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『阿呆船』

昨日、碧音ちゃんが出演している舞台

吉野企画
『阿呆船』

を観てきました。

碧香と寧音も連れて。

何ヵ月かぶりに演劇空間に入りました。
ワーサルシアターもキャンセルばかりで、今月も使用団体は配信公演一団体のみです。

が、ここ最近はなんか
新しい訳でもなく
深いわけでもなく
役者が上手いわけでもなく
演出が凄いわけでもなく
さほど効果的でもないプロジェクションマッピングもどきを使ってたり
話も普通で
エンターテイメントと歌えば何でも赦されると思ってそうな

そんな舞台しか見なくなって辟易して演劇が嫌いになっていた所に新型コロナが蔓延し、
お仕事としても全て失くなって。
動いてた企画も消えたり、延期されたり、止まったままでいて、やる気みたいなものは本当に失くなっているに等しかったのですが。


久々に体感した演劇は
やはり俺が「演劇」を好きなことを思い出させてくれました。

狭い空間だけど、無限に広がる世界。
現実世界にはいないけど、何処にでもいるイビツな登場人物。
美しい照明。
身体が震える程の音響。
理解を拒否する程の言葉の洪水。
シンクロする役者と観客。
非現実そのものを詰め込んだ劇場空間。
そして、コロナ状況下だから全員が気遣い優しさに包まれた客席。

30分おきに休憩が入り、消毒と換気が行われる。
観客はもちろん、出演者も全てマスク着用。

アングラ演劇だからこそ、この世相を反映して笑い飛ばす演劇本来の意義が光り、それでいて異空間を作り出す。

黒い空間に赤い布を垂らせば異様な舞台セットになるから不思議だよね。
うちも良く使います。

たまたまマスクが下がって鼻が出たときに、久々にスモークの香りを嗅いだ。
劇場では当たり前の匂い。
いつもいやというほど嗅いでた匂いなのに、
その時まで嗅いで無かったことに驚いた。

そうか、マスク一つで人間は恐ろしいほど沢山の情報が遮断され、欠落していくのだなぁ。
と。
そりゃあ、どんなに頑張っても映画やテレビ、ネットじゃあ『世界と空間を体験する』事が本意の演劇なんて到底再現は不可能なんだ。
と改めて実感した。

仮想空間なんて、所詮偽物の模造品だ。

だから映画もテレビも演劇の圧倒的なパワーとカタルシスに勝てないんだなぁ。
と再認識すると同時に、
全て本物を体感できる空間だからこそ、
偽物の役者、抜けた演出、穴だらけな世界(台本)、すらも全身で感じてしまうから、演劇のつまらなさは体調を崩す程にのしかかってくるのだろう。

「エンターテイメント」
と言う言葉を利用して、笑いに逃げて、問題定義や回答も曖昧な、コントと呼ぶには稚拙なネタや役者たちの舞台は本当に酷い。

演劇は生の感情や感覚を溢れさせて、空間を包み込み、観客にぶつける。
と言う飛んでもなくパワーがいる作業だ。

そのパワーを支えるのは
本当にアナログな肉体訓練と感覚を研ぎ澄まし、心をさらけ出す勇気がいる。

特に日本人は心をかくして生きる人種なので、
本当に演技には向かない。
演技なんてやるのは頭のネジが壊れたバカだけだ。
それを分からない真面目な奴が、表層的な訓練だけして、恥や外聞を気にして心をかくしながら他人に評価を求める。

だから駄目なのだ!
と言う意味すら伝わらない。

それが芸能なんてバカがやること。

と言う全てなのに
夢を見る。
とか、
本気です。

とか、そんな言葉に変換されて「表現者」と呼ばれる何かを目指す。

でも、この令和の時代。
根性論だパワハラだ時代遅れだと言われてるものが
少しズレて間違って使われている事に誰もが気づいていると思うのだけど。

結局はそのドアナログな誰にも見えない
「感覚」と「心」
が全てなのだと改めて感じられる世界だった。

音楽ライヴやクラブとは全然違う。
昔なら多少の風邪でも頑張って観に来てた観客も今は自粛する。
健康な全員がマスクして前向いて、一言も喋らずに舞台を見る。
これも体感するまでは想像も出来なかった事だが。

これでコロナが移るなら、何しても移るだろう。
そう実感出来る劇場だった。

ひさびさに観たのが【演劇そのもの】とでも言うべきアングラ(アンダーグラウンド)演劇なのも良かったのだろう。  

俺が演劇にはまっていった要素がまるごとつまった
多感な学生が見たら、きっと演劇にはまってしまう麻薬のような異物。

生歌、舞踏、濃いメイク、白塗り、言葉の洪水による非日常は、そこで起きることの理解を拒否させ、感じることのみを強制させる。

だからこそ、カタルシスが生まれ
【演劇を観た】
と身体で実感できるのだろう。

まだまだ何も出来ないけど、
小さな空間でも【演劇】を作りたい。
そんな気持ちがムクムクともたげてくる
そんなよい空間でした。

五歳の碧香と三歳の寧音も一緒に観ました。

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アングラなんて途中で飽きるか怖がるかで、絶対外に連れ出す羽目になるだろうと鷹をくくっていたのだけど。
二時間ずーっと静かに舞台を見てました。

寧音も意外とやってることを楽しんでて
理解を求めず、体感させるアングラだからこそ娘たちも【演劇】を体感して楽しんでたんだと言うことも体感できた、そんな不思議な二時間でした。

この公演の公演中は、碧音ちゃんは電車移動をせずコロナ感染の予防のために劇場近くに泊まり込んでいます。

約一週間、家には帰ってきてません。

行く前は碧香と寧音が
「ママがいいよー」
と寂しがるかと思ったけど、
一度もママの事を口にせず、ずーっとパパに甘えて来て、当たり前のように楽しく静かに暮らせてます。

きっと、
「ママが仕事に行っている」
事を理解してくれているのでしょう。
碧香は特に生まれてすぐに稽古場で生活していたような子で、パパとママの仕事をしているところをずーっと見ていたので、親がどんな仕事をしているのか実感として知っている為不安もなく
「ああ、また舞台のお仕事ね」
くらいの感覚みたいです

でも、終演後に久々にママに会ってご飯食べに行ったら、ずーっと甘えん坊でした。
いっぱい我慢していたのでしょう。

帰りにグズるかと思った寧音も、あっさりお別れできて、二人の成長を感じた日でした。

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14日(日)までやってます。

吉野企画
『阿呆船』
高島平バルスタジオ

お時間ある方は是非。

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