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『自分を知る』~摩訶不思議~

皆さん、こんにちは。楽しくお過ごしでしょうか?

私は、20年前に起こった事を何から伝えようか、何を出せばいいのかを考えながら、この「note」を前に待機している。

それでは、今回は、前回の続きとして、『自分を知る』になっていった経緯をお伝えしようと思う。

主催者が言っていた「素敵な人」は私には不思議で変わった人に見えていたので、今後は【不思議ちゃん】と呼ばせていただく。

不思議ちゃんも、とにかく初めて見る人間に当時、見えていたのだが「感じる力が強い」とも聞いていた。また話かけづらくなったのは「人が考えていることも、先生ぐらいに感じられる」と聞いた記憶があり、そこから一瞬で見る目が変わり用心した。

自分の中身が見透かされてるとか、透視ができる人のようにも捉えたからだ。当時から、いちいち、そういうものに弱く、人が見えないものが見えるとか、霊能者だとか、そんな番組を食い入るように見ていたし「宇宙人は絶対にいる!」と確信していた自分だった。

今、思えば、自分が一番、「不思議ちゃん」だったではないかと自覚できる。その不思議ちゃんは、やはり不思議だった。何かを聞くと、ちょっと止まって視線を外し、何かを考えているのか、数秒の間(ま)が必ず起こっていた。

「ん?」

となってから、ゆっくり思ったことを話すのだった。それがいかにも、私のような凡人には分からない何かを感じ取ってるように見えた。だが私の本音は毎回、

「だから、何なんだよ、その間は!普通にしゃべれよ、普通に!」

だった。そして言われることは、ストレートに突き刺してくる言葉が多かった。

当時のアイの会での私は、我れ先に、すきあらば先生に質問し、おまけに、ちょうどいい年頃の方をゲットしていた。ようは、パートナー探しでもあり、男性がいないと駄目な私は、先生に相手にされないと分かると、これみよがしに、そこの参加者に手を出していたのである。

しかも、その方は、すでに参加者の中に彼女がいたのである。私は、そのことを全く知らなかった。その彼女は突然、別れを切り出されてしまうことになったいたことも、あとで知ることになる。

そんな私は当然、すでに出来上がっていた、2年以上のコミュニティの仲を引っ掻き回す、最悪な存在であり、そこから嫌悪の視線を360度から浴びることになった。

当然のことである。だが私は引き下がりもせず、嫌われてる視線をビシビシ受けているのに強がり、彼女にお詫びすることもなく、平然を装って参加しつづけた。だが人間は弱く、前に陣取る私に対して、明らかに敵意をもった視線と、

話したこともない方が、睨んでくる目を見て、そのコミュニティの関係性をよく知らない私は、実際、私の事をどう思っているのかが気になり、いつも息が詰まるような状態だった。

自分のせいだが、当時はそんな内面を出さず、平気なふりをしていたが、限界になった時に「思っていることは出す。」というような話を先生から聞いたので、

「よし!こうなったら、聞きにいくしかねぇ!」

となり、意を決して3人に絞って、休み時間に声をかけた。

一人目は、異様な目力(メヂカラ)で嫌悪をあらわにする、元カノの友人の主婦である。

この話の前に、恨まれていたであろう、その元カノは、私の目からは『ムンクの叫び』の絵画に見えていたので「ムンクさん」と命名する。

もちろん命名は、数年後ではあるが、当の本人にも私の本音は伝えている。

「○○さんってさ。『ムンクの叫び』に似てない?可愛い風にも見えるから、あのムンクの頭の上にリボンをつけてるようなさ。そんな風に見えるんだよね。」

と言った。先生は日頃から「正直、素直、オープン」と、伝えて下さっていたので、参加者は、どんどん正直になっていったし、その中でも私は「ド」がつく「ドストレート」でもあった。

先生からは
「あなたは直球なんだよ。というか豪速球なんだよ。」

みたいな内容を言われたような気もする。当然、先生に出逢うまでは、そんな自分だと思いもしてないし、本音はひたすら隠していた。だが「アイの会」は素晴らしく、私のストレートさを全開する場にもなった。

