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4.小さな子分

声も出さずに、じっと薄暗い箱におさまっていた子いぬは、車に乗せたとたんにがさがさと動き始めました。ふたを開けると、「出して、出して!」といわんばかりに後ろ足で立ち上がり、箱のふちにつかまって、元気よくあばれ出したのです。
「店でおとなしいふりをしていたのは、買ってもらうためだったのか、…騙された!」
と、運転席の夫が笑いました。
子いぬを抱いたこともない私のひざの上は、相当居心地が悪かったらしく、子いぬはますます落ち着きなく動き回るのでした。
ペットショップから見知らぬ家に連れて来られた子いぬを大歓迎してくれたのは、当時高校をやめてアルバイトをしていた息子だけでした。
中学生だった娘は、「子いぬの名前を何にするか?」という話し合いには参加したのですが、ところかまわず跳ね回って粗相をし、誰の手でも容赦なく甘噛みをする子いぬを怖がり、可愛がるどころか、見向きもしなくなったのです。娘は、
「どうして犬を飼うことにしたの?噛まれるし、怖いよ。」
と不服そうでした。幼い頃、公園でよその犬に追いかけられたこともあり、それほど犬が好きではないのでした。夫は、
「お母さんはね、言うことをきく、小さな子分が欲しいんだよ。」
と言って娘をなだめました。
確かに、息子が高校を中退して学費がかからなくなった途端、私を支えていた「親としての使命感」のようなものがぷつんと切れてしまったような、妙な寂しさがありました。夫は元々、「勉強に向いていないやつが、無理に高校に行く必要はない」という考えの持ち主でした。私が焦って息子を塾にやったり、大学に入りやすい私立高校に入れたりした結果、息子は授業についていけず、髪を染めたり、学校にタバコを持ち込んだりと彼なりの小さな抵抗を繰り返し、2年生になる前に、とうとう学校から追い出されてしまったのです。
その間中、息子を励まし、かばい、何度も学校に戻るためのチャンスをくれた若い担任の先生は、最後の日にわざわざ家に来てくれて息子と話し、男泣きしていました。

 私が子いぬをどうしても迎えたかったもうひとつの理由は、娘の反抗期の兆しでした。
私自身が中学生だった頃、優しかった父親に対する原因不明の嫌悪感や、あのとき自分がとってしまった冷たい態度を、今度は娘が夫に対して向け始めるのではないか、という不安がありました。
夫は、自立しかけた娘の複雑な気持ちに気づき始めながらも、娘が小さかった頃と同じように話しかけ、子ども扱いし、猫かわいがりしています。娘は、そんな父親の態度をわずらわしいと感じ始める年頃になっていました。
子いぬという新しい家族の登場によって、夫の娘への執着が少しでもやわらぎ、娘の複雑な気持ちも、少しでも良い方向にまぎれてくれたら、という淡い期待がありました。(つい先日、3年も経ったのでもう時効だと思い、この浅はかなもくろみを夫に告白したところ、夫は怒らずに苦笑し、娘もくすっと笑っていましたが…。)

 しかし、「言うことをきく小さな子分」どころか、「言うことをきかない小さな姫」にこのあと、家族全員が振り回されることになるとは、誰も想像することができませんでした。

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