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大学4年間プレミアリーグ全試合視聴した記録

この4年間どれだけの時間をサッカーに費やしてきたのだろう。

平日は早朝のリーグ・カップ戦やヨーロッパのコンペティションをリアルタイム観戦→他のカードを見逃し視聴。昼過ぎにはグラウンドに立ち指導。帰ってきて翌日の練習メニュー作成後、また見逃し配信を観る。
週末は午前中グラウンドに立って指導、昼にはFC東京をゴール裏から応援、帰ると他のJリーグの試合を見逃し視聴、そしてプレミアリーグを観る。
この繰り返し。

そんな生活も2024年3月(第29節)で終わりを迎える。一般企業に就職後、週末はグラウンドに立ち続けることを選択した以上、全試合視聴する時間を捻出することは不可能だと考えている。

なぜそんなに多くの試合を観てきたのか?
それだけ観て何を得たのか?意味はあったのか?

この問いに今の私は上手く答えられない。答えなんてないかもしれないが、意味付けを探る作業はしても良いのではないだろうか。自分に問い掛けながら文を綴ろう。

きっかけと拡張

大学入学までは「Jリーグと海外サッカーを観ています。全試合観る推しチームは計3つです。他にはビッグマッチをリアルタイムで観ます!」という感じのサッカー好き、に過ぎなかった。

(このワードは好きではないが)いわゆる戦術的な知見も乏しく、フットボリスタを始めとする書籍や他者のマッチレビューに頼っていた部分が大きい。試合は感情に身を任せて楽しんでいたのだと思うし、SNSの煽り合いに気を取られていなかったと言えば嘘になる。

そして大学受験から解放され、2020年はFC東京の試合全通しよう!なんて意気込んでいた矢先にJリーグが、世界のサッカーが、そして日常生活が止まってしまった。真っ先に再開したブンデスリーガのゲームを観ながら気付いたことをツイートしていると、落ち着いて頭を使いながら試合を観ることの楽しさを実感し始める。

そしてプレミアリーグが再開。最初は、リモート授業だらけで暇な毎日だし、それに母校の部活が再開したらコーチをするのだからまずは多くの試合を観てサッカーの勉強になれば良いな、という程度のモチベーションだった。

しかし、観戦量が増えるにつれて脳が活性化しつつあること、自分なりに各チームを観る際の切り口の設定が出来るようになってきたことを明確に感じていた。

2020年7月に再開したJリーグ。黙って戦況を見守るしかなかった静寂のスタジアム

そして迎えた20-21シーズン。まずは開幕戦、各チームがどんな戦い方をするのか探るには絶好の節だと思い全試合を視聴。続いて2節、相手が変われば戦い方は変わるだろうと思いまた全試合。こうなると止まらない。全チームの毎節のプランの変化だったり、相手との噛み合わせによる相互作用から目が離せなくなってしまった。ここで、プレミアリーグ全チーム全380試合の視聴を決意した。

その後、21-22,22-23シーズンも続けて全試合視聴しただけでなく、興味の対象は拡大の一途を辿る。21-22シーズンから追い始めたレアル・ソシエダを中心にラリーガとセリエAの注目カードを毎週ピックアップ。そこにCL,EL,イングランド国内のカップ戦が加わり、Jリーグも2022年以降は毎節3〜6試合程度観戦していた。

結局、2023年(1~12月)には合計852試合を観戦した。

興味の変遷

文脈≒戦略

2021年末、つまり全試合視聴を始めて2シーズン目を過ぎたころ、こんなことをnoteに記している。

当初は配置、局面ごとの振る舞い、奇策。起きている事象の表面的な部分をなぞることに終始していた。ただ、今年は各指揮官の戦略など「根源的な思想」に着目するようになった。継続的に見ることでこそ感じられる部分だ。

スペースの価値、快適なテンポ、静的or動的。これらの志向が相手との相互関係や心身のコンディション、観客の反応で変化し、矢印の大きさや向き、時間ごとの出力の大きさ、ボール循環ルート、ブロック形成方法が決まる。

全チームのシーズンにおける文脈を感じ取ることが出来ると共に、各試合で繰り広げられる両チームの戦術的な対話を楽しむことが出来る。これらがリーグ全体を継続的に見ることでの楽しみだ。

2021サッカー×自分 一部編集

21-22シーズンの終了後にも似たようなことを書いた。

チームの戦術というのは、毎試合相手に合わせてコロコロ変えるようなものではない。監督・ファン・クラブのフットボール観が融合してチームの志向・スタイルが形作られ、これが戦略階層に当たる。

毎週試合を観ているとこの部分を上手く掴めるようになる。そのため、ゲームプランの理由が見えたり、問題点がそのチームの恒常的な課題なのか相手との力関係や相性で表出してしまっているものなのか分かったりする。

