見出し画像

主観によるマーケティングは無意味なのか? 偏愛と広告賞の価値を考える

データドリブンの時代において、あえてデータに頼らないクリエイティブの価値を見直すために以前書いた「データ教 vs クリエイティブ教」について、思考を深めてくれる記事に出会ったので、紹介させてください。

「錯覚資産」でおなじみ、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』の著者・ふろむださんと、インサイトフォース株式会社の代表であり、『マーケティングの仕事と年収のリアル』の著者・山口義宏さんによるチャット対談の内容をまとめた記事です。

素晴らしい記事なので、ぼくとしてはレビュー記事を読んでいただく前にぜひ引用元の全文を読んでいただきたいのですが、はてブ内では「なげぇ」というコメントであふれ返っていたので、ひとまず全体を包括する主張だけ引用しておきます。

長い対談の末に、マーケ人材市場の未来について2人の見解が一致したのが、次の4点だ。

(1)「原因特定解像度×サイクル長」の変化でマーケ人材の「知の高速道路」ができ、マーケ人材市場に相転移が起きる。

(2)クリエイティブ・マーケと定量マーケの両方の能力を兼ね備え、それらを統合してマーケティング業務を行うマーケ人材が台頭する。

(3)マーケティング業務だけの部分最適を行うのではなく、経営者のように、会社全体を把握し、全体最適のマーケティングを行う人材が台頭する。

(4)日本市場の縮小とともに、日本市場に特化したハイコンテクスト・マーケよりも、グローバルに展開するためのローコンテキスト・マーケの需要が高まる。

それぞれがたいへん興味深い内容ではあるのですが、今回は「(2)クリエイティブ・マーケ(中略)人材が台頭する。」の中に登場する「偏愛マーケ」という概念に着目することで、広告に斬新さを求めることの妥当性、ならびに批判を浴びがちな「広告賞」の意義について検討していきたいと思います。

3つのマーケティング

本文中では、マーケティングを3つに分類しています。
(厳格な定義についての記載がないため、以下の内容は文中のニュアンスから独自に解釈を加えて記載しています)

定量マーケ
定量的な結果の把握に基づく投資の最適化によるマーケティング

クリエイティブ・マーケ
センスやクリエイティブによるマーケティング

偏愛マーケ
合理では説明できないファナティック(熱狂的)な偏愛によるマーケティング

定量マーケ」は、現在トレンドとなっているような、複数の広告キャンペーンを展開し広告効果を測定・比較検討することで最適化を行っていくようなマーケティングです。デジタル系の広告代理店や、総合代理店のデジタル部門の方にとって親しみの深い系統なのではないでしょうか。

クリエイティブ・マーケ」は、定量マーケのような数値比較を経ない、広告制作者の「こういう広告には効果がある」という経験則に基づくマーケティングです。こちらは一般的な総合代理店のクリエイティブ部門の方の仕事スタイルと部分的に重なりそうです。

最後の「偏愛マーケ」は、マーケティングの基本にある「市場の人々が求めるものから逆算して広告を作る」という合理性を排除し、いち個人レベルの主観的に基づいておもしろいものを作る発想です。これは総合代理店のクリエイティブ部門のトップ層が得意としている印象です。広告賞を受賞するような広告はこの領域に属することが多いですね。

本文中では日清食品、ヤッホーブルーイング、クラシコムが偏愛マーケの具体例として示されています。少し長いですが、以下に該当箇所を引用します。

私がよく考えるのは、日清食品のカップヌードルのCMです。あれだけ認知度も高く、市場シェアも高い商品になると、あれだけのCM投下量が商品の販売量を更に押し上げるか?というと、そこまで甘くはなく、何かの合理を超えた判断や、カップヌードルという商品ブランドだけではなく、日清食品のコーポレートブランドを高めるような意図がなくては成り立たないとも感じます。また、クリエイティブの内容も、いわゆる「他でウケているから」という判断ではなく、オーナーでもある安藤社長の個人的な価値観の発露にも感じられるような、尖ったメッセージやクリエイティブをひたすら発信しつづけています。目先の販売量増加に対する費用対効果として正しいかはともなく、少なくとも日清食品やカップヌードルは、他の同業他社にはない強い感情的な絆を感じるファンが存在しているように見え、会社の採用にも寄与していると思います。小売のPB(プライベートブランド)が侵食してきている市場において、最後までメーカーのNB(ナショナルブランド)として生き残るのは、間違いなくカップヌードルのような好き嫌いわかれるけど強いファンがいるブランドです。そう考えると、長期戦略としては、カップヌードルの偏愛性ある個性の発信は非常に経済合理性のある話かもしれません。

