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シニアの勉強について

経営陣や幹部社員のオジサンたちの中には、最近の若い者は不勉強だとか、もっと勉強しろとか口癖のように言う人が少なくないが、彼ら自身はちゃんと勉強しているのだろうか。

社会に出てから、周囲を眺めていると、「自分のことは棚に上げて」いるような中高年が少なくないのに気づかされる。

もちろん、個人差があるのは間違いない。日々、自己研鑽に怠りない人もいる。年齢には関係ない。要するに、ご本人の気構え、心がけの問題である。

銀行みたいな組織は、さすがに大企業で余裕もあるせいか、年次や職位、担当業務に応じて、すごく洗練された教育研修プログラムが体系的に構築されていた。で、本部から招集があったり、本人が参加希望を出したりして、定期的に研修に参加することになる。

そこで何となく察せられたことは、若い頃の研修の方が内容的にもハードな研修が多くて、年次や職位が上がるにつれて代わりに「生暖かい」「軟弱な」研修が多くなるということである。

「鉄は熱いうちに打て」というコトワザがあるが、若くて伸びしろがある世代にはどんどんハードに詰め込むことも可能だし、厳しく鍛えることによる手応えや見返りも期待できるが、頭も体力もガタついたシニア人材には多くを期待しても無駄であろうと諦められていたのかもしれない。どちらかと言えば、ふだんの気苦労の多い現場でのストレスの骨休め代わりのような研修もあったと記憶している。

たしかに若い頃に比べたら記憶力や体力も大したことはなくなるが、だからと言って、鍛えるのをやめたら、ますますアホになるに決まっている。

それに、年を取ると記憶力は錆びつくかもしれないが、長年のビジネス経験による体系的な理解力とか、「メタ認知力」のようなものは、若い頃よりも優れているものだ。

僕自身を振り返っても、無意味なデータをひたすら覚えろと言われても無理だが、自分自身でちゃんと理解したことや納得したことは意外と忘れないことに気づかされる。

あと、論理的、演繹的な思考力はともかくとして、直感的、右脳的な思考力はむしろ若い頃よりも優れているのではと思うこともある。つまり、何となく「筋が悪い打ち手だなあ」とか、「うまくいかないような気がする」と思う時の予見能力はバカにならない。これは、たぶん若い頃からの実践に基づく「ケーススタディ」の膨大な積み重ねの成果であろう。

いずれにせよ、オッサンはオッサンなりに勉強を諦めたらダメということである。死ぬまで人間は勉強するしかない。

ビジネスの世界で生きている以上、どんな業務を管掌するにせよ、「会計リテラシー」「ITリテラシー」「リーガルマインド」は必須であろう。

これらは、専門家に丸投げしないためにも、専門家に騙されないためにも、自分で常にブラッシュアップし続けるしかない。

あと、これは自戒を込めての話となるが、「読解力」というのは常に勉強してブラッシュアップしておかないと錆びついてしまう。若手が作ったパワポのポンチ絵ばかり眺めるのに慣れてしまうと、肝心な情報を見逃してしまったり、部下に適当に胡麻化されていても気がつかなくなってしまう。会社によっては社内会議でパワポ禁止にしているところもあると聞く。僕も実はパワポは大嫌いだ。そもそも紙芝居みたいだし、内容がショボいわりにページ数ばかり増えてしまうのだ。

「読解力」を維持、向上させるには、本を読み、新聞を読み、日々、鍛錬するしかない。近道はない。カラダのトレーニングと同じである。サボるとすぐに衰える。

ネットの記事を読むのに慣れてしまうのも怖いので気をつけた方が良い。ネットだと、自分が知りたいこと、見たいことばかりに接してしまう危険性がある。知らず知らずにネット世界に囲い込まれてしまうのである。新聞の電子版だけしか読まない人も多いが、僕は敢えて紙の新聞の定期購読に拘りたいと思っている。それも複数紙を講読すること、ざっとでも全紙面に目を通すことは、どんなに忙しくても毎日やっている。

書籍も同様である。kindleのような電子書籍も良いが、大型書店での「定点観測」は絶対に重要である。新刊書籍の平積みしてあるタイトルや見出しだけでも定期的に見て回ると、世の中で何が流行っているのか、どんなことに人々が関心を持っているのか、おぼろげながらでもわかるような気がする。

世の中に対する興味や関心が失せてしまったら、もう死ぬしかない。少なくともビジネスの世界での賞味期限は切れたものと自覚して、引退した方が良い。そう思いながら、日々、悪あがきしながら生きている。


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