2年間プレミアリーグ全試合視聴してみて 一部編集

以上のように、戦略(思想・志向)→戦術(ゲームプラン)という階層にこだわっていた。間違っていたとは思わないし、今も各チームの志向は掴み、それを前提条件として頭に入れている。しかし、今思えば「相手との相互作用」「戦術的な対話」はアバウトにしか捉えられていなかったと感じる。

当時はまだ、エコロジカルアプローチや森保ジャパンのボトムアップもさほど話題になっておらず、私の指導現場での思想にも、そのような思想に影響された部分はほとんどなかった。

そのため、この頃は明確なゲームモデルを持ち、細かく原則が落とし込まれ、戦術的な引き出しが多いと「良いチーム」だと思っていた。しかし、2022年カタールW杯が契機となりさらなる視点・切り口が持ち込まれた。

転機

チームを捉える際に、再現性が高いかどうか、という点は「戦術的」な見方として一つの正解だろう。しかし、原則を細かい部分まで落とし込むと再現性が高くなり、勝つ確率も高まる、と思いきやそうはならなかった。

指揮官は個の力の最大化を図るための最低限の原則を与え、特に攻撃は選手間の相互作用任せ。後はマッチプランの策定と試合中の采配、コンディショニングやモチベートに徹しているように見える。
毎試合ピッチ内でお互いの出方を探り合い、振る舞いや配置を変化させてミクロな駆け引きを行なっていた。構造的な弱点をいかに突くか、個人の質やユニットの創造性をどのように活かすかというゲームが続いたベスト8以上は全て限りなく互角に近かった。

原則に縛られることも、自由を与えすぎてカオスに陥ることもなく、その間で各チームなりの良い着地点を見つけること。

 ワールドカップの振り返り・考察と日本代表の今後について 一部編集


準備期間が短いナショナルチームの短期決戦だからこそ顕在化した部分ではあると思うのだが、「個・ユニットの能力や質」「試合の中での駆け引き」を味わいきれていないという現実を突きつけられたような気がした。

ここから、自分の中ではミクロだと思っていた部分への着目度合いを高めた。「駆け引き」とはマクロ・ミクロ両面で言えることであるし、戦術的な部分に限らず、心理的な部分(相手に取れると思わせることなど)、選択肢を奪う/作る、予測する/外すと言った部分まで広く含む。

日本代表の「ボトムアップ」も頻繁に話題になる。

W杯以後

22-23プレミアリーグ 全体総括という記事で私が注目したポイントは、
①圧倒的なシティとライバル達との差
②場所と時間
③直観に反するアイデア
④型と原則、アドリブ
の4つであった。

①では、CL圏内に入ったチームの戦略面での強みに触れつつ、シティの観察眼と柔軟性を機械的な強さと人間的な強さのハイブリッドと評した。

②では、私がゲームを見る上での最初の着眼点として、場所と時間を決める権利を持つチームがどちらか、という点を挙げている。
チームと局面によって快適な広さ、テンポは異なり、自分達で決めるチームも相手に合わせて決めるチームもあるので、線で追うことにより各チームの戦略を把握しておく。
すると、戦略的な強みを活かして支配しているのか、あるいは戦術的な工夫によって相手を混乱に陥れているのかが分かりやすくなる。

戦略的な強みを持つための手段として、サイドのユニット/誘引→手前or背後/押し込みすぎない/段差を増やすといった要素を挙げており、戦術的な階層とミクロな選択肢が連結してきた痕跡が感じられる。

③では、相手チームの心理を利用した戦術について述べている。誘引の意味、ハイプレス&ローライン、コンパクトなハイラインブロック。
ある選択が成功しそうだ、という心理に相手を誘導することにより、自チームが予測する状況を作り出し、相手を罠に嵌める。
心理状況が選択肢と予測に影響を与えることを示した。

先のW杯以来個人的にテーマであった部分。
チームの枠組みを大きくしておくことで、戦術の幅を広げ、選手の対応の柔軟性を高めることができ、相手を攻略できるのではないだろうか。
戦術でガチガチに縛るより、思考態度を揃えることと、判断基準となる原則を共有するぐらいの方が試合においての適応の質と速度の面では優位なのではないだろうか。であれば原則はどの程度まで細かく設定すれば良いのか。

型を作って、縛るぐらい徹底させないとモデルチェンジは出来ない。しかし、それが浸透したら今度は緩めることが良い結果に繋がる。型とアドリブの間の適切な落とし所を探ることは難しいミッションだ。

