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常々思う、“障害者”の扱い

ものすごい久しぶりに文章が書きたくなって、ちょこちょこ書きためていくことにします。

障害者。
一言で言っても、
・身体障害者
・精神障害者
・知的障害者(発達障害って言うのかな…)
があるわけですが。
私はこの区分だと精神障害者に当たります。

多分、24時間テレビとかが近づいてきてるからずっと思ってたことを言語化しようと思ったんだと思うんですが、24時間テレビがフォーカスを当てるのは、わかりやすい(怒らないでください、他意はないです)身体障害者の方が、例えばサポートを受けて富士山登頂とか、そういうことをして、すごいね、障害者もやればできるね!みたいな感じの企画。

これ、すごい冷めた目で見てたし、なんなら嫌で見なくなってもう数年が経つ。
同じことを精神障害者や知的障害者でやらないところに腹が立って。

パラリンピックも同じ。
精神疾患持ちが例えば試合の日にベストコンディションでやれるか、はたまたその日逃げ出さずに会場に行けるか、そういうのはあると思うんですが、枠を例えば『精神枠』みたいにしとけばみんな条件は一緒。
相手がこなくて不戦勝になったとしても、対戦相手はあー、メンタルが調整できなかったのかなー、って思う事ができる。

なぜ、身体障害者の競技ばっかりなのでしょう?
それがずっと疑問。
周りにそう言うと、『私も思ってた!身体ばっかりずるい!』みたいなの、ちらほら聞きます。

身体と精神、わけて別々の種目を設ければよくないですか?精神疾患持ちだからってスポーツが一切できない人ばかりじゃないだろうし(ちなみに私は出来ません)


私が在籍していた高校では、全盲で東大へ合格した人がいます。当時、NHKのドキュメンタリーも組まれて、同級生はいい迷惑だったそうです(私はその3年後くらいの入学なのでよくわかりませんが)

さて、その全盲で合格した人、今何してるのでしょうか?
実は合格した後の足取りを知る人はほぼいなくて、卒業したのか、就職したのか、それすらも伝わってきません。
あれだけNHKで取り上げて騒いだのに(一応進学校なので、周りも勉強熱心です。取材陣に邪魔でもされたのでしょう)、その後のことはまったくわからないのです。

大学は受かればいいというものではないと思います。
大学で何を学び、専門性を身につけるか、これは私が理系だからかもしれませんが、文系の学部はわからないので割愛します。
ちなみに私の大学の時間割は月曜から金曜まで一限から五限みっちり、が四年前期まで続きました。
実験は昼から夜中まで実験室にこもってレポート作って提出して、を半年繰り返して1単位とか。
四年前期の途中から病院実習がスタートします(医療系だったので)
正直、遊んでる暇も、バイトしてる暇もなかったです。
バイトはせずに済んだ、恵まれた環境だったから、勉強に没頭できたのかもしません。

この頃の私は、三年後期から四年前期半ばくらいまでの記憶があやふやです。今も思い出せません。友達だと思っていた人に、酷い裏切りを受け、『私がうつ病になったのはお前のせいだ!』とまで言われたからです(自殺未遂も私のせいらしいですが、結論、私に彼氏ができたのが許せなかったそうです)
そんな感じで彼女の存在や言動に心が耐えきれず、記憶を改竄、抹消したっぽいんですよね。

…話がそれました。
『全盲』という、ある種キャッチーで視聴者が食いつきそうな身体障害者が東大に合格する、それはそれは注目を集めたでしょう。
定期テストなどでも配慮は全くなく、問題用紙が配られた時点で別室待機の母親が点字タイプで文章を起こす→書いたあとが触ったら分かる特別な紙で数学の記述問題もこなす。
確かに凄いです。
普通科の、普通クラスにいるだけでもすごいと思います。
だけど、その後の足取りは?
目の見えない人でも頑張れば東大に行けるんだよ、でおしまい??
だったら、精神障害者だって頑張れば東大行けるんだよ、のバージョンがあってもいいと思うんですけど(ちなみに私の知能指数は東大生の平均知能指数程度はあります。が、ポンコツです)

私が精神障害者となったのは、大学卒業して、うっかり大学院行ってパワハラやらアカハラやらセクハラやらのフルコースを受けてやめてやるわ!!!って売り言葉に買い言葉でやめてクリニックに就職し、そこでトドメのわけのわからない上司による嫌がらせを一年我慢した結果、心療内科に駆け込むのが間に合わず、職場はその上司の頭のおかしい態度やらについての取調べが行われるし、私は実家への強制帰還が命じられるしで、結果、上司の首はとびました。