先生は、自分を知るために、「自分の為だけに生きる」ということを身をもって、生き方で見せてくれていた。そして音痴だった先生は、歌を練習し、憧れっだったらしいギターまで練習し、ライブを開催しライブハウスまで造り、ファンクラブなるものまで作って、

私たちに『楽しさ』を経験させてくださり、実際にイベントやライブなどを使って、実践しながら『自分を知る』ということをさせてくださった。この軌跡は、またの機会にお伝えしていこう。

話を戻そう。

この、自分でも的を得た表現に満足しながら、彼女にネーミングしたのは、その先生のファンクラブの会員として、「どんなところがファンになっているか?」などの、インタビューの最中であった。

「ムンクの叫び」に見えると思わず発した後、ムンクさんは絶句し、隣でインタビューをしていた、もう一人の方が、大爆笑して腹をよじっていた。インタビューが中断した。

笑いをこらえてインタビューを続けようとはしてくださるのだが、もう意識は「ムンクの叫び」に持っていかれていた。自分で発したものの

「それは、笑い過ぎじゃないか?あんた、ムンクさんの仲間だろう?失礼じゃないのか?」

と、ここでも、自分が一番、失礼なことを発していたことも忘れていた。だがムンクさんは素晴らしかった。

「ムンクの叫びかぁ。確かに…。そうかも…。似てるよね…。」

と、明らかに引きつった顔で答えて下さった。

『自分を知る』ということは、イバラの道である。だが素直さがあれば、それを認め、受け入れられ、全く別の感覚の世界を手にすることができる。

だから、人からの正直な意見こそ、世間から見られている自分を知る事が出来る、貴重な意見であることも、先生に出逢えたからこそ知れたし、その超事実を的確に伝えてくださったのも先生だった。

参加者は、そうやって事実を伝えられ、その事実を調べ、認め、受け入れられたものは、今では、まるで違う自分と出逢えているようだ。そして、この私も、その一人である。

この感覚は、『自分を知る』を実践した者しか分からないことがあるので、どんなものなのかを伝えるのは難しいが、経験談は伝えられるので、そこを伝えていきたいと思っている。

ずーっと話は戻って、場面は「アイの会」の会場である。当時は、参加者の中に自分の自宅を使ってくださる方がいた。そこで先生は伝えていた。気になった主婦の方は、ムンクさんと親しいようだが、詳しいことは分からない。だが、私の事はガン見してくるのであった。

「なんなんだよ、アンタは!文句があるなら、直接、言いに来いよ!」

と思う自分がいた。相手からの、明らかな敵意むき出しな態度も、初めての経験だったが、ビクビクおどおどする割には、その方の、あからさまな態度にムカついていた。また、何を考えているかも分からなかったからだ。

だが、気が小さいので、

「あの、ちょっと聞きたいんですけど。私の事をどう思っているんですか?」

というような内容だったと思うが、意を決して話しかけた。その自宅の台所の前にある二階へ続く階段に、どっしりと座っておられた。その方は、一瞬、ギョッとして私を見たかと思うと、いきなり手を引っ張り、隣に座らせた。

「え?なになに?また強引な。叩かれやしないか?いや、しかし、なんて言われるんだろう。怖い~。(>_<)」

だったが、今、思えば

「何なんだよ、お前は!急に引っ張りやがって!ビックリするだろうが!」

だったはずだ。セリフと中身は、まるで違っていた。そして、その主婦は、おもむろに話し出した。

「私は、カピバラさんの事は、正直、どうも思ってないんよ。でも、ムンクちゃんは友達だから、落ち込んでるのを見たら、心配になるのよ。どうしたもんかなぁって。」

みたいなことを話されていた。だが私の中身は

「いや、嘘だろ、それは。どう見ても、私を嫌ってたじゃないかっ!どうも思ってない訳なかろうがっ!心配だと?嘘をつくな!アンタは、どう見ても私にケンカを売っていた目だぞ、あれは!」

