独は色んな時に使える』と言われた。きっと孤独は、自由さや新たな出会いや、その他諸々とのトレードオフの関係で、だから、生きて何かを求める以上、上手に孤独と付き合わなければならないのだと、知る。それは決してべつに諦念などではなく、ただ『色んな時に使える』ように。
 それはある種、最も本能的なようにも思う。誰もが皆、生活をしていくなかで。灼熱や蠅柱に構わずに接客することのように、あるいはストロー2本で不器用に味噌汁を飲むことのように。


 赤土の大量に入った瞼の裏が鋭く痛む。サングラスもゴーグルも着けずにノーヘルで走っている地元民の強靭な眼球と角膜が羨ましい。俺は少しだけ、眼球も強く在れたら、と思う。左眼の目頭を左手の人差し指の先で擦ろうとすると、汗の匂いに混じって、少しだけガソリンの匂いがした。
 あのガソスタの店員は、バイクで帰ったのだろうか? 俺がもしタイ語を覚えたら、彼に砂対策のコツを訊いてみたいな、と少しだけ思った。

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