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エッセイ執筆を通してひらいた幸せの扉 〜生き埋めにした心を取り戻した日〜

7月の終わりに、河出書房さんからフォトエッセイを出版していただいて、2ヶ月と少し経ちました。たくさんの方に手に取っていただき、とても嬉しく思う今日この頃です。ありがとうございます。

エッセイはわたしのトラウマについて少し触れていて、そのお話が出版のきっかけになっています。エッセイ全体的には歌ってきた中で出会ったことや、好きなものの話、ブラジルでのことなど、色々なエピソードを書いています。

(出版の経緯は上記の記事の下の方にあります(^^))

色々書いてはいますが、わたしとしては、一番、扉を開けるのが苦しかったのが、メインとなるお話に出てくる、2度の性被害のことでした。エッセイは色々な方が読むから、あまり具体的なことを書くと辛すぎて読めなくなってしまうと思い、自分の気持ちにフォーカスしています。「勇気をもらった」「前向きな気持ちになれた」という感想を多くいただき、わたしも励まされています。そういう作品にできて良かった。



1つずつのお話は短めにまとめていますが、実際は2年近くかかって書いています。どんな風に書いたらいいのか、削るのもとっても難しかったな。何度も自分の気持ちを掘り起こして、ひたすら向き合って出来上がりました。
出版後はしばらくランナーズハイのような感じで、あれもやろう! これもやろう! と盛り上がって。

でも、ラジオや取材を受け始める段階になって、まだどこか苦しい自分がいました。エッセイの中でもどの話をしたらいいのか、音楽の話がいいのか本の話がいいのか、スタンスも悩みました。買ってくださった男性のお客様に「ありがとう」と手渡しする時に、わずかに感じる複雑な思い。ラジオで話す時の声の出方。まだ、完全に乗り越えたと言えない……心に引っかかる何か。

そんな時、地元の地域新聞に載せていただきました。そこにはわたしの写真と本の紹介の他、住んでいる地域、卒業した小学校から高校までが書かれていました。「地域は書いた方が共感を得られますが、女性だから無理はしなくて良いです」と、確認をしてくださいましたが、出身校までかかれちゃうとは思ってもいなくて。ほとんど個人情報で、本の内容はわずか……。この長い苦しみを「生きづらさ」と一言でまとめていいのだろうか、と怖くなりました。

その内容がヤフーニュースなどネットニュースに転載されることを知らずにいました。正直なところ、とても驚いてしまって。もちろん見る人は少ないでしょうし、見たところで、だろうと思いますが、内容が内容だけに、急に恐怖感が襲ってきてしまったのです。もちろん、締め切りまでの時間が少ない中、取り上げていただいたのもとても嬉しかった、その気持ちも本当です。

そうやって広がるのを実感したとき、もう自分の手は離れている……。本当に大丈夫なんだろうか……。いま、テレビで表立って性被害の告発をしている人たちの恐怖を思えば、ずっと小さなものでしょうけれど、わたしにとってそれは言いようのない怖さがありました。

そのあたりで、心のバランスが崩れてしまった気がします。

たくさん掘り起こしたあとの無防備な不安。
けれど、苦しい、怖い、と思った時、バンッと心の深いところから出てきたものがありました。

それは守られたかった小さな頃のわたし。怖くて泣きたかったあの時の自分。
ワッと吹き出した、言語化できない感情の嵐の中に、生き埋めにしたものが見えました。まだ、あったんだ。こんなに深く埋めていたんだ。
これは我慢してはだめだ、と、カウンセリングの力も借りて、その自分の心を「救い出す」ことができたのです。


その日からしばらくして、やっと書くことができた、二度目の被害の状況。

これまでずっと、どうしても状況を具体的に書くことは出来ませんでした。もしも相手に知られたら怖いという気持ちや、「君も悪かったんじゃないの」という聞き飽きた、それでも心えぐられるセカンドレイプの言葉を、とても受け入れられなかったから。

