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ネコの耳が落ちる春 -Sitotoxism & Photosensitivity-

桜も満開から散りはじめ、春も本番が到来しています。
春が旬な食べ物も多いですが、魚介類でいえば春告魚の桜鯛や鰆、メバルなどがあります。

ところで、「春先のアワビの内臓を食べさせるとネコの耳が落ちる」という言い伝えはご存知でしょうか?

今日は、光過敏症を発症する食中毒についてお話します。


Introduction

先の言い伝えですが、江戸時代中期に編纂された書籍に記載があるような古いものだそうです。

最も古いものは、「和漢三才図会」(わかんさんさいずえ)内に「猫、鳥貝の腸を食へば、則ち、耳欠落す、往々之を試むるに然り(猫がカラス貝のはらわたを食べると耳が落ちてしまうので与えてはいけない)」とあります。

猫がアワビを食べると、耳が落ちる (setohime.com)

これは東北地方で伝わていたものであったようで、春先のアワビのツノワタ(内蔵)を食べたネコはうるしにかぶれたようになり、かゆいためかよく耳をかき、耳がなくなってしまうこともあるという。

言い伝えにすぎないかと思えども、実際にあったら怖い話ですね。ほっぺたが落ちるのではなく、痒くて耳が落ちてしまうということだそうです。

しかし、この言い伝えは実際に起こる中毒症状の話です。
しかも、人体でも起こり得るものです。


毒物と光過敏症

とはいっても、人体での中毒症状の報告は極めて稀なようで、記録にある直近のもので1947年3月に岩手県気仙郡三陸町で発生した1件程度のものですのでご安心ください。

中毒症状としては、光過敏症を発症します。
日光にあたった際、摂取して1~2日で、顔面、手、指に発赤、はれ、疼痛などが引き起こされ、 やけど様の水泡が現れ化膿することもあるそうです。全治には約20日を要しますが、死亡することはないようです。

貝を食べて起こる中毒症状といえばお腹を壊すぐらいのものしかないように感じますが、特に光過敏症という中毒症状は聞いたことがないかと思われます。

そもそも光過敏症を引き起こすものとは何なのでしょうか。
ここからかなり細かい話になっていきます。


原因物質と類縁体

突然ですがクイズです。次の構造式はなんの化合物でしょうか?

Fig.1 What is this structure?

生物学、特に生化学か天然物化学などで植物の天然分子について触れている人であると、
「クロロフィルってこんな構造してるかな」
とわかるかもしれません。
しかし、残念ながらその回答だと△(惜しい)です。

惜しいというのは、クロロフィルと構造をみるとわかります。

Fig.2 Structures of chlorophyl A and C

Fig.1の構造とFig.2を比較すると、似ているようでどこか違うことがわかるでしょうか。間違い探しめいています。

原因物質の説明の前に、先に類縁体であるクロロフィルの説明をします。


Chlorophyllの構造

クロロフィルといえばおおよそ説明の必要はないかと思いますが、植物の光合成において光エネルギーを吸収する役割を担う葉緑素です。緑色のもとです。
クロロフィルは植物体やシアノバクテリアなど光合成をして栄養を得ている生物が保有しています。

共通する構造として、窒素の複素員環であるピロールが複数繋がったテトラピロール構造を母核としています。
クロロフィルaとcはピロール環の不飽和状態が異なり、クロリンとポリフィリンと区別されます。加えて、光合成細菌の保有するタイプはバクテリオクロリンといい、クロロフィルはこの3種類に区別されます。

維管束植物などに含まれているクロロフィルaとクロロフィルcが異なる点として、酪酸側鎖に、クロロフィルaは水酸基がフィトール(アルコールの直鎖テルペン)が結合しています。

構造について説明しましたが、次は実際の特徴についてお話します。


Chlorophyllの特徴

ポルフィリン構造の特性として、金属錯体を形成することとともに、光学特性を持ちます。
ポルフィリンはソーレー帯という400-500nmの吸収帯とQ帯という500-700nmの吸収帯をもつという特徴があります(Fig.3)。また、金属錯体が異なると吸収スペクトルが変化することから、分析試薬として利用されます。

