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親の介護について

高齢化社会において、親の介護の問題は避けて通れない。

昔であれば、介護が必要になる前に、適当な年齢になると、かなりの確率で死んでいったのであろうが、今はとにかく死なない(死ねない)。

長寿は悪いことではないが、「死なないリスク」というものについても、ちゃんと真面目に考えておく必要がある。

「健康寿命」という言葉がある。「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義される。平均寿命と健康寿命との差が、日常生活に制限のある「健康ではない期間」を意味する。これは、何らかの形で他人のサポートをアテにしないといけない期間とほぼ等しい。19年において、この差は男性8.73年、女性12.06年であるという。ざっくり10年前後くらいと考えるべきか。

親子であっても、あと何年生きるだろうかとか、介護の話とか、それに伴うおカネの話とかいうのは、なかなか話題に出しにくい。僕の場合、1人っ子であったが、それでも話題に出す前、しばらく躊躇う期間があった。それでも両親が交代で体調を崩したり、入退院するタイミングに合わせて、思い切って話題に出したことで、現預金の残高を把握することができた。

で、思ったよりも、現預金の残高が少ないのに驚いた。

父親はたぶん年金受給額に関してはかなり多い部類に入る。2人暮らしでさほど生活費がかかるとも思えない。にも拘わらず、さほど残っていない。その辺の解明からスタートすることになった。

結論から言うと、父親は家計のことは母親任せ。母親は金銭感覚がアバウトで、昔からあればあっただけ使うタイプ。その頃から認知も少しずつ進んでいたのだろう。危機感を覚えた僕は、かなり強引に現預金とハンコ、キャッシュカードを両親から取り上げて、僕自身が金銭管理をするようになった。

毎月、決まった金額の生活費しか渡さない。母親からは不自由だと文句を言われたが無視。それに手元に現金もハンコもなければ、万一、特殊詐欺等、高齢者を騙すような輩に遭遇しても、被害に遭いようがない。

そうこうしているうちに、父親が亡くなる。しばらくは母親1人で生活していたが、体調を崩して入院したタイミングで、介護付き有料老人ホームの空きを探して、こちらもかなり強引であったが、自宅に戻すことなく介護施設に入居させた。

最初に入居した施設は、料金が高いわりには介護が行き届かず、いろいろと問題があったので、今年に入ってから、それなりに納得できそうな介護サービスが期待できる別の施設に転居させた。料金も少しだが安くなった。

現状の資金繰りでは、年金受給額に対して少し「足が出る」状態にはなるものの、現預金がそれなりにあるので、少しずつ取り崩しても、当面の心配はなさそうである。実家も何年か前に売却処分したので、そちらの売却代金も現預金残高にオンされている。

実家の売却についても、母親と相当にバトルがあった。施設に入居していて、ずっと空き家のままであるにも拘わらず、実家を売ることには頑なに反対し、いずれは戻って1人暮らしをしたいとか言い募る。絶対に不可能だと言っても納得しない。そういう堂々巡りなやり取りを繰り返した挙句、最終的にはこれもかなり強引なやり方で不動産屋の委任状にサインさせて、売却手続きを遂行した。実家に満載の家財道具の生前整理にもたいへんな労力を要した。なのに、感謝もされず、いまだに実家を売却したことについての恨み言を言われる。

正常な判断力のない老人と議論しても仕方がない。子どもなり、周囲の人間が、本人にとって最適と思われる「介護のあり方」の方針に則って、半ば強引に推進するしかないと思う。しかしながら、ウチの場合、子どもが僕だけだったから、まだうまくいった方であるが、複数の子どもがいて、それぞれ思い思いに異なる意見を言い始めたら、たぶん何も進まず暗礁に乗り上げていたに違いない。子どもがいない天涯孤独な老人だったら、詐欺師の餌食になるかもしれない。

自分の親を見て思ったことは、長生きすることは決して良いことばかりではないということである。自立して他人の厄介にならずに生活できるならば問題はない。そうでなければ、長生きすることは、本人にとっても周囲の人間にとっても、社会にとってもリスクでしかない。

「ぴんぴんコロリ」という言葉がある。寿命と健康寿命を限りなく一致させたいという思いを言い表したキーワードである。

僕もめざすは、「ぴんぴんコロリ」である。ベッドに寝たきりになったり、自分が誰なのかもわからない状態になってまで長生きしたいとは思わない。


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