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ひとりで流れ落ちてしまう前に溶け合いたい

先日、「この世界の片隅に」というアニメを観ました。

舞台は、戦時下の広島県。

深刻な環境下でも心豊かに日常を過ごしていた主人公のすず。

しかし、爆風に巻き込まれ片腕を失ってしまう。

悩み苦しみながらも、周りの支えを頼りながら自らの居場所を定め、懸命に生き抜いていくというストーリー。

…中でも、僕にとって印象深かったシーンがあります。

お医者さんや色んな人から「命があって良かったね。助かって良かったね。」と言われた、すず。

しかし

「良かった?良かったって何?どこがどう良かったのか、ウチにはさっぱりわからん。」と、すずは独り悩みを抱え込んでしまう。

心に冷たい波紋が落ちるようなこのシーンに、感情が揺らぎました。

ここからは、このシーンで思わず思い出してしまった自身の物語を書き流して参ります。

・・・僕は1歳の時に火傷を負って、今も胸元から肩にかけて傷跡が残っています。

その外傷に痛みはなく、火傷した時の熱さや痛みも覚えていないので、物心ついた時から「当たり前にここにある」という感じ。

だけど思春期を過ぎた頃から、周りの視線が気になりだして…

「自分は異常なんじゃないか」と思い悩み、親に責任を感じさせたくなくて、相談もできませんでした。

傷が見えないよう隠し続け、心の内をさらけ出せずにいた。

学校で裸にならざるを得ない時には、よく嘘をついて逃げ隠れていた。

当時の心中は、例えるなら、「寝ている間に好みじゃないタトゥーを勝手に彫られていた」ような感覚だと思います。

傷跡を、自身の一部だと受け入れられなかった。

…このままじゃダメだと思い、大学生の頃にやっと、悩みを打ち明けられるようにはなりました。

そして、その時によく言われた言葉が「命があって良かったね」だったのです。

また、「顔じゃなくて良かったね」や「女の子じゃなくて良かったね」も言われたことがあります。

当時の僕は、こうした言葉をかけられる度にますます心を閉ざしていました。

傷跡が顔じゃないからこそ、いつもは見えないからこそ…

普段は『普通の人』だと思われていたのに、裸になったら『異常な人』に見られてしまうような視線を、過敏に感じていたから。

普段は友達だと思っていたのに、傷を見られた瞬間に表情がひきつって心の距離が空いてしまうようなあの感覚が、寂しいなぁと感じていました。

さらに、周りからどう見られるかなんて気にせず『もっと男らしく堂々としていなよ』と、ジェンダーを押し付けられるように感じていたから。

周りの人がどう感じているのか?を洞察してるからこそ、他人に優しくなれるのであって…

「その”優しさ”こそが男らしさ」なのに、自分は男としてダメなのか?と感じていました。

・・・こうした言葉をかけてくれた相手は、同情を示してくれたり、前を向かせようとしてくれていたのかもしれない。

ただしそれは…

傷の痛みを乗り越えた後、本人自らが気づくことであって、周りから諭されることではないと思うのです。

うずまくような心の痛みに呑み込まれている渦中は、前向きな言葉なんかよりも…

何も言わず、ただただ一緒に居てくれたり、抱きしめてもらうことが必要だと思うのです。

同じ経験や、共通の感覚が通じ合っていない中での共感は、からっぽだから。

まずは呼吸を合わせて、通じ合わないと始まらない。

そして、当時の僕が求めていたものは…

「自分はこう感じている」という誰とも繋がらない感情を、ただただ認められ、理解を示して欲しかったんだと思います。

そこで初めて「自分には居場所があるのかもしれない」と、自分や周りを信じることを始められるから。

自分のことを深く知ってもらい、強く根を張る場所を見つけることができて初めて、「この傷があって良かったのかも…」とそう思えるから。

『智』と『信』の土台があってこそ、傷跡を含めたありのままの自分を許し、愛する力である『仁』の感覚が内から湧き上がってくるのだと、そう思うのです。

まるで、冷たく低い場所を流れる水のように、他者の流れと溶け合い、そこで安定した土壌が育まれ、やがて新たな木や花が芽吹いていくように。

そうした『豊かな関係性』が、傷を癒すには必須だと思うのです。

そして、僕自身は火傷の悩みを克服したことで

『目の前の人が感じ取った自然な感性を否定しない』という、信念が培われました。

「僕はこう感じた」という感性は持ちつつ、自分とは違うことを感じている相手に成りきり同感を向けることで、理解を深めたいのです。

100%同じ感性になりきることはできないけれど、相手のことを解りきった気にならず、想いきりたい。

「そうであってほしい」と願う自らの感性を相手に投影することなく、違いをクッキリと色分けしておきたい。

違いがあるからこそ、混ざり合えるから。

本音を隠し、空気を読んで、ひとりで流れ落ちてしまうのは、切なすぎる。

それよりも、他者と呼吸を合わせ、心豊かに溶け合える関係性を大事にしたいと、改めてそう思います。

・・・読んで頂きありがとうございます(*^^*)

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【軟水のたそがれ】
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このnoteは筆者の思想を深堀りするフォトエッセイです。
※毎週日曜日の夜に更新!

社会心理学の観点から、感じたことを綴っています。

新たな1週間が始まる前に、何か大切なことに気がつくキッカケになれば嬉しいなと思っています!

ゆらりときらめく水鏡のように
他者の魅力を鮮やかに彩る存在でありたい














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