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『ゴールドマン・サックスに洗脳された私 金と差別のウォール街 』について

どこかで見た書評で紹介されていた、『ゴールドマン・サックスに洗脳された私 金と差別のウォール街 』を読了。

バブル期の少し後に、日本でも銀行員や元銀行員の手による、いわゆる「暴露本」が何冊も出版されたものであるが、路線としては、まあ似たようなものである。

それでも、本書に書かれている対象が、天下のゴールドマン・サックス(GS)であり、著書が、同社の元マネージング・ディレクター(MD)という、上位8%にしか与えられない高い役職に就いていた女性ということもあったので、野次馬的な興味から本書を手に取った次第である。

本書を要約するならば、「いつか辞めてやるとは思いつつも、自分の夢を実現するためには、GSで高給を稼がないと割り切って、悪魔に魂を売り渡して、命を削って、朝から晩まで死ぬほど働いていました」という、著者の約20年弱(98年入社、16年退社)にわたる自伝ということになる。

本書を読んで思ったことをいくつか記しておきたい。あくまで、僕の個人的な感想である。

1つは、米国を代表するような名門大企業であっても、コンプライアンス面において、「ホンネとタテマエ」の使い分けが著しくて、内情はドロドロだということである。セクハラ、マタハラ、人種差別等、何でもありである。業績推進部門では、実績さえ上げていれば、たいていのことは許される。それに対して、コンプライアンス部門のような利益を上げないコストセンターは、業績推進部門に対して立場が弱く、内部通報制度も機能しない。

著者がGSを退職したのは、16年のことである。それから、「Mee Too運動」であったり、「Black Lives Matter 運動」のような、社会運動も起きているので、「昔は昔、今は今」ではないが、本書に書かれた頃よりは、いろいろと改善されているのかもしれない。

しかしながら、著者も本書のエピローグに書いていることであるが、企業の根底にある文化がそう容易く変わるものではないので、より慎重に、周りから見えないように陰で行なわれているだけであり、会社による様々な取り組みや活動自体が偽善的なものにすぎない可能性はある。

僕が在籍していた、日本のメガバンクだって、昔に比べたら、ずいぶんとホワイトな企業になったと思うが、それでも、何もかも抜本的に変わったとは思わないし、社内のエライ人の意向を忖度せず、空気を読めない人間は、知らず知らず排除されてしまうようなところは、昔も今も何も変わっていない。

本書で書かれている、「360度評価」の扱われ方などは、僕のいた銀行でも思い当たるところがある。本当にパワーがあって、悪いことをしている奴は、どういうわけだか、同評価では異常に高い評点を取るのである。

2つめは、高給取りで有名なGSではあるが、本書で書かれている、我々の想像を絶する彼らの報酬額には、改めて驚かされるということである。著者の入社初年度のボーナスは4万ドルであった。それだけでも、日本人の感覚では、十分にすごい金額であると思うのだが、著者が数年後にマネージャーに昇格すると、ボーナスは100万ドルに跳ね上がるのだ。その前年は50万ドルであったというから、一気に100%アップである。こうした報酬額の采配は、事業部門のトップであるパートナーの裁量で決まるのだ。

もちろん、タダで高給を保障してもらえるわけがない。朝から晩まで、極度のプレッシャーに晒されつつ、馬車馬のように働き続けるのが当然のこととされる。また、それ以上にボス(この場合は、事業部門トップであるパートナー)に対する忠誠心が問われる。

米国企業は、日本企業に比べて、フラットな組織であり、フランクなコミュニケーションが浸透しているというのは、大いなる誤解である。ボスには、自部門内メンバーの文字どおりの生殺与奪の権が与えられているので、ボスに睨まれたらオワリなのだ。著者のボスは、部下の出退勤時刻まで克明にチェックしているような人物であり、「働き方改革」なんてキーワードが通用しない、昭和のモーレツ・サラリーマンみたいなタイプなのだ。

したがって、著者も、流産して、主治医からドクターストップがかかろうと、ボスの意向を汲んで、早々に職場復帰することになる。同様に、ボスの命令とあらば、社内規程で禁じられている産休明けの出張も粛々とこなす。ボスの意向こそがすべて。うまくやっていこうと思えば、他に選択肢はない。

3つめは、米国企業であっても、女性が男性に伍してキャリアップを図るのは容易ではないということである。基本的には、ボーイズ・クラブ的なカルチャーの中にあって、「ガラスの天井」を打ち破るのは容易ではない。しかも、そのために女性同士が一致団結して共闘するわけではなく、女性に与えられた限られたポジションを巡って女性同士で熾烈な競争を繰り広げることになる。

日本企業でも、高いポジションに就いている女性幹部は、総じて、「スカートを穿いたオッサン」みたいな人物が多いのだが、その点に関しては、米国企業も同じだということである。男性社員以上に、男性社会の価値観に染まり、それに何ら疑問を持たないように洗脳されない限り、生き残っていくことは難しい。

著者は、もともとは、ソーシャル・ワーカーになる夢を持っていたのだが、苦労して貧困層から抜け出した両親の意向もあって、高い給料を貰えそうな職業を選択すると心に決めて、運よく、GSに就職することができた。

そうした経緯があるので、GSに勤めるのは、あくまでおカネのためなのである。同じくスクールカウンセラーになりたかった部下と、「ここでの仕事をこなして、できるだけお金を貯めたら、ここを辞めて好きなことをやりましょう」と誓い合い、「自由のためのスプレッドシート」、つまりファイナンシャル・ゴールを達成するための計画表を作成し、着々と準備し、そのためには、己を殺し、屈辱にも耐え、ボーナスが銀行口座に振り込まれたことで、遂にゴールラインを超えたとわかった翌日に、ボスに辞意を伝えた。

本書に記載されている略歴によれば、著者は、現在、コーチングのプロとして、10代の子や大学生にリーダーシップ・スキルを教えたり、従業員を率いる方法を役員にコーチしたりしながら、夫と4人の子どもと、ニュージャージー州で暮らしているという。そういう意味では、当初の思惑どおりに、いわゆる「FIRE (Financial Independence, Retire Early movement)」、つまり、経済的自立と早期退職を成し遂げた成功者であり、GS時代とは違って、おカネのために、やりたくない仕事をやる必要はなくなったということであろう。

著者が、GSを退職したのは、40代の初めくらいであり、現在は50前くらいだと思うので、なんともうらやましい限りである。

ただし、30歳になるかならないかくらいで、1回のボーナスで100万ドル貰える著者のことであるから、贅沢を言わなければ、もっと早くにリタイアすることは可能だったのではなかったのか。GS入社後も周囲に影響されることなく、質素な生活を送っていたと書いているから、収入のかなりの部分は貯蓄に回せていたはずである。自分の両親みたいにおカネの心配をしなくて済むように、あるいは4人の子どもたちに十分な教育を授けられるように、かなり高めなゴール設定をしていたのかもしれない。何と言っても、米国は物価も高く、教育費や医療費は無茶苦茶に高額なのである。

ところで、蛇足みたいな話になるが、本書の中には、著者と上司との不倫話や、それが原因で、夫との関係が一時的にかなり険悪になった経緯なども、かなり赤裸々に書かれている。まあ、今では夫と円満な夫婦関係を再構築できており何も問題がなかったのかもしれないが、過去の話とはいえ、プライベートな話題について、ここまで立ち入った話を書かせる、著者の夫なる人物は、かなりの度量の持ち主にちがいないと感心してしまう。

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