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自分は特別な存在ではないけれど、誰かにとっては例外的な存在だ

今回は、更新が月曜日の夜になってしまいました。いつも見て頂きありがとうございます!

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「自分という人間が、入れ替え不可能かどうかを実感するためには?」というテーマについて、考えてみたいと思う。

キーワードは、『特別』と『例外者』と『共同性』。

社会学者のリースマンは、「現代人は孤独ヘの不安から他人の行動に同調し、他人の承認を強く求める他人指向型の人間である」と分析している。

現代人は、心に孤独を抱ながら他人に同調することで「みんなと同じ」という安心感に逃げ込もうとしてしまうということだ。

流れてきた情報を鵜呑みにし、みんなと同じでありたいからこそ匿名の人へと水平化し、「みんな」の中に埋没して、自分で判断したり行動することができなくなっていく。

インターネットの急速な普及により、皆と同じ情報ではなく、個々人に最適な情報を手に入れやすくなった。

しかしながら、「皆と同じことによる繋がり」を得にくくなる分、孤立化も進んでいる。

これは、「自分たちは同じ仲間で、その共同体の中で自分は欠けがえのない存在なんだ、入れ替え不可能な存在なんだ」と、感じにくくなっているということだ。

ところで、僕らが大人になる過程で、「自分には他の人とは違う、何か特別な能力があるんじゃないか?」という悩みを抱える人もいる。

いわゆる中二病的な症状。

しかし、自分が特別であることを願いながら、現実を目の当たりにして、自分は特別なんかじゃないと知り、いずれ己を見失う。

「この役目って、自分である必要がないじゃん」という傷を抱えながら、その状態のまま成人を迎えることもあるだろう。

僕自身、自分の特別さをもっと感じたいと燻っていたし、なかなか大人になりきれずフラフラしていた時期も長かった。

・・・だけれど、「自分は特別なのではなく、誰かにとっては例外的な存在なんだ」ということに気づけるかどうか?が大切なのだと思う。

例えば、親子関係を考えてみよう。

親から「お前は特別な子だ」と言われて育ったら…

大きな期待を背負いながら学校へ行き、社会に出て、自分が特別な存在ではなく凡人だと分かった時に、劣等感が生まれ、その後の人生は「劣等感の埋め合わせ」に終止してしまうかもしれない。

特別であろうとし続け、過剰な承認を求め続けてしまう。

その一方で、親から「あなたは私たちにとって例外的な存在だよ」と、「世間の子どもはもちろん大事だけど、決してあなたのことを見捨てないよ」と、そうした『例外的な姿勢』で育てられたとしたら…

子どもは親との間に"共同性"を実感し、「それなら今度は僕自身が、自分にとって例外的な相手(親友やパートナーや子ども)を見つけよう!関係性を作ろう!」と、他者との人生を豊かにしようとするはずだ。

『特別』と『例外』は違いが分かりにくいけれど、僕の理解は次の通り。

「誰かにとって特別であろうとする」と、自分の中にその相手を入れて、染めようとしてしまう。

もしくは、己を捨てて、相手の中に浸ろうとしてしまう。

そこには、浸っている間は特別性を感じられるけれど、浸り続けないと特別でいられないという欠陥がある。

一方で、「誰かにとって例外的であろうとする」と…

自分の中に閉じこもったり、その相手を中に閉じ込めるのではなく、一緒に外へ出ようとするはずだ。

相手からすれば、自分を外に連れ出してくれるキッカケをくれた例外的な存在に感じるだろう。

そうした欠けがえのない"記憶"があることで、僕らは他者との間に共同性を実感し、仲間のために生きることが自分のためにもなるようになっていくのだと僕は思う。

大衆の中に埋もれて自分を見失った状態では、仲間を外に連れ出せないから、他人指向ではなく自分指向で生きることが大切なんだ。

・・・さいごに。

ネットの勢いや社会の変化は今後も加速していくし、日本の政治システムではその流れに対応できず、混沌を極めていくだろうと思う。

社会システムを変えることも大事だけれど、どんなに善いシステムであっても、「システムに依存し、他人を頼れなくなる人」が必ず出てくる。

システムを作るのは"人"だからこそ、人の愛や正しさが1番大事。

社会の法を守ることはもちろん大切だけれど、「誰を守るのか?」「自分はいかに生きるのか?」という『掟』も大切で、その美学が周りを魅了し、仲間が増えていくということを忘れたくない。

僕自身は、仲間を大事にすることと、孤独な他者に冷たくしないことを掟にしている。

自分と同じくらい大切に想える仲間やパートナーがいれば幸せだし、僕らの周りには、思っている以上に孤独な人が多いのだと思う。

その背景には"社会"があって、その社会と自分は繋がっているのだから、「それはお前の自己責任だ」の一言で片付けるのは、無責任だ。

孤独な人を特別に救えるわけでもないし、優しくもできないけれど、冷たくしないことは大事。

それは、孤独な人を可哀想と思って寄り添うことでもなく、例えば国に税金をしっかりと払い続けるだけでもいい。

国にはセーフティネットがあるから、納税の義務を守ることで、共同体の中にいる個人としての責任を果たすことができるから。

その人だって、誰かにとっては例外的な存在であるはず。

だからこそ、今の自分にできる頼りがいを示して差し上げたい。

・・・本日は以上です。

読んで頂きありがとうございました(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするフォトエッセイです。
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社会心理学の観点から、感じたことを綴っています。

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています!

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