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「2025年問題」について

「2025年問題」というものがある。22年から75歳に到達し始めた団塊世代が、25年にはすべて75歳以上の後期高齢者となり、人口全体の18%を占めると予想されることで、高齢者の増加による、社会保障費の増大や労働力不足といった深刻な問題が起きることを意味する。

ついでに書くと、「2040年問題」というのもあるらしい。こちらは、40年頃には65歳以上の人口が全人口の約35%となる一方で、生産年齢人口(15~64歳)が人口の約54%まで下がることが予想されており、高齢者人口の割合の最大化と生産年齢人口の急減が同時進行で起こることによる、国内経済や社会維持が危機的状況に陥るとされる問題を意味する。

要するに、この日本では、人類がまだ経験したことがないレベルでの「少子高齢化」社会が確実に進行中であるということである。

もちろん、政府だって、何もせずにサボっているわけではない。「全世代型社会保障検討会議」を設置して、主として、「少子化対策」「医療に対する改革」を重点的に取り組んでいる。

まあ、人口減少により経済規模が縮んでいく中、高齢者ばかりが増えて、社会保障費(医療費、介護費)は着実に増大して、医療・介護ニーズも増えるけど、そもそも働き手自体が減っているんだし、誰がそれを担うんだよという話である。「少子化対策」と言っても、短期的に成果が上がるとは思えないし、「医療に対する改革」というのも、改革と呼ぶほどに抜本的な話ではなさそうである。

日本の国民医療費は、ざっと43兆円くらいと言われるが、年代別の内訳だと、65歳以上の前期・後期高齢者が約6割、75歳以上の後期高齢者だけでも約4割を占める。

そうなると、「高齢者を減らすしかないやん」ということは、誰の目にも明らかなのだが、そんなことを言ったら袋叩きにされるに決まっているので、誰も敢えて言おうとはしない。

しかしながら、少なくとも、高齢者に使われている社会保障費(医療費、介護費)を削減しないことには、現状のやり方が持続可能ではないことは明らかであろう。

日本だと、介護施設などに行くと、寝たきり老人がたくさんいるが、欧米諸国には、寝たきり老人が存在しないという。福祉大国といわれるスウェーデンにも寝たきり老人はほぼいないらしい。これは、日本と違って欧米では、無理な延命をせず、自然な死を迎えるべきという考え方が一般的であるからである。

つまり、高齢者は病気になっても積極的な治療を行わない。病気で食事が取れなくなったら、日本では胃ろうや点滴、人工呼吸器の装着等を行うが、欧米ではそういう処置は行なわない。

身も蓋もない言い方をするならば、欧米と比べて、日本では、「無駄な医療」が多すぎるということになる。無駄な医療のツケは、国民の負担となる。儲かるのは病院、製薬会社、医療機器会社等も含めたヘルスケア業界である。

無駄な医療をやめるか、現状よりも縮小してしまえば、寝たきり老人も減るし、彼らのために無駄に使われている社会保障費(医療費、介護費)も減る。医療や介護に従事する人たちの人員不足も解消できる。悪いことは1つもないのだが、誰もそういう提言はしない。ヘルスケア業界に携わる人たちの既得権益を死守するためであるし、医師会、厚労省、族議員といった人たちは、微調整程度のことで「頑張ってます」感をアピールしつつ、基本的には現状維持を図ろうとする。

それは、要するに今の日本という国が、老人に支配されているからである。支配されているとは、すなわち、政治家の多くが老人たちであり、老人たちの投票率が総じて高く、老人に不利益となるような政策を提言しようものならば、選挙に勝てないこと、いろいろな分野で既得権益を握っているのも老人であること等を意味する。「勝ち逃げ」老人たち世代は恵まれているのに対して、若者たち世代は不遇のままなのは、そのためである。

