身体感覚マンション理論

身体感覚を手探りしてずっと稽古をしてきました。
世の中には技や手順があふれ、その技の意味を知らなくても効果を得られるようになってきています。特に、機械はその手順すらも省けます。ボタンを押すだけ、いや、今は放っておいても仕事をしてくれます。

成果が欲しい、成果だけが正義、というのなら今の時代は天国でしょう。
しかし、人の心は変わります。若い時には気にしなかった事が歳を重ねて辛くなったりもするものです。
現代は殴り合う喧嘩は無くなりましたが、経済の上での戦争は続いています。また、生き方が問われる信念の戦いは日々、激しくなっているように思えます。
勝てばうれしい、そんな気持ちが出るのは当然です。
しかし、勝った、とわかったならば、そこに敗者もいるわけです。突然、敗者の気持ちがわが身に湧いてきたりもするのです。

ゲームであれば勝てばうれしい、とそこで終わらせてもいいでしょう。
ただ、現実の世界は生きていくもの。一人ではなく、敗者とも共に生きていくものです。
今、勝ってうれしくても、その勝ちが人生に影響を及ぼしていきます。
勝ってしまった事で注目を浴び、期待をされれば、限られた時間は誰かのために使われる事になり不自由を感じるかもしれません。
また、私は勝ててうれしくても、その子、また、私につながるだけれかは勝てるわけではありません。

目標に出来る憧れの存在は大切で、有難いものではありますが、その期待に応えられない自分を見つけてしまい、心落ち込ますことだってあります。
人が生きていく、というのは簡単ではありません。
ただ、それでも、何とか楽しく生きていく事は出来ないだろうか、とずっと考えてきました。
一応、私は「武術」を探り、他者から見れば武術家にも見えるかもしれません。ただ、私はずっと、模索を続けているだけで、自分が武術家なのだ、と思う事はほとんどありません(笑)。

とにかく、一人稽古でずっと模索をしています。
そして、その模索の目的は「幸せ」なのです。
金や人気を得れば幸せになれる、というならそれを求めます。ただ、どうやら私はそうじゃない。金や人気で絶対の幸せは約束されません。
権力を得た事で幸せになれるなら、それを求めますが、世に溢れる権力者も案外幸せには見えません。皆、どこかで無理をし、我慢をしています。

生き方の一つとして「稽古」というものをみつけ、目標は無くても、とにかく探求をすれば困った事に出会っても、それは必ず改善、解決されて、幸せになる、とわかってきました。
どうやら私は「どうしたら幸せになれるのか」という問いにもう、答えを持っていたようです。
ただ、それは最初の一歩はちょっと大変です。目の前の辛い事に自分で向き合う必要があるからです。

私の心は弱く、臆病でしたが、たまたま武道を教える父のもとに生まれた事で、困難を前にして逃げない、という事は当たり前の事として向き合えました。甲野先生に出会う前は大変でしたが、武の世界に生まれ、生きてこれたのは本当に幸運でした。

おそらく、昔なら生きていくだけで困難に向き合う事を自然と学べたはずです。
飯もなく、家も不快で世の中は常に乱れている。そんな激動の毎日が自然と身体を頼り、そこに強さを感じさせてくれたと思います。
現代は平和で豊かになりました。
食べ物は捨てるほどあり、住まいも安心安全で、目の前の社会は壊れないように思えて暮らしていけます。
だからこそ、ポジティブに心を持つ事が出来、さらなる夢を拡げられるのでしょう。

今、大きく夢を持てるのならきっと、幸せは簡単に手に入ります。
しかし、なかなか心の底から確信できる大きな夢は持てません。
誰かの力を借りて生きているこの時代では無意識のうちに、そこで作られる常識に夢は制限をされてしまうように思えます。

ずっと「身体」を探って生きてきました。
身体を探る事で「結果的に」心を感じる事ができるようになってきました。
直接心は扱えませんでしたが、身体を通してでなら見えない心も何とかなってきました。
その過程の中で「身体感覚」が芽生え、育ち、大きく広がってきて、それらは術理化して、それぞれに繋がりや関係が見えてきました。