クロロフィルも同様の吸収体を持ち、光合成色素として活躍します。光のスペクトルのうち、500-600nmの吸収体は緑色であり吸収されないことから葉緑体は緑色に見えます。

Fig.3 Absorption spectra of chlorophyll A (blue) and chlorophyll B (red)

クロロフィルが光合成でどんな作用をしているかを整理すると、葉緑体のチラコイド膜で光エネルギーを使って水を分解し、酸素を生成し、電子を生じます。これは非循環的電子伝達系といいます。
詳細は省きますが、光化学反応のうち光化学系II(PSII)の反応に関連してきます。PSIIの中でクロロフィルは光エネルギーを吸収することにより励起され酸化還元反応を起こします。

Fig.4 「光合成における酸素発生のしくみを赤外光を使って探る」
Fig.5 ①明反応(光合成電子伝達反応)-未来ecoシェアリング-

複雑な話でしたが、ここではとりあえず「原因物質によく似た類縁体であるクロロフィルは、色素化合物であり植物体などに含まれる」ということをご理解いただければと思います。


原因物質の特徴

クロロフィルのうち、ケイ藻や褐藻などの二次共生藻の保有するものはクロロフィルcとなります。先の質問にあった構造の物質と比較してみると非常に似ていることがわかります(Fig.6)。

先の質問の物質は、ピロフェホルバイド(Pyrophepphorbide)といい、これが食中毒の原因物質となります。

ここからが本題になります。

Fig.6 Structures of pyropheophorbide and analogs

右のクロロフィルcとその他で大きく違うのが、テトラピロール環の中心にマグネシウム(Mg)が配位している事が挙げられますが(緑色)、Mgが脱離し水素原子に置換することをフェオフィチン化といいます。
これは酸性条件下で生じる反応で、自然界ではクロロフィルは植物プランクトンが死んだり捕食されることによって分解されます。

フェオフォルバイド(pheophorbide)はクロロフィルがフェオフィチン化したもので、ピロフェオフォルバイドはそれがさらにカルボン酸メチルエステル(青色)が脱離したものになります。

母核となるポリフィリン構造について、色素化合物であることを説明しました。実際に、人工的に色素や光学特性を活かした触媒として利用されます。

具体的な反応については複雑なのでここでは省きますが、ポリフィリンは光を吸収して光誘起電子移動を起こします。この光をエネルギーに変換する反応が実際光合成で利用されており、原初の太陽光発電となります。
余談ですが、ポリフィリンのようなn共役系は高濃度の状態で錯体を形成し、この光感受性物質を利用して有機化学的な太陽光発電を行う研究も広く進められています。


食中毒の発生

困ったことに、時としてこの光学特性が体内では問題になるようです。
というのも、フリーの状態で体内にいる光感受性物質が光を変換したエネルギーはどこに行くかというと、非常に強い活性酸素を生じます。

ピロフェオフォルバイドは摂食により腸管から吸収された全身の細胞へと運ばれますが光が当たるような皮膚にいると途端に悪さをし始めます。生成された活性酸素が細胞膜の酸化を誘発し酸化脂質を生成し、それがさらに他の細胞を破壊し、これがやけど様の症状を引き起こすとされています。

これが、この食中毒である光過敏症の正体になります。

アワビの話で言うならば海藻を食べたアワビの体内でピロフェオフォルバイドが生成され蓄積され、人の体に入るという機構のものでした。春のアワビというのは、特に中腸腺に蓄積している時期であったようです。

実はこの食餌性光過敏症はこのアワビの件以外にも発生しています。
それは、クロレラです。

クロレラというのは淡水性単細胞緑藻類の総称ですが、緑色をしていて光合成をして生きています。保有するクロロフィルは陸生植物のものと同じaとbであり、光合成生物の原点とも言えます。タンパク質含有量も高いことから健康食品として注目されています。
しかし、クロレラにはクロロフィル分解酵素が存在しており、条件によってはフェオフォルバイドを生産します。
これにより、昭和52年に計23人の食餌性光過敏症が報告されることとなり、厚生労働省より危害防止に関する通知が出されました。


