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雑記

ひとつひとつ書いていたら書ききれなくなってしまったので最近考えていることを漏らしておきます。


・私はもう毎日一生カスのままなんだろうなみたいな、誰も彼もつらい思いとか嫌な思いしないまま幸せになっていって、私はというと自殺しても「ふーん」としか思われないような存在になって、「ああはならないようにしよう」と思っていたその「ああ」にすらなれないままなんだろうなっていうこわさと戦っている。
“こう”なるんだったらせめて、手堅く社会的地位のほうだけ手に入れにいけばよかった、そもそも学校ちゃんと行っておけばよかったな~~~と思ってきた。もう遅いが。
はじめから、というか入り口→過程→結果が全て快い事柄って左程なくて、めいめいの楽しさを掬い上げる潮干狩りみたいなことの訓練所として教育機関はすごい強い。これを知っていて且つ経験している人は本当に何にでもなれてしまうんだから羨ましいね。もし私が人の親になったら習い事の下調べとか寝る間を惜しんでまでしちゃうんだろな……指示厨みたいな老人ってきっとこういう後悔(と解決欲)の延長線上にいる。
バカ高校でクラス全員漢検3級落ちたのに(どんだけバカ?)普段全然喋らずいるかいないかもわからない存在の私だけが2級に受かって「うおおおお!!」「すげええええ!!」みたいに騒がれて尊敬のまなざしを向けられた瞬間が私のピーク。人生の。
助かりたい。助けて~!助けてっていいな。
これは雑な推論なんだけど名誉欲の強さと性欲の強さって相関がある気がする。早く生まれ変わって、そんな下等な動物じゃなくて人間的な存在に、なって、人生をやり直したい…


・最近急にお菓子作りにはまっている。今日はクリームチーズとローズマリーのアップルパイを焼きました。私この食材の組み合わせちょうすきだな
なぜか料理をしているとわりかし体調と気分がいい。
自分で自分のバランスを調整する手段のひとつというか、いい匂いとか、湯気とか、火をみることとか、オーブンに入れてこれから訪れる楽しみを待つ時間とか、あらゆることが自分を修復してくれる。気がする。
正直、何かを書いているときより料理をしているときが一番集中していると思う(過集中に近いかも…?)。ひとまずの完成がはっきりとしている中でそれに向かってひとつずつタスクを処理していく料理とは違い、絵や文章は感覚を頼りに歩き、目的地もないまま解を導くしかないからなのかもしれない。そういう終わりが見えていることのほうが集中がしやすいのかも。いやこれは単に自分のスタイルがそうというだけで、多くの人は下図やゲラの段階である程度固まっていて、完成図が想像できた上でそれに向かって進めていくんだろうけど…
あと、仕事で売ったりするようなことがないのでいい。人に食べさせるために作る料理は失敗できない、おいしくなければいけないというプレッシャーがのしかかるが、自分のための料理は責任が自分にしか伴わない。まずいと自分だけに跳ね返ってくるものの、うまくできると精神の擬似的な救済として価値が高いし、正攻法もあるから上達を目指しやすい。
私は「どうすべきか」が分かる状態であれば努力することができるみたいなんだけど、「どうすべきか」が分からない場合まずそれの“すべて”を知らないと本当に何もできない。「できない」ことが怖かった(今も)がゆえに、あらゆるレシピサイトで「正解」のパターンや構造を吸収したからその積み重ねである程度の推測は立てられるようにはなった。まあ実際対コミュニケーションにもそういう傾向はあるんだろうけど。服飾でいうなら例えば自分の頭で考えてアイディアを出すデザイナーになるのは難しいけど、正解が決まっていてそこに向けて理想を追求していくパタンナーが向いてるんだろうな。なんの話?
手を動かして生産的なことをしているという免罪符になっているのかもしれない。

・知り合いの子供が「線」という名前なんだけど、すごく良くないですか?線くん。億が一子供産まれたらパクると決めました。
ちなみにお姉ちゃんのほうは「文(あや)」。良すぎ。名前良すぎ姉弟

・たとえ自分が正しくなくても慰めてはほしい、そういった状況はあるよなあと思った。心に刻むというか、すぐ忘れてしまいそうだけど。
ものすごい例え話として、(比喩ではなく)自分の首を絞めている人にかけるべき声は確かに「その手を離せ」なんだけど、本人はそれより「痛くて可哀想」と言ってもらってほしかったりする。そう言ってもらえないと離せない手というのもある。正しくなりたくて生きているのではなくやさしくされたくて生きている。渇きに耐えてまで甘いトマトになるよりは味も食感も不良になっていいから潤いがほしい、そういうことって全然あると思う。
本質的で長期的な正しさというか、最適さがその場の最適ではないという。表層的で救いのないやさしさのがなにかを救ったりする。正しさとやさしさが重なってるのが一番望ましいが。


・ABEMAやアマプラを観られる環境にあり、1997年~2002年のアニメポケットモンスターをこんなにも愛しているのに、2023年現在、自分が無駄に年だけ食って精神的に何も成長していないという主観的事実がとてつもなくおそろしくて過去の作品を観ることができない。あともう実在しないものに狂いたくない(疲れるから)

・親がそばを離れるだけで便通が良くなるのすごい。無意識下で気持ちが張り詰めているのか…

・ドコムスチャンネルおもろ!実況うま

・バスや電車、お茶を持っているかどうかで楽さが違う。お茶、大事。

・最近、THE BACK HORNよりも climb grow の曲の方が元気もらえる。
THE BACK HORNの曲にはこれまで関係における温かさやまっすぐさをたくさんわからせてもらったし何度も励まされた。ほんとに中学生の頃から何度も。でも最近はなんかわからなくなり、曲を聴いても心が動かされなくなった。飽きたとか嫌いになったとかじゃない。元々わかってなかっただろうけど、はっきりわからなくなった感じがする。なんか夜に自己と向き合いながら聴く感じじゃなくなった。すっかり他人になってしまったような感覚になっている(当たり前にもとから他人なのに、こう思う自分がこわいね)‪


・マジで計算ができなすぎる。15たす7とかできない。誰かに私が小学三年生用の算数ドリルに手を付けるところを見ててもらう必要がある。見ててほしい。

・一人になったら今使ってる食器ぜんぶ捨ててよしざわ窯の食器揃えたい


以上!
もう全然話変わるけど、一日の食事をアスパラガスビスケットにしたいんだよね。本気で。大好き。もう好きすぎて歯が折れるまで咀嚼したいし腹がはち切れそうになるまで胃に詰め込みたい。
4連のアスパラガス、15gしかないらしい。15gて。ハムスターの赤ちゃん?
安さをx軸、美味しさをy軸と置いたときに一番右上に位置するお菓子はアスパラガスビスケットだと思う。アスパラガス一強。
ちなみにあんなに熱望していた乾パンとしるこサンドはあんまり好きなタイプの硬さではなかった。もう食べないと思います…



話題にとりとめなさすぎて何?お前は何がしたいわけ?やる気ないなら帰れ。



最後に、みんなへ  𝑳𝑶𝑽𝑬…

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