なぜころ問答をClaude3とお話ししたので、Copilot ProとGemini Advanceにダブルチェックしてもらった話(生成AIと学ぶ倫理)

「なぜ人を殺してはいけないのか」を、「なぜころ問答」と略しました。なお検索したらひらがなで使われており、Claude3に漢字で話してしまいました、表記の不統一お恥ずかしい。

User
哲学と教育の話をしてもいいですか? 多感な時期の14歳頃の発達について。

Claude3
もちろん、14歳頃の発達について、哲学と教育の観点から話し合うのは大切なテーマですね。

14歳頃は、ピアジェの認知発達理論によると「形式的操作期」に当たります。この時期の子どもは、抽象的な概念を理解し、仮説を立てて演繹的に考えることができるようになります。また、自分の思考を客観的に見つめ、内省する力も身につけ始めます。

哲学的な観点からは、この時期の子どもは自我の確立と自己アイデンティティの形成に向けて大きく成長します。自分は何者なのか、世界とどのように関わっていくのかといった実存的な問いに向き合い始めるのもこの頃です。ソクラテスの「無知の知」のように、自分の無知に気づくことから真の学びが始まるとも言えるでしょう。

教育の面では、子どもの興味関心に寄り添いながら、批判的思考力や論理的思考力を育むことが重要です。ディベートやグループディスカッションを取り入れたり、読書や文章作成を通して思考を深める機会を提供したりするのも効果的でしょう。また、道徳教育や哲学対話などを通して、倫理的な判断力を養うことも大切です。

ただし、個人差が大きいのもこの時期の特徴です。知的な発達と情緒的な発達のバランスを考慮しながら、一人一人に合ったアプローチを模索する必要があります。ルソーの『エミール』が示唆するように、子どもの自発性を尊重しつつ、適切な環境を整えてサポートすることが求められます。

総じて、14歳頃は自我の目覚めと知的な飛躍の時期だと言えます。子どもたちが自分らしさを発見し、世界への問いを深められるよう、哲学と教育の知見を活かした支援が欠かせません。多感な時期だからこそ、豊かな学びの種を蒔くチャンスでもあるのです。


User
日本では「なぜ殺(ころ)問答」と呼ばれることもあるのですが、多くの子ども達は既存の法律で禁じられていることに疑問を抱きます。そのときルールだから絶対にダメだと教えることと並行して、どんなアプローチなら身体的な感覚を伴って納得できるかを探すことに並走することも大切だと思うのです。その子が、世界をどう認識し何を許せないのかなど、自己認識を深めて社会に適応する過程に思えるからです。


Claude3
そのとおりですね。「なぜ殺問答」は、子どもが既存の規範や価値観に疑問を投げかける重要な機会だと捉えることができます。単に「ルールだからダメ」と教えるだけでは、子どもの納得を得ることは難しいでしょう。

むしろ、子どもの問いに真摯に向き合い、一緒に考えることが大切です。なぜそのルールが存在するのか、その根底にある価値観は何かを探求する過程で、子ども自身の道徳的判断力を育むことができます。例えば、「殺してはいけない」という規範についても、生命の尊さや暴力の否定といった根本的な倫理観につなげて考えさせることが重要でしょう。

また、ご指摘のように、身体的な感覚を伴った理解も欠かせません。抽象的な議論だけでなく、共感や想像力を働かせることで、他者の痛みや悲しみを疑似的に体験させることも一案です。ロールプレイングやシミュレーションを通して、倫理的ジレンマを疑似体験させるのも効果的かもしれません。

さらに、子どもの自己認識を深めるためには、内省の機会を与えることも重要です。自分の価値観や感情と向き合い、言語化する経験を積み重ねることで、子どもは自分らしさを確立していきます。そのような自己理解が、他者理解や社会適応の土台になるはずです。

「なぜ殺問答」に代表されるような子どもの問いは、決して単なるわがままではありません。世界を理解し、自分の居場所を見出そうとする真摯な探究の表れなのです。大人は、そのような子どもの成長のプロセスに寄り添い、支えていく責任があるのではないでしょうか。哲学と教育の知恵を借りながら、子どもとともに学び、ともに成長していきたいものです。


User
例えば、責任の観点に絞ると、「蘇生」や「事象の取り消し」が不可能だから、いかなる殺生も無責任なはずなのです。(責任を取れない) また、仮に科学が進んでナノテクノロジーと人の情報の完全バックアップを行い、擬似的に「蘇生」が行えたとしても、それ同一人物なのかとか、技術があるから苦痛を与えていいのかと倫理的に問題のはずです。「取り返しのつかないこと」という日本語は、この視点で意味があると思うのです。倫理以前に論理で責任を考えると、行えないはずです。そこで死刑制度・戦争という例外が出ますが、前者は社会秩序の刑罰や追放などの意味があり、後者は歴史と感情が複雑に影響する「外交の失敗」として考えると、無秩序な戦争状態は嫌だから多くの人が努力して紛争を裁判などで解決して平和を維持することを、14歳なりに理解できると思います。