だったと記憶している。だが

「そうでしたか、良かったです。ほんとにすみません」

のような、当たりさわりのない、思ってもない事を言って、その場を去った。私の目標は、とにかく思っていたことを出して、気を使っていた人に声をかけて自分のことを聞く事だった。

次は、超本人のムンクさんである。この方には、自分はムンクさんたちの事を知らなかったにしても「悪かったな」とは思っていたから、一言、謝るべきだと、当初は思っていた。もちろん、ていよく許してもらおうともしていた。

目力がある主婦の迫力はないムンクさんだったので話しかけやすかった。なので一応、「申し訳なかった」か、何かを言ったのだが、ムンクさんは、怒るわけでもなく静かに答えた。

「うん。もう大丈夫よ。カピバラちゃんのことは。もちろん初めは、いろいろ思ったよ。」

みたいな話だったので安心しながら、思ってもない軽いタッチの詫びを、再度、言うと

「ううん、いいの、いいの。心配しないで。カピバラちゃんには、もう何百本も針を刺してるから。カピバラちゃんは、もう何回もアタシから殺されてるから、大丈夫。」

みたいなことを、サラッと言われた。その内容に驚き、理解するのに数秒かかった。その内容と、それを発するに、ふさわしい態度ではないのである。感情があれば、そんなセリフを出すとき、少なくとも動揺や苦しみが、にじむものだと思うのだが、まるで無かったので気持ち悪さも感じたのだ。だが数秒で沸点に達した。

「は?今、なんて言った?針を何本刺しただと?お前、今まで、シラ~っとしながら、なんて事してくれとんのじゃ!針をどこに刺したんじゃ!私に、なんて事するんじゃっ!」

だった。怒ると非常に汚い言葉になる。その時、後ろから刺されていた感覚になり、この陰湿さと、そんなことを本人に言ってくる異常さと、何をするか分からない気持ち悪さと、ここまで恨まれていたという自分を知って、その場を去った。

詫びる気持ちがサラサラなかった自分だとも分かる。こんな私であった。文句が出ながらも「当たり前だな」とも思った。こうやって少しずつ、私は自分の実態を知っていくことにもなった。

そして最後。不思議ちゃんである。感じる力が強く、見透かされているのではないかと思ってからは、不思議ちゃんへの見方が変わっていた私は、不思議ちゃんの実態が分からないのに、先生から聞いたものを、うのみにし事実を確認もせずに、そんな人なんだと思い込む、おバカであった。

「不思議ちゃん。私の事をどう思っているんですか?」

に対して今回は、即答で

「え?嫌いだよ。」

に固まった。先生から言われる嫌いとは違い、トゲがある様にも感じたし、また本人を目の前にして「嫌いだ」と言うのは日本人では珍しく感じたし、先制パンチを食らったようで動けなくなった。

「あなたのようなね。私が、人の気持ちが分かるとか聞いたとたんに態度が変わるような人はねぇ…」

と話し出していた。その内容は、図星だったり、また「嫌い」などと、直接、女性に言われたこともなかったので、ショックで手が震えたりもしていた。私は、なんて弱く、人に嫌われる事に対して、こんなに衝撃を受けるものなのか。

そして、ここまで皆に嫌われているとは思ってもいなかったが「本当に嫌われていたんだな」とショックも受けたし、3人にぶつかっていき、ヘトヘトになった。

疲れ切って、アイの会が終わった後、他県から参加しているグループの方々から「食事に行かないか」と誘われた。

その他県のメンバーは、当時、私がやらかしていたことを見たわけではなく、噂で知っていただけとのことで、なぜか比較的、好意的に話してくださっていた。

その中の一人が、今回の私の行動を見ていたらしく

「カピバラちゃん。あんた、あの人たちに、何やら、言いに言ってたろう?凄いよ。よくやったなぁって思ったよ。ほら、食べよ食べよ。お腹すいたろう?」

と言ってくださったのである。その時の私は必死だったのだが、必ず見ている方がいて、また違う見方をしてくれていたことも知れ嬉しかった。そのメンバーの方々は気さくな方が多く、ずいぶん助けられた。

