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懺悔室

己の罪を覚えているだろうか。
私は自覚できている罪ならばしっかりと覚えている質である。数えてみれば、片手ほど。
しかし、人間とは忘却するいきものであり、かつ自分の知らぬうちにも人を傷つけ罪を重ねているものであるから、私が覚えているものよりももっと多くの罪を私は犯しているのだろう。
今回は、私が古くから自覚し背負っている罪のうち最も重く、最も原初たる罪について語ろうと思う。
これは罪深き咎人の懺悔であり、
貴方は顔の見えぬ私の罪を聴く司祭である。





あれは私が小学校低学年の時、田舎の学校から都会の学校へと転校し、数週間が経った頃のことだった。
転校し、学校が変わればその場のルールも変わる。それに徐々に適応していっている時であった。
小学校低学年、私の世代では筆箱は専らプラスチック製、上下両面が開く長方形のものであった。子供に人気のキャラクターがよく描かれる あれ である。想像いただけたであろうか。低学年の筆記用具といえば鉛筆で、鉛筆は使っているうちに芯が減っていく。となれば鉛筆削りも必須。長方形の筆箱には必ずと言っていい程鉛筆削りが付属していた。
私はある時、学校の中で、自分の鉛筆がかなりすり減っていることに気が付いた。他の鉛筆も同様に露出した芯が短く、鉛筆削りで削る必要があった。私は学校のくずかごの前でしゃがみ、筆箱に付属していた鉛筆削りで鉛筆を削ってそのまま削りカスをくずかごへと捨てた。

その後授業を受けて暫く経つと、担任であった初老の女性教師がくずかごの中の削りカスに気がついた。途端に女性教師は生徒たちに向かって「ここで鉛筆を削ったのは誰だ」と怒り声を荒げた。
学校のルール、いや、教室のルールだったのかもしれない。今となってはもうわからないが、兎に角その時はルールとして「鉛筆の削りカスを直接くずかごに捨ててはいけない」のであった。
無論、私はルールを無視して削りカスを直接捨てたのではなかった。転校前の学校では許されていたことであったから、こちらの学校、こちらの教室でもやっていいものだと思っていたのである。
初老の女教師は「やった人は名乗り出なさい」と生徒たちに鋭く呼びかけた。勿論私がやったのであるから、私以外の生徒の中に名乗り出る者はいない。

私は名乗り出られなかった。
転校して数週間経ったといえど、私にとっては教室はまだ慣れない環境であったし、担任の女教師に至っては大きな声と捲し立てるような話し方、キンキンとした高い声が嫌いで苦手ですらあった。そんな教師に正直に「私がやりました」と白状すればさらにひどく怒られるだろうと思うと、名乗り出ることができなかったのである。
全員がだんまりを決め込む中、女教師はさらに「黙ってやり過ごすつもりか」と激しく怒った。
女教師による犯人探しが始まって暫くは私も、無実の他の生徒も黙りこくっていたが、突然、ある男子生徒が声を上げた。
「Sちゃんに似た人が削っているのを見ました」

鶴の一声だった。
Sちゃんとは私ではない。
クラスメイトの彼女は少し変わった子で、空気が読めない発言が多かったし、何かと人に甘えようとすることが多かった。自分の思い通りにならないとすぐに泣いて周りを困らせることも多く、生徒たちからは嫌われ少し距離を置かれていた子だった。
男子生徒はそんな彼女に嫌がらせをしようと思って発言したのか、それとも私の姿をSちゃんと本当に見間違えたのか、真相はわからない。
しかし、その発言を聞いて女教師が即座に矛先をSちゃんへと向けたことは変わり様のない事実であった。

どうしてこんなことをしたのか、だめでしょう、と女教師は一層早口に捲し立ててSちゃんを批難した。
Sちゃんは勿論そんなことはやっていないので、そんなことはやっていない、見間違いだ、と否定する。
しかし、女教師も「Sちゃんならやりかねない」「Sちゃんなら嘘をつくだろう」と思っていたのだろう。
生徒がSちゃんを嫌っていたように、女教師もSちゃんを厄介者にしていたのだ。
女教師は、どうして嘘をつくのか、認めなさいと怒り狂った。
Sちゃんは嘘じゃない。ほんとうにやっていない、と泣き叫んだ。しかし女教師は嘘をつくな、と完全にSちゃんを犯人と決めつけ、怒鳴りつけた。

私はそんな二人の様子を震えて見ていることしかできなかった。
予想通りに犯人を見つけるとさらに怒り狂った女教師が頗る怖かったし、もう言い出せるような状況ではなかった。
激しく泣くSちゃんに対してこれ以上無いほどの罪悪感を抱きながらも、私は沈黙を貫き通した。罪無き観衆を装った。

その後どうやってこの事件が終わったのかはよく覚えていない。




私は転校生という立場にあった。
やったのは誰だと聞かれたときに素直に名乗り出ていれば。
前の学校では大丈夫だったのでやってしまいましたと素直に理由を吐けば。
怒られはしても、Sちゃんの時のように激しく怒られることはなかっただろう。
Sちゃんを不条理に酷い目に遭わせる必要なんて微塵も無かった。
Sちゃんはあの事件以来「嘘つき」として嫌われていたかもしれない。
学校に居にくくなってしまっていたかもしれない。
一生の心の傷を残してしまっていたかもしれない。
私はとんでもない罪を犯してしまったのだ。



あれからずっと、私はこのことを胸に刻んで生きている。
罪を受け入れ、定期的に思い出し、もう二度と自分のせいで他人を不条理に傷つけることがないように気を張って生きてきた。
しかし、どれだけ悔やもうとも、どれだけ自覚しようとも、私が犯した罪と、Sちゃんが受けた傷は消えないのである。
私はSちゃんに謝っていない。
この事件が起きた年次以降彼女とはクラスが別となり、そのまま疎遠になってしまった。
…いや、これはただの言い訳である。
もし、Sちゃんにまた逢えても、私は謝ることが出来るだろうか?
謝りたい。
だが、
私はそんなことが出来る人間だろうか。
意地汚い私は、何事もない様振る舞うのではないか。




この事件の真犯人が私であると、誰にも話したことはない。
これは懺悔である。
この社会に生きる一人の人間の懺悔である。
しかし、神に赦されたく語ったのではない。
神に赦されようとは思わない。

私は罪を命続く限りこの身に深く刻み、生きていくつもりである。
矜恃でも陶酔でもなく、罰として。




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