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高校の同窓会について

先日、卒業した高校の同窓会に出席した。

こういう集まりに熱心に参加する人、そうじゃない人がいるとすれば、僕は明確に後者の方に属する。仲の良かった数名で集まったことはあったが、学年全体の同窓会に参加するのは、高校卒業以来、初めてではなかったか。およそ40年ぶりである。ホントは2年前に企画されていたのが、コロナ渦の影響でずっと延期になっていたとのことである。

親が住んでいた実家も数年前に処分したので、最寄り駅で下車するのも久しぶりのこと。住宅地なので、街並みに基本的に大きな変化はないが、以前はなかったような飲食店がオープンしていたりするのを見ると、住宅地としては、今もそこそこの地位を保っているようである。

40年ぶりに再会する同級生は、当たり前の話であるが、男女とも老いていた。お互いに孫がいてもおかしくない年代であるから仕方がない。

それでも、経年劣化の程度に関しては、かなり個人差があった。日頃から健康管理に気をつけて、適度な運動も怠らずにいた人と、そうではない人の差なのかもしれない。ちょっとした普段の心がけの違いであろうが、40年間にわたり蓄積された結果を見せつけられるのは、わりと残酷なものである。

「次は65歳で」と言いつつ、同窓生たちと別れたが、次に集まれる人は今回の出席者の何割であろうか。1学年およそ450名ほどであったが、50歳で集まった時には、200名強、約半分が集まったという。10年余りを経て、今回は100名に満たない人数であった。この間に亡くなった人も何人かいるという。「人生百年時代」と言われるが、全員が100歳まで生きるわけではない。

とりあえず集まれた人間は、健康面でも金銭面でもあまり困ったことにはなっていない、どちらかと言えば、まずまず恵まれた人生を送っている人たちなのであろう。もちろん、何ら問題がなくても、遠方に住んでいたり、まだまだ第一線で活躍していて多忙で来れないという人もいるのだろうが……。

幹事の話によれば、同窓会の案内の連絡をすること自体、あまり歓迎されてはいないような雰囲気の卒業生も少なからず存在したとのこと。そういう話を聞くと、青春時代を回顧する精神的な余裕があること自体、とりあえずは感謝すべきなのかもしれない。

突っ張っていた人、ギラギラしていた人も、長い歳月を経て、いい感じに角が取れて、穏やかな表情になっていたのを見るのは悪くはない。僕自身は同級生たちからどういう風に見えたのであろうかと思いつつ、会場を後にした。

で、帰宅したところで、銀行時代の同期から電話をもらった。同期入行の1人が、末期の胃ガンで今朝ほど亡くなったのだと。胃を全摘して、抗ガン剤治療を受けていたらしいのだが、助からなかったらしい。

胃腸系のガンは発見が早ければ、あまり怖い病気ではなくなりつつあるのに、何をしていたんだろうか、ちゃんと検診を受けていたのだろうかとは思ったものの、何が原因で命を落とすかはそれぞれの人の運命なのであろう。

僕自身は、ガンで死ぬのは悪くないと前々から思っている。余命がある程度わかるので、その間に自分の始末をつけられるからである。長いこと生きていると、やはり後のことを考えて、いろいろと決着をつけておかなければならないことがたくさんある。3ヶ月でも半年でも残り時間の見積もりができるのは、そう悪い死に方ではない。その点、交通事故とか、心不全、くも膜下出血等による突然死だと厄介である。

次は65歳になったら会いましょうと、昼間、高校の同窓生には言ったものの、そこまで自分が生きている保証はない。同世代の人間の訃報に接すると、そういう当たり前のことを改めて考えてしまうのだ。

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