身体感覚を得て身体を観察すれば、そこに「階層」があるのに気づきます。
例えば、内臓、骨格、肉、皮膚、毛。これらは混ざる事なく、住み分けています。
また、腰、胸、頭、脳、というのも階層でしょう。
体幹、腕脚、手足、指、指先、というのもそれぞれ住み分かれています。

今は競争社会ですので、多くの場合は「結果」を一番に考えます。
無理な練習をして、引き出した結果はやがて、身体を壊します。身体が壊れるって大変な事ですが、今は「組織」の時代。たった一人の個人の身体が壊れても、また次のスターが出てきてくれればいい、ってのが組織です。まぁ、言葉は悪いですが・・・。

組織のために、というのなら、怪我をおしてもいいでしょう。ただ、私は「生きると何か」を考えています。
そして、その時何が「幸せ」かを考えてきました。
頭が思う幸せと身体も求める幸せは違うようです。
この自分の中にある「矛盾」がずっとあったのですが、そこに解決の糸口が見つかってきたのです。

身体に見つかっていた「階層」が、心の世界にもあったのです。
今日の記事のタイトルは変です(笑)。
「身体感覚マンション理論」ですから、まぁ、なんというか、です。

身体には腰、胸、頭がある、といいました。
これが1階、2階、3階です。
心の世界は4階から。
夢と想像の世界が4階。
夢の材料になるものが溢れているのが5階。
さらにその上に魂的な世界があり、そこが6階です。

もちろん、エビデンスなんて1ミリもありません(笑)。
むしろ、そうそう、と言われても困ります。
ただ、私の中では心と身体を6階建てのマンションのように組み上げると、それぞれの階層で喧嘩が起きず、結果として、体幹部分の流れが抜群に良くなっていくのを感じます。
体幹に力を得れば、次は骨格の力を借りて、腕を通り、手で加速し、指で指示していけば、その力は望むところへと飛んでいくようになります。

これを無理やり、骨や筋肉の理論で説明する事も出来るでしょう。
骨や筋肉はある程度理論化されています。頭はなるほど、それじゃあ、と従うかもしれません。
しかし、それでは心は置き去りなのです。
心がちゃんと働いて勢いを持っていられる。これが「幸せ」には必須なのだ、と今は感じます。

身体は1階から上へと行くのがいいようです。
心は逆に6階から降りていくのがいいみたいです。
これらは「今」そう感じるだけで、今後どうなるのか、全く予測もつきません。
ただ、確かなのは「心の世界にも階層があった」という事です。
身体は長い時間をかけてこの身体にまで進化をしてきました。
きっと、心も長い時間をかけてここにまで来たのです。
細かな事がわかる反面、心に嫌なものを見つけてしまう事も増えています。ただ、もう、この心は得てしまったもの。なくす事はできません。
ならば、これを運命と諦め、この心身と共に生きるしかないと思います。

とりあえず、この先の稽古の指針として「身体感覚マンション理論」と言葉にしておきます。
もっといい加減でふざけたものを思いつけば、改名しますのでユメユメ、真面目に考えないでください(笑)。

不定期稽古のお知らせ

「甲野善紀先生の名古屋稽古」
日時:2024/5/10(金) PM6:00~PM8:30(最終退出9:00)
稽古場所:名古屋南生涯学習センター
会場住所:南区東又兵ヱ町5-1-10
アクセス:市バス「日本ガイシスポーツプラザ」下車北へ約500m
JR「笠寺」下車西へ約500m
参加費:8000円

「つくば稽古」
日時:2024/6/2(日)13:00-20:00
参加費:10000円(当日払い)
会場:つくばカピオ リフレッシュルーム
住所:茨城県つくば市竹園1-10-1 

「東京ロングヒーリング」
日時:2024/6/4(火)10:00-17:00
参加費:24,000円(当日払い) 最大人数6名
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号

「東京夜稽古」
日時:2024/6/4(火)18:00-21:00
会場:大岡山西住区センター
住所:目黒区平町一丁目15番12号
参加費:参加費10000円(当日払い)
同日10-17時にある「東京ロングヒーリング」に参加の方は5000円

共に詳細、申し込みはウェブサイトから。
http://www.karadalab.com/

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