でもやっと、もういいんだ、と思うことが出来ました。
ここまで生きてこられた。もしも何かあっても、わたしは戦える。
そう思えて、書くことができました。

被害を受けたすぐあとに、警察や弁護士に持っていくというのは、ものすごくエネルギーを使います。ただでさえ体も尊厳も傷つけられてボロボロなのに、戦うのは本当に大変なことです。できる人ばかりじゃない‥‥。

警察や弁護士さんのところへ安心して駆け込めること、ホットラインの周知、支えを得て戦うための対応ができる環境、そういうことが必要だと、これだけ時間がかかってやっと気づくことが出来ました。
戦うエネルギーが出せないほど傷ついていたんだ、もっと色んなところを頼って良かったんだなということにも気づきました。

もう今は、いざとなれば戦える。
有料ではありますがnoteにあの日の状況を書けたことは「傷が塞がった」ことを意味しました。

悲しみや怒りや恐怖を、あの時わたしは生き埋めにしました。
深くに埋めてしまった心。


やっと、泣き、叫ぶことができました。

怖かった、嫌だった。怒りと絶望で壊れてしまいそうだったんだと。

やっと、その気持ちを取り出して、救うことが、できた。


なんだかまるで、成仏できなかった魂が空へ還っていったような、ばあっと沢山の鳥が空へ一斉に飛んでいったような、そんな感じがしています。

以前、わたしにとって「幸せになる」とは、恐怖や不安のフィルターをはずすことだと書きました。


ようやく、いま、わたしは幸せになれた。

わたしは47歳です。8歳の頃のことから、人生のほとんどの時間を使って、乗り越えるのを頑張ってきました。それを考えると、エッセイを書くためにひたすら自分を見つめ、掘り下げた約二年は、もの凄い早さで突き詰めたのだと思います。

その時間と機会をいただいた河出書房さん、エッセイチームのみなさん、カウンセラーさんに、改めて感謝をお伝えしたいです。何度も折れるわたしを、たくさん支えて下さいました。エッセイのあとがきにも書きましたが、この機会がなければ、まだもう少し時間がかかったんじゃないかと思います。自分でも驚くほど、何枚もの扉が、鎧が、あったから。

この長いトラウマのお話は、エッセイではたった見開き約2.5ページ。極力、柔らかく短く、書いています。その経験の中で、前を向いていくことを、感じてもらいたかったの。誰かの勇気に、少しでもなったら‥…。



これから、ささやかでもわたしの体験が誰かの役にたったらいいなと思います。お話ししていくのも、もう大丈夫みたい。またもし辛くなったら、癒しながら行けるしね!
座談会やトークライブのような機会も、少しずつやっていけたらいいなと思います。やっとそういうタイミングまで来れたんだな、と感じます。こういうのは無理しちゃいけないんだね。

もちろん引き続き、音楽でのひとときも、みなさんに聞いていただける機会を作っていきます。この経験はきっと歌に生きていくのでしょう。


お会いできる皆様と、音楽とともに、それぞれの痛みや、自分らしい人生を語り合える機会があるといいなと思っています。

もがいているけれど、いつかそれを超えた時、しなやかになりたい。
「どんな問題と軽々としなやかに生きてるよ」というエッセイじゃなくて、しなやかになりたくてもがいてきた、そんなわたしのエッセイ。

今は、ライブ会場で買ってくれた皆さんに、「ありがとう!」ととっても嬉しい気持ちでお渡しできています。

20年前、プロの世界へ入れてくださった中村善郎先生をはじめ、プロデュース、共演と、寄り添い力を貸してきてくださったミュージシャンの諸先輩、仲間たちに、感謝を込めて。時にはわたしの代わりに泣き、何度も背中を押してくれた皆さんと音を出してこれたことが、わたしの何よりの力です。エッセイにはそういう気持ちも滲んでいるんじゃないかなって。これどこかに書きたかったんだけど、うまく入らなかったからここに書いちゃう。20周年だからいいよね(笑)


これまで、わたしのそばに居てくれた、仲良くしてくれた、気にかけてくれた、応援してくれた、全ての皆さんへ……改めてありがとう。

いま、わたしはとても、幸せです。

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