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キリル・ペトレンコ指揮ベルリン・フィル(@フェスティバル・ホール)について

同じフェスティバル・ホールにて、2ヶ月続けて、R.シュトラウス「交響詩<英雄の生涯>」を別のオケで聴くことになるとは。

10月22日(日)は、フィンランド出身の若手指揮者クラウス・マケラとノルウェーのオスロ・フィルハーモニー管弦楽団のコンビであったが、本日は、キリル・ペトレンコ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団である。

ベルリン・フィルは、衆目の一致するところで世界トップと目されるオケであり、世界中から腕利き奏者を集めたスター軍団である。サッカーにたとえれば、レアル・マドリードみたいな存在ということになろうか。ライバルのウィーン・フィルは良くも悪くもローカル色が持ち味だが、ベルリン・フィルの方は同じドイツ・オーストリア系のオケながら、もっとインターナショナルな印象を受ける。今日の公演のコンマスも、日本人の樫本大進であった。

今回の来日公演のプログラムは、A・Bの2種類あり、Aプロは、モーツァルト「交響曲第29 番」、ベルク「オーケストラのための3 つの小品」、ブラームス「交響曲第4 番」の3曲。Bプロは、レーガー「モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ」、R.シュトラウス「交響詩<英雄の生涯>」の2曲。僕の聴いたのは、Bプロの方であった。

1曲目のレーガーの方は、僕は不勉強で、あまりよく知らない曲。モーツァルトの有名なピアノソナタ第11番(トルコ行進曲付き)の第1楽章から主題を取った変奏曲。変奏曲つながりと言うわけではないが、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」のオマージュっぽい感じもする曲。

この曲の演奏中、1人の楽員(たぶん後方の第1ヴァイオリニスト)が、突然、(体調不良が原因か)倒れてしまい、演奏が一時的に中断されたのには驚かされた。いろいろなオケのコンサートをこれまでに聴いているが、こういうアクシデントは初めてであった。天下のベルリン・フィルでもこういうことがあるらしい。しばらくの中断の後、何事もなかったかのように、中断した変奏の最初の部分から整然とリスタート。

休憩の後、いよいよ「英雄の生涯」である。1ヶ月前のマケラ&オスロ・フィルと比較して、ちゃんとしたコメントをする能力は僕にはないが、「Dynamik(デュナーミク)」、つまり最強音と最弱音の幅が、ベルリン・フィルの方が随分と大きいような印象を受けた。大きい音は腹にズドンと響く感じ。ただし騒々しさはない。最弱音は本当に小さいのだが、それでも弱弱しくはない。しっかりと伝わってくる。

それと、各パートの音の粒立ちが良いとでも言うべきなのか、どのパートの音も細部までクリアに聴こえてくるのだ。だから、ふだんあまり気に留めないようなフレーズも、くっきり鮮やかに聴こえる。オケの音が「塊」ではなく、各パートの総和であることがわかる、とても解像度が高い演奏と言い換えても良いのかもしれない。この辺りは、ペトレンコの指揮者としての技量に負うところが大きいのだろう。オケは指揮者の楽器にたとえられるが、細部に至るまでペトレンコの目が行き届いていることがわかる。

コンマスのソロ・パートをはじめとする、各パートの聴かせどころに関しては、このベルリン・フィルが、いずれのパートともソリスト並みの名人揃いの集団であることを、嫌というほど思い知らされることになる。難所であっても、まるでアウトバーンを高速走行するメルセデスベンツのように余裕すら感じさせるのだ。この点、オスロ・フィルの場合、「一生懸命さ」がこちらにも伝わってきて、聴いているこちらまで緊張を強いられたのを思い出した。

というわけで、オスロ・フィルとベルリン・フィルの「英雄の生涯」対決としては、やはりベルリン・フィルに軍配が上がると思ったのだが、他の聴衆はどのように感じたであろうか。

キリル・ペトレンコは、サイモン・ラトルの後継者として、19年からベルリン・フィルの首席指揮者・芸術監督を務めている、ロシア出身のユダヤ系の指揮者である。72年生まれなので、まだ51歳ということになる。27歳のマケラとは比べるべくもないが、60代、70代、あるいはそれ以上の高齢者の「巨匠」「長老」が幅を利かしている指揮者の世界では、年齢的にはまだまだ若手の部類になる。

欧州の指揮者の王道路線とでも言うべきか、オペラ・ハウスで地道にキャリアを積み重ねてきた実績を有する。この点は、少し上の世代のクリスティアン・ティーレマンなどとも通じる。ペトレンコも、ベルリン・フィルのポストに就く前には、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任して、あのバイロイト音楽祭で「指輪」の指揮もしている。

欧州楽壇では、何と言っても歌劇場でのオペラ指揮こそが、昔も今も、指揮者の真価が問われる主戦場なのである。往年の大指揮者たち、カラヤン、ベーム、ショルティ、ジョージ・セル、クレンペラー、トスカニーニ、それにクライバー父子等々、皆んなオペラ・ハウスでの実績を足掛かりに、指揮者としての名声を獲得した人たちである。

キリル・ペトレンコの話に戻るが、年齢的にも、まだまだこれから先が楽しみな指揮者である。両親のうち、父親がウクライナ出身であるとのことで、ロシアによるウクライナ侵攻に対しては、明確に批判的な立場を取っている。この点に関しては、同じロシア出身指揮者とはいえ、現体制と親密だったことが災いしたゲルギエフとは対照的であるし、結果的にはそれが指揮者としてのキャリアの明暗を分けることになるとは、数年前には彼らも想像しなかったことであろう。

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