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御伽怪談

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昔の実話怪談に基づいた、お伽話のようなオリジナル小説です。各々原稿用紙16枚です。第一集は、江戸に広がる猫のお話が中心です。
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御伽怪談について

 はじめまして。播磨陰陽師の尾畑雁多です。大阪文学学校で小説を学んでいます。  御伽怪談…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第十七話「貧乏神の挨拶」

 第十七話「貧乏神の挨拶」  寛政(1790)の頃のこと。予は歌人の津村淙庵。叔父の見た不思…

尾畑雁多
1年前
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御伽怪談短編集・第十六話「妖怪の書く文」

 第十六話「妖怪の書く文」  天保(1829)のはじめのことであった。  かの有名な『忠臣蔵…

尾畑雁多
1年前
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御伽怪談短編集・第十五話「老僧の疫病神」

第十五話「老僧の疫病神」  日向の国・飫肥報恩寺の滄海和尚の弟子に、豊蔵主と言う僧侶がい…

尾畑雁多
1年前
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御伽怪談短編集・第十四話「亡霊との問答」

 第十四話「亡霊との問答」  享和(1801)の頃のこと。江戸某所の寺の学問所に、奇妙な…

尾畑雁多
1年前
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御伽怪談短編集・第十三話「参拝は心の糧」

 第十三話「参拝は心の糧」  最近はあまり聞くことはないが……少し前まで死に逝く者が別れ…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第十ニ話「夏行の疫病神」

 第十ニ話「夏行の疫病神」  時は宝暦(1750年)の頃。京都一乗寺金福禅寺の住僧・松宗禅師の語られた物語である。  先年、備後の国・三好鳳源寺で愚極和尚を招き講和が開かれた時のことである。愚極和尚は梵網経の解説本を書いたほどの知恵者でござる。講和の終わりに夏安居と呼ばれる夏行がはじまった。  拙僧は、壮年の頃であったので、この会座に連なって、他の僧たちと共に修行しておった。僧侶たちは、昼夜の勤行に疲れ果て、座具に座ったまま、ふらふらと居眠りしていた。拙僧も他の僧侶のことを

御伽怪談短編集・第十一話「看病する亡霊」

 第十一話「看病する亡霊」  予は本草学者の佐藤成裕。本草学とは漢方薬を研究する学問のこ…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第十話「雪隠の疫病神」

 第十話「雪隠の疫病神」  ここに不運で哀れな男がいた。  時は延宝(1672)、天下分け目…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第九話「先夫の死霊が」

 第九話「先夫の死霊が」  拙者は鈴木桃野と申す儒学者。儒学と申すは、孔子にはじまる古来…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第七話「疫病神を退散」

 第七話「疫病神を退散」  天保八年(1839年)二月下旬のことであった。その日、予・宮川政…

尾畑雁多
2年前
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播磨陰陽師の独り言・第二百四十九話「憧れのサンフランシスコ」

 はじめて海外旅行したのはサンフランシスコ。ゲームの開発をしていた頃に出張で行きました。…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第六話「幽霊なきとも」

 第六話「幽霊なきとも」  予、根岸鎮衛の元を時々訪れる友人に、栗原幸十郎と申す浪人がお…

尾畑雁多
2年前
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御伽怪談短編集・第五話「犬を恐れる男」

第五話「犬を恐れる男」  予・宮川政運の父がまだ若かった頃、江戸の本所石原町に播磨屋惣七と言う人足の世話人が住んでいた。これはその男から聞いた体験談である。  晴れた秋の日のこと。そろそろ紅葉が色づいて、落ち葉も舞う季節。惣七たち数名が両国からの帰り道に、ひとりの男が近寄って来たと言う。 「どこへ参られまするや?」  声をかけたのは痩せた貧相な男であった。顔は嫌な感じであったが、着物は新品のようで、糊がきいてパリパリしていた。言葉は下町の江戸弁などではなく、なんだか丁寧な印