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「笑の大学」(@サンケイホール ブリーゼ)について

昨年の大河ドラマでも話題になった三谷幸喜の作・演出による舞台「笑の大学」を、大阪の「サンケイホール ブリーゼ」にて鑑賞。出演は、内野聖陽、瀬戸康史の2人。

作品自体は、96年10月が初演なので、既に四半世紀以上が経っている。原型は94年11月のラジオドラマである。98年にも再演されており、04年10月には映画にもなっている。海外での公演実績もある。

登場人物は2人だけ。約2時間ほどの芝居を内野・瀬戸の2人だけが出ずっぱりで演じ切る。舞台は警視庁の取調室のみ。

時代設定は、日本がだんだんと戦時色が濃厚になりつつある昭和15年10月頃。内野が演じるのは、時局厳しい中、低俗な軽演劇など不謹慎極まりないと考える堅物の検閲官/向坂睦男。瀬戸の方は、劇団「笑の大学」の座付作家/椿一。

向坂は最初から上演中止に持っていくつもりで、椿の書いた台本に対して次々と無理難題を押しつけるのだが、椿はなんとかして上演許可を貰うべく、向坂の無理難題を受け容れつつ、徹夜に次ぐ徹夜で書き直しを重ねる。そんな毎日が続くうちに、もはや面白くもなんともない台本になってしまっても不思議ではないのに、向坂の度重なる検閲を経て、どういうわけだか、むしろ前よりも面白い台本になっていく。それとともに、いつしか向坂と椿との間には双方の立場を超えた同志のような人間関係が築かれていく。あらすじはこんな感じである。

「緊張の緩和」が笑いを生むと説いたのは、故桂枝雀である。本来ならば、向坂も椿も笑えるような状況ではない。権力者側と抑圧される側であり、立場も利害も対立するシビアな関係である。椿は向坂から次々と無茶振りをされて、困り果てているはずなのに、どうせ削られるとわかっていながら、それでも懲りずにまた新たな笑いのネタを書き足してしまう。座付作家の困った性(さが)が笑いを呼ぶ。

向坂は、置かれた立場や職務に忠実なだけの、ごく普通の日本人であり、我々の分身でもある。たまたま国家権力の末端を担う立場にあることから、椿と対立することになるが、本当は本人が考えるほどの堅物ではない。

椿は、たとえ召集令状が来て、自分が書いた芝居の幕が上がるのを見ることはないと悟った後も、一睡もせず最後の書き直しを行なうくらいに、どんな状況に置かれても、人を笑わせることが大好きな根っからの喜劇人である。

あまり本作とは関係ないのだが、根っからの笑わせ好きで、命がけで人を笑わせたいと思う人物である点で、『手鎖心中』(井上ひさし)の主人公に共通するものを感じた。

今のご時世、この芝居に登場するようなあからさまな検閲は存在しないが、昔に比べると随分と窮屈になってきているような気がする。

「コンプライアンス」の名のもとに、「世の中の空気」に対する「同調圧力」が、いろいろな表現にまでうるさく介入してくる。昭和のテレビや映画のドラマなどは、いま思えば、ずいぶんと自由放任であった。

今回の舞台でも、上演前に館内放送があって、「タバコを吸うシーンがあるが、体に害のないものを使っていますのでご安心下さい」云々という説明があった。そんなことまで、いちいち事前にお断りしなければ、文句を言われるかもしれないとは、本当に窮屈な時代になったものである。





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