皮膚と粘膜

花粉症が凄いです。
目がかゆく、鼻水が垂れる。そんな毎日を過ごしています。
古武術でこの花粉症を何とかしよう!と考えた事もありました。それなりに効果の出そうな事もありました。
しかし、いつの頃からか、私は花粉症の解決よりも、それを生かして稽古にする、という事の方が簡単で、楽しいぞ、と思うようになりました。

嫌なのは間違いありません。これが無くなったらなぁ、と薬も飲みます。
症状は抑えられても、案外と他の嫌なものを目にしてしまいます。ニュースが溢れるこの時代に、情報遮断は難しいです。
ならば、敵対せず、生かす。こんなスタンスも試したくなります。

花粉症は「嫌」なものです。
様々な症状が集中力を削いでいきます。
心身一如の話からすれば、嫌な身体の症状によって心も引っ張られ、嫌になります。
この時、身体を動かせたなら、嫌は和らぎ、むしろ、きっかけにもなりえます。

嫌な気持ちの時には、嫌な姿勢が生まれているものです。
その嫌は、骨的、筋肉的、皮膚的、大抵はそこに緊張として現れ、崩れを作ります。
目がかゆく、鼻水が出て煩わしい、というのは、深いレベルのもの。内臓的働きでしょう。
内臓の制御は難しくても、骨や筋肉なら、何とかなります。

花粉症に対して私の一番の対策は「鼻」です。
鼻は重力を一番敏感に感じ取れる場所です。
鼻先に、鼻たれ小僧的な振り子を作り、それを揺らさないようにしていくと、身体は整ってしまいます。崩れのない身体になれば、心も穏やかになり、色んな事を気にしなくても済むようになります。

一つ対策を持っていても、人には欲望があります。
もっと何かできるんじゃないか、と期待をしてしまいます。
「鼻流」を作ってしまえば鼻から出られません。流儀を作るのは本当に覚悟が必要です。
私はとにかく、全部知りたいのです。気づき、喜んだなら、楽しみを得て、飽きるのを待つ。自然に出てきた飽きが新たなところへと興味を引っ張ります。
そして、見つかったのが「粘膜」でした。

目がかゆく、ついつい、目をごしごしとこすってしまいます。
これはダメな事だ、と思っても、つい、こすってしまうのです。反射は意志の力を簡単に超えてきます(笑)。
常識的、医学的にダメな事であっても、経験という観点から言えば、それは大切な事です。
私の花粉症は夜、強く出がちです。仕事中などは気にならなくても、気が抜けてふわぁーと、なった時、くしゃみが止まらなくなったりします。

ぼーっとしながら目尻を抑えたりしていた時、ふと、指先が眼球に触れました。
一瞬、うわぁ!とびっくりし、それが新鮮で、そぉーっと、また触れてみました。
当然、これも、「ダメ」な事の自覚はあります(笑)。ただ、この経験はダメと言われても、得ておきたい、と思ったのです。

ちょっと前に「目の周りの水を揺らす」という術理を作りました。
視覚的に不安定を与えれば、相手は触覚的に力を発揮できない、というものですが、めまいに通じる動きのようで、気持ち悪い、という意見も多く、あまり伝えきれずにいました。
ただ、水を揺らして生む不安定の動きは塊を揺らして作るものよりも容易く、有効であるのは確かです。
私たちの身体は塊感のあるたくさんの部分で出来上がっていますが、その内容といえば、大半が水です。
水の性質として波、振動を受け取りやすい、というものがありますから、いくら人気がない術理とは言え、研究はしたいなぁ、と思っていました。

同じ頃、呼吸にも気づきがあり、前回書いた通り、肺が重なる感覚を得て、内臓の中を想像する力も増えました。
内臓そのものに触れる機会はほとんどありませんが、眼球を触った時の感触は外に露出している「皮膚」とはまるで違った感覚がありました。
目は外に出ていますが、仲間としては内臓に近いんだ、と何だかよくわからない気づきを得たのです(笑)。

「皮膚」の術理というのがあります。「鱗」と言っているのはそれです。
つい、筋肉や骨に頼ってしまいがちですが、皮膚自体でも、そうとうの刺激を跳ね返す事が出来ます。皮膚には強力なバリア機能があるのです。
皮膚は「輪郭」を作るものですが、内臓的な輪郭も、皮膚と同じように、サラリと描いてしまっていました。
しかし、内臓の輪郭は皮膚のようなしっかりとしたものではなく、ぶよぶよと、水分をたっぷりと含んだ、「粘膜」と呼ぶにふさわしいものだ、と連想が広がったのです。

これ、花粉症の症状が繋げた連想です(笑)。
こういう事があるから、私は善悪、良し悪しを決める事が出来ません。立場を確かにすれば、良し悪しを決めなくてはいけないですが、この身に受け止める立場になれば、受け取ったもの、全てを活かす事が出来るのが人間です。
安易に、これはダメな事、と排除すれば、そこからの学び、気づきがストップします。

「粘膜」という世界があったのです!
これまでの稽古で、筋肉、骨格、皮膚、内臓、空気、いろいろなものを見つけてきました。それぞれがそれぞれの性質を持ち、その両隣へとバトンを渡しています。
内臓から骨格へと行くところに「粘膜」というものがあったわけです。
粘膜は水分の多いもの、波の力を受けやすいところです。
大抵の波は見えないものです。ついつい、それを忘れて、思い込みが先へと行きます。
粘膜を見つけ、気にする事で、まだ何も起こっていない、という状況であっても、身体は波を受け取り、変化をしている、という事がわかってきました。

粘膜の理解が進んだ事で肺を重ねる呼吸はさらに進化をします。
肺が胸から頭にかけて、クロスするように大きく動いた時、内臓が持つ粘膜の働きにのり、わき腹からお腹まで、力が伝わるようになったのです。
どの順番で学んだらいいかはわかりません。
しかし、間違いなく言えるのは「粘膜はある」という事です。
内臓もあるし、骨もあるし、肉もあるし、皮膚もある。そして、粘膜もある。
あるものをどれだけ自覚し、生かすか。この楽しさを見つけたなら、人生から退屈が消えてしまいます。

次回は「空気」という世界の話をします。空気も「ある」もの、あるものをどう生かすか、という話です。

不定期稽古のお知らせ

甲野先生の浜松稽古に続き、名古屋稽古が決まりました!

「甲野善紀先生の浜松稽古」
日時:3/30(土) PM2:00~PM5:00
参加費:8000円(当日払い)
会場:浜松市福祉交流センター(フクシコウリュウセンター)
住所:浜松市中区成子町140番地の8

「甲野善紀先生の名古屋稽古」
稽古日時:4/6(土) PM2:00~PM4:30
参加費:8000円(当日払い)
稽古場所:ドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)/フィットネスルーム
会場住所:名古屋市中区二の丸1-1
地下鉄、駐車場:アクセス情報(愛知県体育館のサイト)

共に詳細、申し込みはウェブサイトから。
http://www.karadalab.com/

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