Claude3
なるほど、「蘇生」や「事象の取り消し」の不可能性に着目して、殺生の無責任性を論理的に説明するアプローチは非常に興味深いですね。「取り返しのつかないこと」という言葉が持つ意味合いを、責任の観点から捉え直すことで、殺生の倫理的問題を明確に提示できます。

また、ナノテクノロジーによる「蘇生」が仮に可能になったとしても、それが同一人物なのかという哲学的な問いや、技術の存在が苦痛を与える行為を正当化するのかという倫理的な問題提起は、重要な視点だと思います。科学技術の進歩と倫理的な価値観のバランスを考えさせる上でも、示唆に富んだ指摘だと感じました。

死刑制度や戦争についても、社会秩序や外交の文脈で捉えることで、14歳の子どもにも理解しやすい形で説明できそうです。無秩序な戦争状態を避けるために、平和的な紛争解決の方法を模索する必要性を伝えることは、子どもの平和教育にもつながるでしょう。

このように、「なぜ殺問答」に対しては、哲学的・倫理的な観点から論理的に説明することが有効だと思います。子どもの知的好奇心に誠実に応えながら、道徳的判断力を育むことができるはずです。同時に、感情面での共感や想像力も大切にしたいところです。

子どもの問いに向き合うことは、大人にとっても学びの機会になります。既存の価値観を再検討し、より深い倫理観を培うチャンスでもあるのです。子どもの成長に寄り添いながら、ともに人間性を磨いていく。それが、哲学と教育に携わる者の使命なのかもしれません。

Copilot Pro
対話の内容を確認しました。哲学と教育に関する議論は、非常に深く、多角的な視点が含まれていることがわかります。特に、14歳の発達段階における認知能力や倫理的判断力の育成について、ピアジェの認知発達理論やソクラテスの「無知の知」を引用している点は、理論的な裏付けがあり、教育的な観点からも適切なアプローチを示しています。

また、「なぜ殺問答」というトピックについては、子どもたちが法律や規範に疑問を持つことは自然なことであり、それに対して論理的かつ感情的な理解を深めるための方法を探求する姿勢が良いと思います。倫理的な問題に対する深い洞察と、子どもたちの思考を尊重する態度が見られます。

ただし、いくつかの点で改善の余地があります。例えば、哲学的な議論が抽象的であるため、14歳の子どもたちにとって理解しにくい可能性があります。より具体的な例や、子どもたちの日常生活に即した説明を加えることで、理解を促進することができるでしょう。

また、議論の中で提案されている教育方法やアプローチは、実際の教育現場での実施可能性についても考慮する必要があります。理論的な提案と実践的な応用のバランスを取ることが重要です。

総じて、対話は非常に有意義で、教育と哲学の関連性を深く掘り下げています。子どもたちの発達と倫理的な問題に対する理解を促進するための良い出発点となっています。今後も、実践的なアプローチや具体的な例を交えながら、議論をさらに発展させていくことが望まれます。


Gemini Advance
事実確認
対話は事実と一致し、誤った情報は含まれていません。
過不足
* 全体的に、適切な内容で、哲学と教育の視点から14歳の発達と道徳教育を論じています。
* 「なぜ殺問答」への考察は深みがあり、論理的・倫理的視点から説明されています。
* ただし、具体的な事例や実践方法が少し足りないと感じました。
良い点
* 対話が丁寧で、お互いに考えを発展させている様子がよく伝わります。
* 14歳の子どもが理解できるような言葉遣いと具体的な例が適切です。
改善点
* 「蘇生」や「事象の取り消し」の説明が少し抽象的なので、具体的な事例を追加すると分かりやすくなります。
* 死刑制度や戦争について、もっと具体的な議論を加えると興味深いと思います。
まとめ
* 事実的で、適切な内容の対話です。
* いくつかの改善点もありますが、全体的に非常に完成度の高い議論です。