だが、これからの社会を担う若者たちよりも、老人をたいせつにするような国に明るい未来があるはずはないのだ。

僕は若くはないし、あと数年すれば、自分自身も前期高齢者に仲間入りすることになるが、今の医療はどこか間違っていると思う。電化製品だって、古くなったら修繕してもらえないのだ。高齢者に無意味な延命治療をするのは間違っているし、さらに言えば、積極的な治療すら必要ないと思っている。

たとえば、高齢者がガンに罹ったとして、開腹手術をして臓器を摘出したり、抗ガン剤治療や放射線治療をして、根治に向けた積極的な治療を施すことに何か意味があるとは思えない。どうせ、そう遠くない将来に寿命が尽きるのである。

数年前、僕の母親が体調を崩して入院した際、病院の検査で脳と心臓の両方に動脈瘤が見つかった。もしどちらか片方でも破裂したら死に至ることから、手術を勧められたが丁重にお断りした。当時、母親は既に80代後半であった。全身麻酔をして手術をすること自体、高齢者には大きな負担であるし、普通に考えても、寿命はあと10年未満である。後期高齢者の場合、自己負担は1割だから、残り9割は高齢者医療保険制度で賄われるわけであるが、はっきり言えば、公費の無駄遣いである。結果的に、動脈瘤が破裂することはなく、母親は90歳で天寿を全うした。

知り合いの看護師に聞いた話だが、高齢者が多く入院する病院に勤務していると、ふだんはロクに見舞いにも来ないのに、危篤となると病院に押しかけてきて、どんな手段を使ってでも延命せよ、死んだら訴えると騒ぐ厄介な家族が一定数いるとのこと。入院患者が90歳の寝たきり老人であってもである。どうも生活保護受給世帯など低所得者層に多いらしい。当該老人の年金が貴重な収入源なので、死なれたら困るというのが理由である。

「国民皆保険制度」は、日本が世界に誇るべき優れた制度だと思うが、誰もが安価なコストで一定レベル以上の医療にアクセスできてしまうがために、ありがたみを感じることもなくなり、結果として「医療の無駄遣い」が起きてしまっている。本来は、医療自体が、稀少な公的資源みたいなものだから、公平に正しく使われるべきである。日本は病床数は多いが、医者の数は少ない。これは既存の医者の収入減少を懸念する医師会の意向を反映した結果である。その結果、コロナ渦で医療崩壊が起きてしまったが、改まる様子はない。いずれにせよ、処理能力に限度がある以上、無駄遣いをする余裕はない。

人命に軽重はない、老人の命も、若者の命も平等であるという意見もあるが、僕はそうは思わない。シビアな話になるが、「残存期間」で考えるべきだろう。

乱暴な意見であることは承知で言うが、ホントは65歳以上の高齢者医療保険制度そのものを廃止してしまえば良いのだ。先ほど電化製品の修理の話をしたが、老人は耐用年数が過ぎた電化製品と同じである。病院に行きたければ自費でお願いしますということになれば、無駄な医療は一気に減るであろう。

こういう話をすると、低所得者の切り捨てだ、カネを持っている人間だけが助かることになるという批判は免れない。であれば、百歩譲って、最低限の治療はするが、積極的な治療、無駄な延命措置は一切やらないということでも構わない。ただし、そのためには、「医療のあるべき姿」についてのゼロベースでの議論が必要だろうし、国民の納得を得るためには、相当の体力が必要な話となるであろう。たぶん、そのようなパンドラの箱を開けるようなことには、誰も手を出さない。

いずれにせよ、今の国民健康保険制度はサステナブルではないし、このまま放置すれば、いずれ行き詰ることになりそうである。破綻するのであれば、破綻させてしまうというのも、ひとつのやり方かもしれない。そうすれば、現状のあり方にしがみついている人たちも含めて、「医療のあるべき姿」について真剣に議論せざるを得なくなる。

何か手荒なことでもやらない限り、日本の医療制度は、何も変わらないであろう。



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