災い転じて

フェオフォルバイドは光過敏症の原因物質ですが、現在ではその特性を逆手に取って医療で利用される手法が考案されています。それが光線力学療法(Photodynamic Therapy; PDT)です。

医療用に加工されたフェオフォルバイドは光増感剤として作用し、腫瘍組織に特異的に集積します。そして、PDTは集積した腫瘍組織に波長410nmのレーザーを照射することによって、活性酸素を意図的に生成させ細胞をアタックし治療するという方法になります。

とはいうものの、レーザーの当たる露出した箇所かつ小さな病変にしか利用できず、レーザーを使って焼き切れるというのもあるので腫瘍に対する外科治療には問題がまだあります。しかし、日光角化症などの皮膚疾患については瘢痕も小さくなるので有効であるとされています。

食中毒が医学的利用につながるところが、化学の妙です。


Conclusion

シアノコバラミン(cyanocobalamin)という物質があります。一般にはビタミンB12と呼ばれます。構造は非常に複雑なので省きますが、中心にコバルト錯体を持つポリフィリンに似た構造をもっています。
ビタミンB12はアミノ酸・脂肪酸の代謝および葉酸の生合成に利用され、陸生植物にはほとんど含有されず、海苔や貝、動物の肝に非常に多く含有されています。
食品としてだけでなく、眼精疲労の点眼薬にも利用されます。また、類縁体であるメチルコバラミンはメチコバールとして末梢性神経障害治療剤に利用されます。

1964年にドロシー・ホジキンらはシアノコバラミンの構造決定を果たしノーベル化学賞を受賞しています。

生産にあたっては、構造の複雑さから合成が困難であることから放線菌などの細菌の培養液から生産されています。
このように、もちろん味噌や醤油などの発酵食品も含め、私達の生活の裏には菌類や微生物の活躍が隠れています。

クロレラも同様に健康食品として利用されていますが、一歩間違えると先の食餌性光過敏症を引き起こしたりします。それはほんの少しの培養条件の違いかもしれません。また、過剰摂取によっても副作用を引き起こす場合があるため用法用量は適切に守らなければなりません。

先ごろニュースで、紅麹の成分を含むサプリメントを摂取した人が腎臓の病気などを発症したという問題が報道されています。

小林製薬の紅麹の成分を含むサプリメントを摂取した人が腎臓の病気などを発症した問題で、厚生労働省は、7日の時点で、延べ212人が入院したことが小林製薬からの報告で明らかになったと発表しました。

小林製薬「紅麹」問題 延べ212人が入院(4月7日時点)厚労省 | NHK | 医療・健康

この件に関しては具体的なことがまだわからないため細かいこと話すのは控えさせていただきますが、微生物の生産する物質と人体との関係というのは非常に繊細なものです。ほんの少し生産の条件が違っただけで制御ができなくなったり、また少し食生活や基礎疾患などの体調が異なるだけでどのように転ぶかわからない怖さがあります。
この問題は、単純に話せる問題ではないと思います。

世界最古の発酵食品は紀元前5000年頃とされており、その頃から私達は微生物たちのお世話になっているわけですが、その歴史の中では必ずしも利益ばかりではなかったであろうことを、改めて考えさせられています。


ご清聴ありがとうございました。


Reference

自然毒のリスクプロファイル:巻貝:ピロフォルバイドa(光過敏症)
https://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/poison/animal_det_16.html

研究を進める要因はテーマを想い続けること!アイディアは思わぬところから湧いてくる?
https://www.taiyokagaku.com/lab/column/28/

フェオホルバイド等クロロフィル分解物を含有するクロレラによる衛生上の危害防止について(昭和56年5月8日付け環食第99号 厚生省環境衛生局長通知)
https://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/hokenkinou/dl/18.pdf

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