見出し画像

「Facebook」について

僕はFacebookというものをあまりよく知らない。よく知らずに、自分の個人的な体験に基づき、「偏見」とか「不安感」を持っている。

したがって、以下の話はあくまで僕個人の意見である。もしFacebookに詳しい人がいて、僕の「偏見」や「不安感」の見当違いな個所をご指摘していただけるようならば幸いである。

僕は、そもそもが固有名詞や個人情報をネット上で晒すことについてリスクを感じるタイプの古い人間である。リスクはあってもメリットを感じない。

「自己紹介」にも書いたとおり、Facebookやインスタグラムにおいて、自分がいかに充実した毎日を送っているか、いわゆる「リア充」ぶりを得々と書き綴っている人たちが世の中には多く存在するのは知っているが、ああいうのは書いている本人以外に読む人がいるのだろうかといつも思う。知り合い等が義理で「いいね」を押してはいるものの、ホントにちゃんと読んでいるのだろうか。「いいね」も日本人の「同調圧力」の一種ではないか。

一方で、Facebookのお陰で、昔の同級生と再会できたとかいった「あるある話」をたまに耳にする。たしかにそういうこともあるのかも知れない。でも、長らく連絡を取る必要のなかった人同士が、何十年かぶりに再会できて、具体的に何か良いことがあったのだろうか。

といった具合で、Facebookに何も魅力を感じていない僕であるが、それでも大昔、Facebookの日本語版サービスが開始した当初くらいに、ためしに登録してみたことはある。

で、すぐにIDを削除した。

削除した理由は、今でもあるのかどうか知らないが、「知り合いかも」と称して、いろいろな人たちの名前のリストが上がってくることに、何やら「うさん臭さ」を感じたからである。

詳しいことは知らないが、Facebookの中の仕組みとして、学歴、職歴等の個人の属性を一定のロジックに基づいてマッチングさせているのであろう。それと、当時は今よりも個人情報の取り扱いが緩かったであろうから、もしかしたらパソコンやスマホ等のデバイスの中を勝手に巡回してメアドや電話番号を拾っていた可能性も否定できない。

というのも、当時、「知り合いかも」リストの中に、あまり大して親しくもない、メールを何度かやり取りしただけで、名前も半ば忘れかけていたような相手の名前が上がってきたからである。その相手とは仕事とか関係のない場で、たまたま知り合っただけなので、職歴等の登録情報からマッチングさせることは不可能である。

「余計なことをするサービスだ」というのが、その時の僕の印象である。要するに無料でサービスを提供する代わりに、いろいろな人と人の人間関係というか、ネットワークに関する情報を大々的に収集するのが狙いなのだろうと直感的に思った。

個人を点でとらえるよりも、ネットワークというか他者との結びつきでとらえることで、より多面的に理解することができる。意外な人同士がつながっていることを発見することで、新たなビジネスチャンスのヒントが見つかるかも知れない。人間関係というのは貴重な個人情報であるし、Facebookの創業者はホントに頭が良いのだろうと思った。

でも、何に使われるかわからないのに、自分の情報を知らない会社にせっせと提供する必要はないと思ったし、そもそも自分の実生活に関する私的な情報を頼まれもしないのにネットにアップする趣味もなかったので、即座にFacebookのIDを削除して、それ以来、もう10年以上はFacebookとは無縁の生活を送ってきたというわけである。

ウチの子どもたちに聞くと、最近の若い人はFacebookはあまり使わないそうで、「あれはオッサン、オバサンの出会い系」とか「オワコン」という評価であった。そういうこともあってか、Facebookを使わぬことに何ら痛痒を感じたことはなかった。

ところが、半年ほど前にそのFacebookに久方ぶりに登録することになったのだから、人間のやることはわからない。

理由は、今いる会社で僕も関わっている社内イベントのFacebook上のページを立ち上げた関係で、僕もそれを閲覧できるようにしてもらいたいとの要請が事務局の方から来たことにある。前々の経験から、Facebookにはあまり良い印象を持っていないものの、そうした個人的な理由で僕だけワガママを言うのも大人げないかなとも思い、いまさら活用する気はないものの、単にIDを登録するだけならば大丈夫かと思って登録をした次第である。

したがって、登録したものの、しばらくは放置していた。というか、今も放置している。

それでも、ポツポツと「友だち申請」が来る。会社関係者とか、会社と関係のある人たちからである。昔からの個人的な関係者は一切いない。「友だち申請」が来ても、しばらくはスルーしていたのだが、せっかく申請が来るのにスルーしたままというのも何やら失礼な気もしたので、リアルに会ったことがある人に限定して承認をしているうちに、気がついたらそこそこの人数の「友だち」ができてしまった。

そうなると、例の「知り合いかも」機能が大いに発動し始める。たぶん「友だちの友だち」に該当するような人がリストアップされているようである。それを見ていると、「あの人とこの人は知り合いだったんだ」「へえ、意外だ」というような新たな発見があったりして、ちょっと面白い。人さまの秘密を覗き見するような感じに似ている。

Facebookで自身の情報を積極的に発信をする気持ちは今後ともまったくない。それでも、知り合いの人間関係を眺めるのは興味深いし、タイムラインという機能によって、知り合いたちがどういう活動をしているのかについて、別に頼みもしないのにあれこれとレポートされるのも、次に会ったときの話のネタくらいにはなるので少しは役に立つ。知り合いの意外な趣味を発見したりすることもある。でも、自分が同じように情報発信をしようとは思わないが。

他人のコメントやメッセージを読むだけで、自らは投稿しないメンバーのことを、ネット上では、「ROM」(「read+only+member」の頭文字)と呼ぶらしい。当然のことながら、ネガティブなニュアンスがこめられている。

僕は、Facebookに関しては、永遠の「ROM」ということになる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?