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「カスハラ」について

以前にも、「カスハラ」について書いたことがある。

自分自身の銀行時代の経験に基づいて言わせてもらうが、日本における対顧客サービスに関しては、サービス提供側・顧客側の双方に「大いなる誤解」があると常々思っている。

どういう誤解かというと、「顧客はあくまでエラく・正しく、サービスを提供する企業や店舗は、たとえ無理難題であろうとも、顧客にひたすら奉仕すべし」といった考え方である。「おもてなしの精神」なんて、勘違いを助長するようなキーワードが独り歩きしているのも、どうかなあと思うのだ。

前の記事にも書いたが、「お客さまは神さま」でもなんでもないし、あらゆる商取引は、双方対等の立場で、自由意思に基づいて行われるべきだし、気に入らなければ、客を選ぶ自由も当然あるというのが、前々からの僕の見解である。

勘違いしたバカなお客による「カスハラ」に対して、東京都が条例を制定したのは、「少しだけ前進」したものと評価することができる。ただし、罰則もない以上、バカなお客に対する牽制機能としては、十分とは言えない。お客だと思って図に乗っていたら、手が後ろに回るんだというくらいの脅しがあって、ちょうど良いくらいであろう。

だが、現行の刑法においても、日経の記事にあるように、<悪質になれば脅迫罪や侮辱罪、偽計業務妨害罪などが成立する場合もある。>ということであり、どちらかと言えば、条例を契機として、企業サイドが、「カスハラ」に対応するスタンスを明確化する機運になれば良いと考える。

つまり、従来は、顧客 > 従業員という価値観であり、従業員に負担をかけてでも、お客の無理難題には耐え忍ぶべきという考え方であったが、今後は、従業員 > 顧客という価値観に頭を切り替えることで、悪質な顧客による不当な要求からは、断固として従業員を守るということにスタンスを真逆に転換するということである。

サービス業に従事しているとわかることだが(銀行もサービス業である)、世の中には本当にいろいろなお客さんがいる。

故意・悪意に基づき何らかの利益を得ることを目的としたプロ「クレーマー」みたいな連中は、ある意味、とてもわかりやすいし、法律に基づき毅然と対応すれば済む。

厄介なのは、悪意のない連中である。自分の主張は正しいと信じて、持論を延々と繰り返すような人、あとはボケた老人である。

ボケた老人の話はさておき、自分はあくまで正しいと考え、周囲を見下すような人間は、「カスハラ」加害者になりやすい。今日のテレビのニュースによれば、高齢者、高学歴、高収入な人が多く含まれているとのこと。

高学歴・高収入というのは、世間からリスペクトされるのが当たり前だと思って生きているような人であろう。

高齢者というのは、多くは昭和の価値観のままアップデートされないまま生きているような人であり、世間への順応力が著しく低い層である。

こういう人たちは、昨今の世の中の価値観とは相当程度にズレているにもかかわらず、「自分ファースト」だから、すぐに摩擦を起こしやすい。また自分から折れることはまるで想定せず、あくまで周囲が自分に合わせてくれることを当然のことと期待しているから厄介である。

こうした、いわば「世界観」がまるで異なる連中に対しては、説得しても、説得が難しいようならば、企業サイドとしては、「お引き取りいただく」という選択をすれば良いと思う。「契約自由の原則」である。

あとは、逆に「社会的弱者」と呼ばれる人たちも、「カスハラ」加害者になりやすいと思っている。先ほどとは真逆で、若者、低学歴、低所得者な人たちである。

彼らは、世間から抑圧されて、「生きづらさ」を感じながら生きている。そうした中で鬱積した不平不満が、ちょっとしたきっかけで爆発するのかもしれない。

弱者は弱者に対して攻撃的になるものである。たとえば、コンビニの店員は、最近は外国人が増えている。日本人に比べると、接客がおぼつかないケースも少なくない。心に余裕がないと、些細なミスにも寛容にはなれず、「馬鹿にされた」と逆上する可能性はある。

そうなると、若者も老人も、誰もが「カスハラ」加害者になり得る要素を持っているということになる。

僕も、せいぜい、「カスハラ」加害者にならないように、心の余裕をもって、他人に対して寛容な気持ちをたいせつにしつつ、生きていくしかないと改めて考える次第である。

「他人のふり見て、わがふり直せ」である。

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