また、ビジネスの規模は日清食品よりだいぶ小さいですが、クラフトビール「よなよなエール」のヤッホーブルーイングや、ECサイトである「北欧、暮らしの道具店」のクラシコムも同様で、いわゆる前例踏襲や他社ベンチマークではない施策を繰り返しているからこそ、コアなファンが生まれ、事業も成長しつづけているように見えます。

(山口義宏さん)

定量マーケとクリエイティブ・マーケはワンセット

説明を始める前に前提として理解していただきたいのですが、定量マーケとクリエイティブ・マーケはワンセットで扱うべきものです。

現実的には定量マーケの専門家がクリエイティブに関する十分な知見を持たないままレベルの低いクリエイティブ同士を比較検討するケースも多いのですが、それでは意味がありません。

A/Bテストとは、(中略)表現をギリギリまで考え抜いた末に「うーん、どっちがいんだろう、AかBか……」というところまで時間をかけて悩んでテストすべきものと思うんです。その中から勝ち抜いた王者が「勝ちクリエイティブ」の称号を得られるのです。でもWeb広告の現実は、営業さんが半日ぐらいでサクッと書いたものを出稿するようなことも多く、90点と80点の争いではなく、10点と15点の争いにしかなっていないのです。10点やら15点を10種類走らせても勝ちクリエイティブは15点のものにしかならないんですが。

(小霜和也 『急いでデジタルクリエイティブの本当の話をします。』より引用)

クリエイターの経験則によって導き出された「勝てそうなクリエイティブ」がなければ、定量的な効果測定を何度繰り返しても無駄ということです。

ちなみに、「経験則」という胡散臭めワードを出しましたが、これは「クリエイティブのパターンを抽象化して引き出すスキル」のことです。

優れたクリエイティブにたくさん触れて脳内でごちゃまぜにした状態から、感性に基づいて情報を引き出すわけです。一見すると非効率にも取れますが、非言語的な要素を含めて転用できるため、言語化されたノウハウだけで作られたクリエイティブと比較して圧倒的な差が生まれてきます。

なお、引用したツイートの中に比喩的に登場する「ディープラーニング」という言葉が示す通り、この作業はAIにも代替可能になってきています。コピーやデザインにおける過去の優れたクリエイティブのパターンを学習させることにより、それに類似するアウトプットを出すことがでるよう、研究が進められています。

定量マーケとクリエイティブ・マーケの欠点

定量マーケとクリエイティブ・マーケは、近い将来どちらもAIによる代替が可能になります。

そうなると生じる問題のひとつは、これらを職能としてきた専門家の人材的価値が減少することです。ただし、AIによる代替の進行にある程度の猶予があることと、「AIと共存しそれを管理する技能を養う」という逃げ道があることから、この問題はさほど重要ではありません。

むしろ重大な問題は、マーケティング戦略のコモディティ化(同質化)です。

ふたたび対談記事から引用します。

クリエイティブ・マーケと定量マーケのスキルには、「汎用性」があります。
「汎用性」には、メリットとデメリットがあります。
メリットは、再現性があって、つぶしがきくことです。
デメリットはコモディティ化しやすいことです。

偏愛マーケのスキルには、クリエイティブ・マーケや定量マーケほどには「汎用性」がないのではないでしょうか。
そのため、コモディティ化しにくいというメリットがあります。
しかし、再現性がなく、つぶしがきかないというデメリットもあるのではないでしょうか。

(ふろむださん)

現時点では先に挙げた経験則(=高度な抽象化スキル)は、一部の優れたクリエイターのみが持つものであるがゆえの希少性があり、競争力として機能していました。

一方、AIの力によって高速に経験則が蓄積される環境では、「優秀なクリエイティブ」同士のせめぎ合いが発生します。ここで勝つのは資本力によって出稿量を増大できる大企業であり、2番手以降の逆転の余地はほぼ無くなります。

