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後継者難について

以前、中小企業の経営者の高齢化、後継者不足により、25年までに60万社が黒字廃業に追い込まれる恐れがあるという話について書いたことがある。

同様に、1千年以上の歴史があるとされる岩手県奥州市の奇祭「蘇民祭」が、担い手の高齢化などを背景に、今年が最後の開催となったという。

この祭りについての詳細は知らないが、08年に、胸毛にひげ面の男性を扱った告知ポスターが不快感を与えるとして、JR東日本が駅などでの掲示を拒否したことが話題になったのは覚えている。たしかに、このポスターは、今見ても、パンチが効いていると思う。

問題は、後継者不足が理由で、長年にわたり、大切に受け継がれてきた伝統が途絶えてしまうことである。

「地方の祭りなんか、どうでもいいんじゃないの?」というのが、大多数の反応であろうし、たしかに、そのとおりかもしれない。

だが、何事もそうなのだが、1回、途絶えてしまうと、復活させるのは難しい。1千年の伝統も、失われてしまうのだ。

今回の地震で、被災地の特産工芸品である輪島塗りの技術の継承がピンチに陥っているという。輪島塗りの製造工程は、120以上の工程からなる分業制になっており、それぞれに高い専門性が求められる。それらのうちの、どれが欠けても輪島塗りの伝統は消失してしまう。

同じようなことは、茶道の千家に出入りする塗り師・指物師などの総称である「千家十職」とか、京都の西陣の着物産業などにも言えることである。これらも、長年培われた技術が途切れず継承されて来たからこそ成り立っている。

伊勢神宮の遷宮は20年ごとに行われるが、あれには、宮大工等の関係者の技術伝承の狙いもあるのだという。技術が錆びつかないように定期的に実際に活用する機会を設けないでいると、せっかくの技術やノウハウが後進にうまく継承されなくなるからである。

そういう意味では、新しい技術を開発することも重要であるが、「いま、あるもの」を守って、後世に引き継いでいくことに対しても、知恵を使った方が良い。一旦、途絶してしまい、失われてしまったものを、後世になってから、再び復興するのは、容易ではないからである。

中世ヨーロッパのルネサンスなどは、イスラム教国を介しての、ギリシア・ローマ文化の復興運動であるが、これなどは、キリスト教文化によって破壊されてしまった、古代ギリシア・ローマ文化の修復活動である。失われたものを異種文化のフィルターを通して修復するのだから、オリジナルと寸分違わず同じであるとは限らない。

日本の天皇制度についても、似たようなところがある。欧州諸国を見習って、女系天皇が許容されても構わないのではないかといった議論があるが、男系女帝ならばともかくとして、女系天皇を認めてしまったら、後で後悔しても、取り返しがつかないということについては、十分に理解した上で、議論をすべきであろう。

中小企業の後継者不足の話に戻るが、新技術の開発などは「多産多死」の世界である。思惑が外れてしまって、世の中の役に立つようなレベルにまで到達できなければ、生き残れないのは仕方がない。

一方、「枯れた」技術であっても、着実に世の中を支えているような技術は一定数存在するし、そうした技術が、後継者がいないことだけが理由で、世の中から消滅してしまうとすれば、何とももったいない話である。小説やドラマになった「下町ロケット」シリーズではないが、最新鋭の宇宙ロケットであっても、膨大な数のいろいろな部品の集合体であり、個々の部品を高精度で作ることができる企業がいなければ、成り立たないものである。輪島塗りと同じである。

もちろん、なくなっても惜しくない企業だって存在する。オリジナリティのない会社、オーナーの私腹を肥やすことだけが目的の会社、利益が出せない会社である。円滑化法、コロナ特需等を通じて、死んでしまっても構わない会社が、まだまだ性懲りもなく生き残ってしまっている。いわゆる「ゾンビ企業」である。そういう会社はさっさと淘汰して、それらに従事している人材を、もう少し見込みのありそうな産業や業種、業界に再分配することは、日本全体としての活性化につながる。

僕に、あり余るほどのおカネがあれば、後継者難で存続の危機に陥っている中小企業で、後世に残すべき技術を持った企業を選んで、買収するファンドを作るだろう。

社内外から後継者に相応しい人材を探して、技術力を磨き上げるとともに、海外も視野に入れつつ、マーケティングの再構築とトップラインの拡大をめざす。併せて、管理部門や間接部門の合理化・効率化を進めることで、経費を削減して、収益力の増強を図る。

よくあるようなVCであれば、IPOによるEXITということになるのだが、持ち続けるという選択肢もあって良いと思う。グループ全体で利益が上げられれば、投資家に対して配当で報いることができるし、ファンドそのものがIPOをするという選択肢もある。特定分野しか得意なものがない、小規模な企業が個々に上場するよりも、グループ全体での成長をめざした方が、安定した成長シナリオを描けそうな気がする。

と、ここまで書いてきて気がついたのだが、日本の大手総合商社がやっていることと基本的には同じである。もちろん、伝統的なトレーディング、売ったり買ったりも重要な商売であるが、事業投資を通じて、グループ全体の連結ベースでの利益を積み上げることが、現在の総合商社の本業となっている。

であれば、後継者難の中小企業こそ、これからの「飯のタネ」になると思うのだが、いかがなものか。


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