この時も、美味しい和食をご馳走になったのだが、人からのご馳走では少し遠慮してしまう私だったが、この時は、相当エネルギーを使っていたようで「これも食べていい?」と珍しくおねだりした。

ご馳走してくださった方は「遠慮なく食べたらいいよ~!!」と、気持ちよく食べさせて下さり、そこにいた皆が、この行動に対し、ねぎらってもくださった。当時の私は弱いくせに強がり、また人に嫌な思いをさせていることにも気づかずにいた。

そんな自分に気づくこと、それぞれが自分のやっていることや、中身を出せる環境を先生が作ってくださっていたので自然と自分の事を話せたり、皆さんの事実を知っていくことも出来た。

やっていることは最低な事ばかりだったと分かってきたが、先生から、それに対して責められたり、なじられたり「直せ!」と言われたことは一度もない。ただ、

「そんな自分だと気づいているか?」「そんな自分だと知ってたか?」「そんな自分だと認めたか?」

だけだった。先生は、私の事実をそのまま伝えてくださっていたが、傷ついたことが一つもない不思議があった。また先生から「否定された」と感じたことがない。

「あなたのような人は嫌いだ!」「あなたのそういうところは大嫌いだ!」

と言われるのに、否定も拒絶も感じない不思議があった。それは、先生は、こんな私であっても否定も拒絶もしていなかったからである。これはとても難しいことだと思う。

先生は「あんた達よりひどかったんだよ、俺は。」とよく言われていた。だから私は救われたのである。自分より、ひどい癖で生き、自分の事を理解してくださる存在がいて、私以上に私の事を知っていて伝え続けて下さったことは、この上ない喜びである。

不思議ちゃんに「嫌いだ」と言われて衝撃を受けたが、先生からは「また話に言ったら、違うことを言われるはずだよ」とアドバイスを頂けていた。

翌日もチャレンジしに行くと、昨日とはまるで雰囲気が変わっていて

「あなたは「嫌いだ」と言われることが、苦手だったでしょ?だから言ったのよ。私、嫌いとか好きとかないのよ。皆、体は大人になってはいるけど、中身は子供の時みたいに、純粋なんだよ。皆、同じなんだよ。」

みたいなことを話していた。当時は感心したし、

「なんだか誰も知らないことを知っているような、普通では感じないようなことを感じている人なんだな。」

と思っていた。のちに色んな実態を知っていくことになるのだが、この方は当時の私には、やはり不思議であった。

このようにして、そこにいたメンバーに嫌われながら、その方々の事は、まるで分からず勘違いしながら先生に会いたいだけで参加しに行った。だが、この皆さんのおかげで、私は色んな人間がいること、クセは財産であることを知っていく。

当時の出来事は、記憶も前後するし、セリフも完璧には思い出せていないが『自分を知る』方法はハッキリと覚えているし、ある程度は身についたと思っている。

今後は、こんなバカなことをしでかすばかりの私が、どうやって気づいていき、今も現役でやっている『自分を知る』について実況しながら伝えていけたらなと思っている。

自分をさらけ出すと、ドン引きされるだけなのは分かっているが、これが「私」である。

そして今は、この私を誇りに思っている。

「よくここまで、最悪になってきたもんだ」

という誇りである。この自分に気づけ、認め、今は受け入れられるようになった。先生を始め、全ての存在に感謝しかない感覚になる。
こんなに最悪な自分を知れば知るほど、安心し満ちていく不思議があった。

この世も自分も摩訶不思議であるが、壮大な『自分を知る』ゲームの場であることを知れた。伝わらなくてもかまわないのだ。「自分が伝えたいだけだから。」なのである。

誰が、このことに気づいて、この大いなる仕組みを知りながら人生を歩んでいくのかは、まるで分からないが、私も自分を知るために、やりたいと思ったことをやっている。

このような道具が使えることも、豊かに暮らせ、自分に向き合える時代になっていることも嬉しい。100年も前なら、あり得ないことが、今、普通に起こっている。このチャンスをフルに使いたいと思う。

それでは、今日はこのへんで。
また、お会いする日まで。

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