見出し画像

怪しい世界の住人〈狐族〉第九話「神としての稲荷」〈最終回〉

⑩ 神としての稲荷明神

 お稲荷さんと呼ばれる祠が多くのビルの上にあります。大阪などでビルの上に登って辺りを眺めると、このお稲荷さんの祠があちらこちらに見えるのです。
 いくつかの都市伝説には、

——街はお稲荷さんが支配している。

 と言うものまであります。
 お稲荷さんは京都の伏見稲荷が有名ですが、この伏見稲荷、意外にも秦氏が関係している神社です。
 秦氏と言えば秦河勝公が有名ですが、河勝公の墓所は意外にも播磨の国の赤穂の大避おおさけ神社沖の神の島の中にあります。ここは河勝公の墓所があるので、俗に〈神の島〉と呼ばれているのです。
 河勝公は播磨陰陽師の祖先のひとりです。ですので、赤穂に彼の墓所があるのです。そしてこの河勝公たちが伏見を中心に稲荷の神を祀った形跡があります。
 伏見稲荷と言えば狐の置物をイメージすると思います。大きな狐の狛犬とか各家々にある神棚に置かれた小さな狐の置物です。しかし、実は、伏見稲荷に祀られているのは狐の神ではありません。そして、狐そのものの神でもないのです。では、どのような神が祀られているのでしょうか?
 伏見稲荷の説明に、

——和銅年間(708 - 715年)(一説に和銅四年(711年)二月七日)に伊侶巨秦公いろこのはたのきみが勅命を受けて伊奈利山いなりやまの三つの峯にそれぞれの神を祀ったことにはじまる。
 秦氏にゆかり深い神社である。和銅以降、秦氏が禰宜・はふりとして奉仕したが、吉田兼倶の『延喜式えんぎしき神名帳頭註』所引の『山城国風土記』逸文には秦氏が稲荷神を祀ることになった経緯が以下のように記されている。
 秦中家忌寸はたのなかつえのいみきたちの先祖である伊侶巨秦公は稲を多く持ち富裕であったが、稲をいて作った餅を的にすると、その餅が白鳥となって稲荷山に飛翔して子を産み社となった。

ここから先は

2,083字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?