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僕の音楽遍歴について①

僕の音楽遍歴について書いておきたい。たぶん、長い話になるので、何回かに分けて書くことになる。

僕は、もっぱら洋楽とクラシック音楽を愛聴している。洋楽とクラシック音楽というと、何やらかけ離れたような感じもするが、そんなことはないと思う。どちらも西洋音楽の系譜に位置づけられるものであり、ほとんど地続きと言ってもよいと思う。

熱心に聴くようになった順番としては、洋楽→クラシック音楽という流れになる。

洋楽を聴き始めたのは、中学生の頃である。最初に好きになったのは、ビートルズであった。聴き始めた当初は、いわゆる、青盤・赤盤と呼ばれる2枚組のベスト盤を繰り返し聴いていた。したがって、その頃はまだ、好きな楽曲を個々に聴いて楽しんでいた。オリジナル・アルバムをトータルで鑑賞するのが、「正しい」聴き方だと教わったのは、少し後になってからである。「ラバー・ソウル」「リボルバー」「サージェント・ペパーズ」「レット・イット・ビー」「アビー・ロード」といったアルバムは、そうやって聴いた。

作詞・作曲者のクレジットがレノン ‐ マッカートニーとなっていても、ジョン・レノンとポール・マッカートニーとでは、それぞれの楽曲に明らかな違いがあることくらいは、その当時の僕でも理解できた。そして、僕の好きな楽曲は、どちらかと言えば、ジョン・レノンの作品の方が多かった。ポール・マッカートニーの作品は、「よくできた商品」という印象であり、それ以上でもないように感じられたのだ。それでも、「ヘイ・ジュード」とか「レット・イット・ビー」は、歌詞も含めて名曲だと思う。

藤子不二雄のコンビと同様、レノン ‐ マッカートニーの2人も初期の頃は合作することも多かったのだろうが、後になるにつれて、それぞれの音楽性の違いが明らかになり、個別の創作の方が多くなったのはやむを得ないことだと思う。

ビートルズの次に夢中になったのは、なんとクィーンであった。その当時のクィーンは、3枚目のアルバムを出して、英国と日本とで、少しずつ売れ始めていた時期であった。1枚目と2枚目も決して悪い出来ではないと思うが、1枚目はツェッペリン、2枚目はイエスのフォロワーみたいな微妙な評価しかされていなかった。日本での人気は、女子中心によるアイドル的な人気であったので、当時、ロック少年としては、「クィーンが好きだ」と公言するのはかなり勇気が必要であった。

それでも、4枚目の「オペラ座の夜」が発表されたのを契機として、英国と日本での評価が定まり、人気バンドとして認められるようになるのだが、米国での人気はまだまだ低かった。米国で売れるようになるには、6枚目のアルバム「世界に捧ぐ」まで待たねばならない。

「世界に捧ぐ」以降のクィーンは、それまでの持ち味である凝った楽曲づくりが控えめとなり、米国市場を意識したキャッチ―でコンパクトかつシンプルな楽曲づくりに専念するようになっていく。米国人には、長ったらしくて面倒臭い楽曲ではなくて、FMラジオで繰り返し流されるような楽曲じゃないとウケないのだ。有名な「ノー・シンセサイザー」というクレジットが消えたのも、このアルバム以降である。趣味的なスタジオワークよりも、商業性を優先したわけである。

僕がクィーンにハマっていた時期は、この頃までであり、米国でも成功して、名実ともに世界的なビッグネームになるにつれて、急速に関心が薄れていくことになる。たぶん、彼らのアルバムで一番好きなのは、今でも「オペラ座の夜」であろう。米国で売れるようになることと引き換えに、僕が好きだった初期の頃の「クィーンらしさ」が消え去ってしまい、何やら裏切られたように感じたのかもしれない。

クィーンと同じ時期に売り出し中であった、エアロスミスとかキッスについても書いておくと、キッスは「アライヴ」という2枚組のライブ盤を聴いて、まあまあ悪くはないとは思ったものの、それ以上、夢中になることはなかった。ライヴのエンターテイメント性は評価するとしても、音楽そのものは、あまりにシンプルで子供だましのような感じがしたからである。エアロスミスは、4枚目の「ロックス」というアルバムをとても気に入り、3枚目のアルバムも好きになったが、5枚目のアルバムには、何となく違和感を感じてしまい、その後はあまり聴かなくなった。たぶんバンドとしての彼らの創作力に関しては、初期のピークは「ロックス」だったのだろう。

ビートルズ、クィーンを経て、次に夢中になったのは、ハードロックになるのだが、その辺から先の話は、また改めて書いていきたい。


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