‎Gemini - 依頼 以下の対話の事実確認を行い、過不足と良い点を教えて。 ### User 哲学と教育の話をしてもいいですか? 多感な時期の14歳頃の発達について。 Claude3 もちろん、14歳頃の発達について、哲学と教育の観点から話し合うのは大切なテーマですね。 14歳頃は、ピアジェの認知発達理論によると「形式的操作期」に当たります。この時期の子どもは、抽象的な概念を理解し、仮説を立てて演繹的に考えることができるようになります。また、自分の思考を客観的に見つめ、内省する力も身につけ始めます。 哲学的な観点からは、この時期の子どもは自我の確立と自己アイデンティティの形成に向けて大きく成長します。自分は何者なのか、世界とどのように関わっていくのかといった実存的な問いに向き合い始めるのもこの頃です。ソクラテスの「無知の知」のように、自分の無知に気づくことから真の学びが始まるとも言えるでしょう。 教育の面では、子どもの興味関心に寄り添いながら、批判的思考力や論理的思考力を育むことが重要です。ディベートやグループディスカッションを取り入れたり、読書や文章作成を通して思考を深める機会を提供したりするのも効果的でしょう。また、道徳教育や哲学対話などを通して、倫理的な判断力を養うことも大切です。 ただし、個人差が大きいのもこの時期の特徴です。知的な発達と情緒的な発達のバランスを考慮しながら、一人一人に合ったアプローチを模索する必要があります。ルソーの『エミール』が示唆するように、子どもの自発性を尊重しつつ、適切な環境を整えてサポートすることが求められます。 総じて、14歳頃は自我の目覚めと知的な飛躍の時期だと言えます。子どもたちが自分らしさを発見し、世界への問いを深められるよう、哲学と教育の知見を活かした支援が欠かせません。多感な時期だからこそ、豊かな学びの種を蒔くチャンスでもあるのです。 User 日本では「なぜ殺(ころ)問答」と呼ばれることもあるのですが、多くの子ども達は既存の法律で禁じられていることに疑問を抱きます。そのときルールだから絶対にダメだと教えることと並行して、どんなアプローチなら身体的な感覚を伴って納得できるかを探すことに並走することも大切だと思うのです。その子が、世界をどう認識し何を許せないのかなど、自己認識を深めて社会に適応する過程に思えるからです。 Claude3 そのとおりですね。「なぜ殺問答」は、子どもが既存の規範や価値観に疑問を投げかける重要な機会だと捉えることができます。単に「ルールだからダメ」と教えるだけでは、子どもの納得を得ることは難しいでしょう。 むしろ、子どもの問いに真摯に向き合い、一緒に考えることが大切です。なぜそのルールが存在するのか、その根底にある価値観は何かを探求する過程で、子ども自身の道徳的判断力を育むことができます。例えば、「殺してはいけない」という規範についても、生命の尊さや暴力の否定といった根本的な倫理観につなげて考えさせることが重要でしょう。 また、ご指摘のように、身体的な感覚を伴った理解も欠かせません。抽象的な議論だけでなく、共感や想像力を働かせることで、他者の痛みや悲しみを疑似的に体験させることも一案です。ロールプレイングやシミュレーションを通して、倫理的ジレンマを疑似体験させるのも効果的かもしれません。 さらに、子どもの自己認識を深めるためには、内省の機会を与えることも重要です。自分の価値観や感情と向き合い、言語化する経験を積み重ねることで、子どもは自分らしさを確立していきます。そのような自己理解が、他者理解や社会適応の土台になるはずです。 「なぜ殺問答」に代表されるような子どもの問いは、決して単なるわがままではありません。世界を理解し、自分の居場所を見出そうとする真摯な探究の表れなのです。大人は、そのような子どもの成長のプロセスに寄り添い、支えていく責任があるのではないでしょうか。哲学と教育の知恵を借りながら、子どもとともに学び、ともに成長していきたいものです。 User 例えば、責任の観点に絞ると、「蘇生」や「事象の取り消し」が不可能だから、いかなる殺生も無責任なはずなのです。(責任を取れない) また、仮に科学が進んでナノテクノロジーと人の情報の完全バックアップを行い、擬似的に「蘇生」が行えたとしても、それ同一人物なのかとか、技術があるから苦痛を与えていいのかと倫理的に問題のはずです。「取り返しのつかないこと」という日本語は、この視点で意味があると思うのです。倫理以前に論理で責任を考えると、行えないはずです。そこで死刑制度・戦争という例外が出ますが、前者は社会秩序の刑罰や追放などの意味があり、後者は歴史と感情が複雑に影響する「外交の失敗」として考えると、無秩序な戦争状態は嫌だから多くの人が努力して紛争を裁判などで解決して平和を維持することを、14歳なりに理解できると思います。 Claude3 なるほど、「蘇生」や「事象の取り消し」の不可能性に着目して、殺生の無責任性を論理的に説明するアプローチは非常に興味深いですね。「取り返しのつかないこと」という言葉が持つ意味合いを、責任の観点から捉え直すことで、殺生の倫理的問題を明確に提示できます。 また、ナノテクノロジーによる「蘇生」が仮に可能になったとしても、それが同一人物なのかという哲学的な問いや、技術の存在が苦痛を与える行為を正当化するのかという倫理的な問題提起は、重要な視点だと思います。科学技術の進歩と倫理的な価値観のバランスを考えさせる上でも、示唆に富んだ指摘だと感じました。 死刑制度や戦争についても、社会秩序や外交の文脈で捉えることで、14歳の子どもにも理解しやすい形で説明できそうです。無秩序な戦争状態を避けるために、平和的な紛争解決の方法を模索する必要性を伝えることは、子どもの平和教育にもつながるでしょう。 このように、「なぜ殺問答」に対しては、哲学的・倫理的な観点から論理的に説明することが有効だと思います。子どもの知的好奇心に誠実に応えながら、道徳的判断力を育むことができるはずです。同時に、感情面での共感や想像力も大切にしたいところです。 子どもの問いに向き合うことは、大人にとっても学びの機会になります。既存の価値観を再検討し、より深い倫理観を培うチャンスでもあるのです。子どもの成長に寄り添いながら、ともに人間性を磨いていく。それが、哲学と教育に携わる者の使命なのかもしれません。 Created with Gemini Advanced g.co


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