上司がいなくなったあと、復職した私に、たくさんの患者さんが『アイツ殴ってきてええで、ワシが許す』、だの、『ひっぱたいてこい!』だの、とにかく攻撃的な笑応援を頂きました。
患者さんは見ているというわけです。

結局その後、実家へと戻り、別の総合病院に勤めましたが、そこでもパワハラモラハラ、同僚の嫌がらせを受け、8ヶ月で休職命令。体重もガタ落ちカンファレンス中に意識レベル低下するくらいの血圧低下など、とりあえず勤めてるところが病院だから即処置できてよかったね、という感じでした。
なんでこんな目に合うんだろうっていう答えは、私の学歴と、上司の『こいつ、1年くらいしたら主任にするから』という事前に周囲へされていた通達によるものでした(なお、私はその話を全く知りませんでした)

私の職は専門学校卒でも取れる資格で、大卒で持ってる人は当時まだそんなにいなかった。そして私は更に国立の大学院へ進学していた(中退したけど)、その辺がなんか変なやっかみとか買ったようです。
妬みとか嫉みとか、私自身はあまり縁がなかったのですが、どうも周りは私にそういう物を抱くらしい。

その総合病院で、当時通院中だったクリニックを変更しろということで地域医療連絡室という奥の手を使って半年待ちのクリニックにゴリ押しで2週間待ちまで予約を前倒す。
結論から言うと、ここで誤診をされていて、症状が改善しないから、うつ状態がどうやってもよくならないから、と、どんどん薬の量が増えてゆき、2年かよって嫌になって転院(勝手に)
これだけの薬をこれだけの期間飲んでいて改善されないなら、違う病気でしょうと、初めて双極性障害疑いがかけられました。

病んでから実に8年が経過していました。

だいぶ横にそれましたが、精神疾患の人って、先天性のものでないならば、普通に頭は回るんですよ、状態が悪くなければ思考も正常。見た目は完全に普通の人。
けど、豆腐メンタルだから、些細なきっかけで落ち込んだりしやすくて、あと私は双極なので、自分のキャパオーバーでも仕事をこなしてしまう。こなせるだけの力や知識が変にあるがために。
そして、その反動で凄い疲れるんですよね。
もう何回も繰り返したことなので、その辺は慣れたものですが。
というか、大企業の障害者枠に絶望した時の反動が1年半続いて、絶望的な泥のような鬱の生活を送り、自殺未遂もし、閉鎖病棟にも放り込まれ、自分の身だしなみもまともに整えられない、要介護の生活を味わったわけです。

本当に、見るに耐えない酷い生活でした。
布団から起きれなくて、酷かったら失禁。それすらも気づかなくて、そのまま母がくるまで昏昏と寝続けてた。
起きてる時は何かの発作を起こしている時間の方が長くて、過呼吸と呼吸停止となんか色々ゴチャゴチャしたものの繰り返し。
雨の中、裸足で外に飛び出したし、死のうと思って死ねなくて、いのちの電話は繋がらなくて、どうしたらいいのか頭の中がぐちゃぐちゃで、とにかく自分を消してしまいたかったあのころ。

そこから回復したのはつい1年と少し前のことなんですけども。

そんな過去も笑って話せるくらいには戻りました。割と酷い経験だと思いますが、自傷行為(リストカットなどの)は、医療従事者だった私が許さなくてできなかったし、やはり過去が悲惨なだけでしゃべらなければ普通なんですよね、見た目。
ちょっとIQ高いから、なんかひとつ言われたら2つ3つ直ぐに返してしまったりとかはあるけど。

別に普通に見えてるけど障害者なんです、優しくして!なんて言うつもりはなくて、しんどい時は健常者だってしんどいじゃないですか。
そういうしんどいってなる頻度がちょっと多いから、限界くる前に休ませてね、合理的配慮ってそういうのじゃないの?っていうだけなんです。
1回落ちてしまうと復帰に時間かかってしまうから。

見た目だけじゃない、ハンディキャップを持ってる人だっていっぱいいるのよ、あなたご存知?というのがこの文章の主旨だった気がするんですがねぇ…
それすぎて脱線しすぎて思い出話になりました。
まぁいいか、散文にも程があるけど、ととりあえずぶん投げておきます。
後で自分が読み返して、アホやなぁと思うために笑

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