見出し画像

「ChatGPT」について

「ChatGPT」は人工知能(AI)がネット上にある膨大な情報を読み込み、パターン認識することを通じて学習し、学習した内容に基づいて、質問者からの質問に対してもっともらしい回答をしてくれる。

一見、賢そうな感じがするのだが、ごく初歩的な質問に答えられなかったり、明らかに間違った情報を平気で提供したり、よくわからない質問に対しで適当な返答を返したりすることもあるという。

もちろん、相手は機械だから、何らかの意図や悪意があって、そういう行動を取るというわけではない。所詮はネット上の情報というものは玉石混交であること、機械というものの限界は案外まだまだその程度であること等が関係するようである。

膨大なデータを読み込んで機械学習を続けることで、だんだんとレベルアップしていくのだろうし、いずれは機械とは見分けがつかないような水準に到達することになるのかもしれない。

米国の教育現場では、<便利なチャットボットに子どもたちが依存し、思考力を奪うとして規制する動きが出始めた一方、デジタル教育の新潮流だと捉え、教育現場での活用を訴える声も上がっている。>という。大学のレポートを「ChatGPT」に下請けさせるようなカンニング行為が起きるリスクに対応するために、オンラインでのテストではなく、教室での筆記試験に変更する動きもあるらしい。

以前、新井紀子著『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』という本を読んだことがある。この本で、AIが得意なことと、AIには金輪際できないことについて紹介されていた。

AIが得意なことは、計算と暗記である。コンピュータであるから情報処理はお手のものである。いわば、「クイズ王」みたいな能力に関しては、人間は機械には太刀打ちできない。

一方、AIが絶対に不得手なことは、自然言語を読み解くことである。「問題文が読めない」「文脈を理解できない」のである。言い換えれば、問題文の意味を機械が本当に理解して解答を導き出しているということではなくて、単に統計的にそれらしい、正答率が最も高いと判断される最適解を返す作業を繰り返しているだけなのだという。

新井は、東大合格を目指すAI「東ロボくん」の開発に携わったが、「東ロボくん」の国語力が向上することはなく、東大に合格できる程度の読解力を身に着けることは不可能と判断された。

しかしながら、「東ロボくん」は東大レベルは無理だったが、MARCHレベルの学力には到達できていたのに対して、読解力に関して「東ロボくん」と同等程度以下の能力しかなくて、文脈をちゃんと理解できないような中高生が約8割もいることが判明したという。

MARCH以上の大学に入学する学生は受験生の上位15%くらいだと聞いたことがある。つまり、残り8割以上の学生はAIよりもおバカか、少なくとも読解力に関しては、AI並みの能力しかないということを意味する。

「ChatGPT」に代表されるようなAIの進歩は止められないし、それを活用してズルをしようとする人間がいるのも止められない。というか、AIにできるくらいのことは、AIに任せてしまえば良いと割り切るしかない。で、人間はAIにはできないことに特化するしかない。

膨大な情報を収集したり、そうした情報に基づいてデータ分析したり、ロジカルに最適解を導き出すような作業は、人間はどうやっても機械には勝てない。でも、機械は作業はできるが、作業の意味を理解しているわけではない。

したがって、AIの能力の強み・弱みを正しく理解した上で、うまく利用できるのであれば、AIに得意な仕事はAIに任せて、我々人間はAIには不得手な領域や、AIに任せるべきではない領域に特化すれば良いということになる。

AIは人間が競う相手ではなくて、うまく利用して、共存し棲み分けを図るべき相手なのである。

医師の代わりに膨大な画像データをチェックするとか、法律家の代わりに過去のよく似た判例を調べるといった作業ならば、機械に任せた方が良い。でも、そこから導き出された「答え」を検証して、本当に正しいかどうか判断するのは人間でなければ困る。所詮は機械は意味も分からないで作業をしているだけの道具だからである。

問題は、機械と同じかそれ以下の読解力しか持たない人間をどう取り扱うかである。文脈を理解しないまま計算や暗記によって問題を解くだけであれば、人間はAIには勝てない。でも、その程度の学力の人間が約8割もいるのだとすれば、ちょっと日本の将来は暗いと言わざるを得ない。

〇✕やマークシート形式でのクイズみたいなテストによる選別ばかり繰り返してきた弊害なのか、国語教育が間違っていたのか、国語だけではなく日本の教育制度全体がどこか間違っていたのか、その辺のことは僕にはよくわからない。

世の中が変われば、重視される能力、求められる資質も異なる。暗記力とか計算力のような、逆立ちしたって人間が機械に勝てないような能力に関してはほどほどで良いとして、機械にはできないこと、機械に任せるべきではないことで能力を磨くべきであるし、そうした分野を苦手とする人間が同世代の約8割もいるのだとすれば、教育のあり方を一旦リセットして、シフトチェンジしなければ手遅れになるような気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?