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はるかに遠い人を思う

『停電の夜に』 ジュンパ・ラヒリ 小川高義(訳)新潮文庫

 本作は、ピューリツァー賞作家のラヒリの、デビュー作でもある短編集。
 ジュンパ・ラヒリはロンドン生まれ、アメリカ育ちのインド系移民の二世である。
 短編のほぼすべてがインド、アメリカが舞台になっており、またほぼすべてが家族や夫婦、そして結婚などが話のテーマになっているようだ。
 そういえば、私が最初にラヒリを読んだのは、長編『低地』だったが、この物語も家族や夫婦が重要なテーマだった。
 たとえば、家族や夫婦などは、わたしたちにとってはいちばん身近で、小さい集合体。それがだんだんマクロ化していくと国家になるだろう。と思えばラヒリが描く家族像、夫婦像はある意味、アメリカとインドの狭間で揺れるグローバルな家族という国家でもある。
 短編集のなかでも印象深いのは、表題「停電の夜に」だ。ある冬の夜、吹雪による計画停電の夜に、若い夫婦がロウソクの灯のもとで互いに隠し事を打ち明け合う。物語に引き込まれながら、夫婦の喪失と再生をそこに見た。人はどうやって夫婦になるのか、ということ。完璧な短編だと思う。なぜか、カヴァーの傑作短編「ささやかだけれど、役に立つこと」を思い出す。
 もうひとつあげれば、「ピルザダさんが食事に来たころ」も素晴らしい。
インド系の家族のもとに、ピルザダさんというパキスタンからのお客さんが、夕食に通うようになる。時代背景は1970年代、インドとパキスタンが戦争があった頃、祖国の動乱のテレビニュースを見て、一家とピルザダさんは祖国のことを想い胸を痛める。また彼には祖国に妻と子供を残してきている。主人子はその一家の幼い娘の少女で、そこのところは作者ラヒリと重なる。小さな少女が見る、哀しみと分断されていく祖国。
 ここ近日のロシアによるウクライナ侵攻が思い起こされてしかたがない。
たとえば、日本に住むロシア人やウクライナ人がニュースを見て、祖国の戦禍に胸を痛めるようなものであり、時事的には生々しい。
 祖国から離れて暮らすこと、異国を想い祈ること。少女はそのとき初めて、はるかに遠い人を思うということを知る。

 これはある意味、ラヒリの小説にとっての原風景的なことかもしれない。
近年、ラヒリは家族でニューヨークから、ローマに移住したらしい。近年イタリア語でエッセイも書くようになっている。
 遥か遠い人を思う想像力を支えるのが、言葉かもしれない。移民という狭間の場所で育ったものにとって、言葉という文化は意識せざるを得ないものだったのだろう。
 そこのところは、長崎生まれ、イギリス育ちのカズオ・イシグロにも共通するファクターなのかもしれない。
 いずれにせよ、ジュンパ・ラヒリは、文学がグローバルに越境していく時代のトップランナーであることには間違いなさそうだ。

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