22-23プレミアリーグ 全体総括

試合を見る中でも、そして指導現場でも、23-24シーズンは自分の中でこの課題がさらに大きなウエイトを占めるようになった。

23-24シーズンの興味

原則の有用性

今シーズン、各国で期待以上の躍進を遂げているチームとしてジローナ、ボローニャの名前は挙がるだろう。彼らのサッカーに方程式は存在しないが決して無秩序ではない。(あまり観戦機会はないがレバークーゼンも恐らくはそうだろう。)

相手の背中側を使う、ゲートの奥で引き取る、前方にスペースがあれば運ぶ、あるいは平行のサポートに入るといった場所の共有。そして、先手を取った移動で3人目がスピードを上げすぎずにボールを扱うことによるエラー確率の軽減、寄せて展開を繰り返しつつ緩→急のスイッチで急襲する、といったテンポの共有。

戦術的な階層では余白を残しているので、特に侵入・崩しの部分では相手の非保持における傾向を利用しつつ個性を遺憾無く発揮しているのもこれらのチームの特徴だ。

原則を徹底することで、そこに戦術的な変化やキャラクターの異なる選手が投入されても崩れない。チーム全員の「目が揃い」一つの生き物のように見える。

型&バグ

逆に、まずは型を徹底させてバグを仕込むチームもある。スパーズ、フラムが代表例だろうか。彼らも毎試合、基本的にやり方は変えない。構築隊と左右の侵入隊ユニットが存在する。

フラムは左サイドのユニットの阿吽の呼吸により、ほとんどの試合で同数局面を攻略できている。このユニットの中心であり、左右のユニットを繋げる存在であるウィリアンがバグ要素として機能している。

スパーズは可変のパターン、立ち位置を交換する組み合わせが決まっている中で、マディソンがフリーマンとして振る舞うことで相手守備陣の慣れや予測を超える。

(同じようなチーム作りをしているラレアルが今季国内でローブロックを敷く相手に苦戦している要因は、昨季までバグ要素をもたらしていたダビド・シルバの引退の影響も大きい。)

毎年欧州のタイトルを狙うような規模のチームでなくとも原則の徹底+余白を個やユニットが活かす、戦術的型+バグといった掛け合わせのアプローチで躍進できる。昨年のブライトンもそうだが、こういったチームを追うことは非常に面白いし示唆に富む。

フラムの本拠地クレイヴン・コテージでの現地観戦時

空転

一方、トップオブトップのチームは型も原則もユニットの練度も質的優位も全ての要素が一流だ。枠と保有するリソースが非常に大きく質も高く、その中で毎試合、自軍の選手選考や敵軍攻略のための最適解を探っている。

保持側の工夫を無効化する非保持、その非保持をまた上回る保持、といった戦術的、あるいはピッチ内での駆け引きの攻防も面白い点だ。

ローブロックでスペースを消すチームに対して押し込みすぎない。
空白のレーンを作って守備の基準を与えにくくする。
大胆な移動と正確なロングレンジのキックで相手の鎖を断つ。
ペナ角周りの攻略方法の多様性と再現性の高さの両立。
クロスに対する目線合わせ。

以上に対する非保持側の対応を見ることもまた面白いし、当然上記以外にも様々な攻防が繰り広げられる。相手の意思を読み解き逆手に取り空転させる。選手単位でもユニット単位でもチーム単位でもこのような騙し合い、予測合戦を90分以上続ける競技。そこに観客のパッションやコンディションといったことに代表される無数の変数も加わる。飽きることなく楽しめる。

圧倒的なホームの雰囲気を作っていたコヴェントリーの本拠地

意味

ここまで長々と書いてきたが、「自分で枠組み・テーマを決める」ことが多くのチームを線で追い続けることの意味なのではないだろうか。

量を積むことで、チーム作りの戦略・戦術的な多様性と共通性(グループ化)の両方を感じることができる。
2023年Jリーグのトレンドという記事でも、3つに分類して14チームを評価した。

切り口に正解なんてないし、楽しみ方もそれぞれで良いと思う。ただ、プレミアリーグ全試合を観る、そして他のコンペティションも線で追うことで、プレミア内の、そしてプレミアにとどまらない多様性やトレンド、テーマを発見しながら楽しむことができた。

これが私の中での冒頭の問いに対する答えだ。

愛情

サッカーの競技的側面にだけ触れてきたが最後に。
FC東京のSOCIOでありアウェーも含めて現地で応援するカルチャーにどっぷり浸かっている者として、ファンが作る文化・観客とピッチ内との相互作用もサッカーの1側面として愛している。

(Crystal Palaceの試合や残留争いに関わる場面では感情的になることはあれど)プレミアリーグ全チームに好きなポイントができて所謂「箱推し」してきた身として、大学4年生で念願の現地観戦を果たし、カルチャーに触れたことは集大成として素晴らしい経験だった。

セルハースト・パークにてクリスタルパレスvsリバプール








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