資本力に欠ける企業が大勝ちを狙うためにはどうすればよいのか。そこで必要になるのが、偏愛マーケの考え方です。

偏愛マーケの価値

偏愛マーケは「逆張り」の発想です。

マーケティング戦略のコモディティ化が生み出す膠着状態から抜け出し勝利するためには、正攻法を切り捨てて、我が道を突っ走る必要があります。

ここで1つの疑問が生じます。最適化された勝ちパターンが存在するのに、それに逆らった進路を選べば、結局負けに繋がるのではないか? というものです。

この疑問に答えるためには「『最適化された勝ちパターン』は本当に最適と言えるのか」を考える必要があります。

最適化のための学習には、「何を正解とするか」という前提が必要になります。機械学習にしろ人間の学習にしろ、美しいビジュアルを生み出すためには美しいビジュアルの正解例を大量にインプットする必要がありますし、売れる文章表現を生み出すためには、売れる文章表現の正解例を大量にインプットする必要があります。

しかし、定量データや経験則から導き出される正解は均質化しやすく、お互いの希少性を下げ合う泥仕合を招きます。

こうなると、最適化によって目指される「正解」が機能しなくなります。

そこで必要になるのが、「別解」を見つけ出す能力です。世の中が正解だと思って群がっているエリアとは別のエリアに新しい正解を見つけることで、ライバルのいないブルーオーシャンに到達できます。別解を見つけ出すための方法こそが、他ならぬ偏愛です。

世の中に受け入れられていない反面ある個人が熱狂的に好んでいるものは、他の人も熱狂させ、「最適化を超えた最適」となる可能性を秘めています。世の中に受け入れられていないため、当然ライバルもいません。

これが、偏愛マーケが定量マーケ+クリエイティブ・マーケを打ち負かす勝算です。

偏愛マーケのリスクとその回避方法

偏愛マーケと定量マーケ+クリエイティブ・マーケを比較すると、偏愛マーケは当たれば大きい反面、勝率が高くありません。定量マーケ+クリエイティブ・マーケをバント狙いとするなら、偏愛マーケはホームラン狙いです。

したがって、偏愛マーケ一本での展開はハイリスクです。定量マーケ+クリエイティブ・マーケで安定的・堅実な収益を確保しつつ、逆転を狙った偏愛マーケを同時展開するのが望ましいといえるでしょう。

偏愛マーケは新しくない

現代の時代性と照らして偏愛マーケの価値を述べてきましたが、この考え方は決して新しいものではありません。

広告業界では昔から、過去の焼き直し的な表現を踏み越えて、作り手が面白さを感じる斬新な広告を生み出していく、という風土がありました。これを象徴するのが、カンヌ・ライオンズを筆頭に国内外で開催される広告賞です。

広告賞において評価されるのは、売上やかっこよさを追求した広告ではなく、オリジナルな見方で魅力を伝える広告です。これはまさに偏愛マーケに他なりません。

広告賞に対する批判

業界内において、広告賞の支持派と反対派の対立がしばしば目につきます。

こういった「堅実な売上に結びつかない」ことによる広告賞への批判は昔からありました。20世紀に活躍した広告パーソンであるジョセフ・シュガーマン、デイヴィッド・オグルヴィらは、広告が斬新さを追い求める風潮に対し否定的であったことで有名です。

しかし、定量的な効果測定がしやすくなったことで広告賞に対する風当たりが強くなったことも事実です。

広告賞の賛成派と反対派の対立は、偏愛マーケと定量マーケ+クリエイティブ・マーケの対立に近似できます。

先に述べたように、これらの複数のマーケティング手法は、組み合わせながら使うべきものです。どちらかが正しくどちらかが間違っている、というものではありません。

必要なのは、広告賞的なマーケティングとそうでないマーケティングのそれぞれを区別して理解するための共通言語です。これがあれば、前提を共有した上でどのようなマーケティングを目指すべきかを建設的に議論することができます。

この記事が、歩み寄りのための一助となれば幸いです。

おわりに

現在、広告業界でもデータを重視しクリエイティブを軽視する風潮が蔓延しています。ぼくは、以前からそのような風潮に対して反論するための記事を書いてきました。

そこに対して、対談記事内に登場する「偏愛マーケ」という概念がスパッと問題を整理してくれていることに感動し、筆を執った次第です。

再掲になりますが、元記事には偏愛マーケ以外にも知っておくべきマーケティングの潮流が盛りだくさんですので、ぜひ読んでみてください。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


アドライター(@ad__writer

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?